第110話 取られない研究

「このご時世に、禁じられた賭場を経営し、しかも酒まで出していたとは呆れた民だ。黙認していた近所の者も同罪、まとめて撫で切りにしようかと思っている」

「まさに全てを奪う刑ですな。それはあまりに苛烈な刑では?」


 わざとらしくのけぞって反論した伯に、王は冷酷な視線を投げかける。


「……済まぬ。王太子のことで気が立っていてな。この問題が解決すれば、もう少し心穏やかにもなれようが」


 王は今や、完全に仮面を脱ぎ捨てて脅しに出ていた。タダで治療法を明かさなければ、賭場の人間に手を出すと言っているのだ。伯がこれをのまなければ、確実に大量の死者が出る。


「しまったな……賭場のことをつつかれりゃオッサンは弱い。酒の提供に噛んでるだろうから」


 なぎがそう言って爪を噛む。


 沈黙が流れた。次の一言が運命を分けると分かっているため、伯もうかつに口を出せない。


 永遠にも思える数秒が流れた後、伯が顔を上げた。その顔はにこやかだが、今にも王を食い殺しそうな感情を胸に秘めていることがうかがえる。


「わかりました。まとめた資料を持ってこさせたいのですが、控えの間に戻らせていただけますか」


 その返事を聞いて、王は一瞬あざ笑うような顔をした。


「……よかろう。ただし、伯はここに残れ。取りに行くのは一人で良かろう」


 二人で逃亡は許さない、と暗に告げている。それに、伯が資料に何か細工するのを避けたいのだろう。パーチェは真っ青になったまま、命令のままに御前を辞した。


あきら、行くぞ」

「わかった」


 凪に続いて、晶は身なりに構いもせず、猛烈な勢いで魔方陣をくぐった。光にのみこまれ、空間が転移する。


「ここは?」

「控えの間の衣装箪笥だ!」


 確かに、前の扉から線状の光がもれている。晶はかかっていた服をかきわけ、外をのぞいた。


 パーチェは控えの間に戻っていたが、こちらに背中を向け、うろうろと熊のように歩き回っていた。


「パーチェ」

「……!!」


 晶たちが収納扉から姿を見せると、彼女は声が出ないくらい驚いていた。晶は転がり落ちた服や小物を踏み越えて、パーチェににじり寄った。


「叫ばないで。外の見張りに聞こえる」

「頼むから、なんでここにいるかなんて聞くなよ。時間がねえ」


 晶たちが状況を理解していることを伝えると、パーチェの目に涙がにじんだ。


「ねえ、どうしたらいいの」


 パーチェはそう言うと、困惑した様子で立ちつくす。


「資料を王に渡せ。じゃないと、仕方無く賭場をやってるだけの奴、そして何も知らない善人が何十人も殺される」

「そんな!!」


 パーチェは一瞬、かっとなって叫んだ。彼女の振り回した手が凪に当たったが、彼は打たれても平然としている。


「お前がそれを許したら、父親を殺されたことを批難する資格もなくなるぞ」


 その言葉が良かったのか、パーチェは程なくして平静を取り戻した。


「……わかった。でも、それじゃ王を見返す切り札がなくなるわ。パパの誇りと戦いが無駄になるのが心配なのよ」


 パーチェは悔しそうに拳を握った。華奢な体が、ぶるぶる震えて今にも倒れそうだ。


「せめて、何か重大な情報を隠さないと……」

「そうだよ。凪、適当に書類を作って」


 晶とパーチェが頼んだが、何故か凪は頑なに首を横に振った。


「いや。この内容をそのまま話せ。それで大丈夫だ。……おそらく、研究は取られない。お前の身は、インヴェルノ伯がなんとか守ってくれるはずだ。もしくは……」

「なによ。言ってることが全然分からないわ」


 なにやら考え始めた凪に、パーチェが声を荒げた。


「おい、いつまでかかってる。本当にあるんだろうな」

「逃げたのか?」


 外の兵が疑い、口々に文句を言い始めた。


「話どころじゃなくなったな」


 凪はそう言うなり、晶の首元をつかんで箪笥の中に押し込んだ。


「どう出るかは確定できないが、言われた通りにしろ。とりあえずそれで無事に出られるから、何を言われても我慢しろ」


 凪はパーチェに高圧的に命じる。晶は状況がわからず、箪笥から顔を出して息を殺していた。


「せめて理由くらい言ってよ!」

「無理だ、時間がない。お前にとっちゃキツいだろうが、今だけでも俺を信じろ」


 パーチェが息をのんだ。口をつぐんだ彼女は、すがるように晶を見てくる。


「……僕からもお願いする。凪の言う通りにして」


 晶はようやくそれだけ言って、凪を引き込み扉を閉めた。




 現実世界に戻った晶たちは、息をつめてことの成り行きを見守った。パーチェが顔を真っ赤にして、衛兵に資料を渡す。それを検分するために、学者たちと王が別室へ引いた。審議を待つ時間が、永遠のように感じる。


 現実世界の時間にして一時間ほど経って、ようやく、赤い顔をした学者たちと王が戻ってきた。インヴェルノ伯は何事もなかったかのように平伏し、パーチェもそれにならう。


「顔をあげよ」


 王の声が、謁見の間に響いた。


「資料は読んだ。ここにいる御殿医や学者たちにも、すでに回覧させてある」

「お気遣い、痛み入ります」

「私の所見を述べても良いのだが、ここは専門家に譲ろう。フレッド、前へ」

「かしこまりました」


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