第109話 鍔迫り合いで火花飛ぶ

 ホームルームが終わると、あきらは教科書を鞄に詰め込む。早く地図を見たくてたまらなかった。今日は、インヴェルノ伯とパーチェが王に謁見する日なのだ。自分の目で直に見なければ、後悔する。


 しかしそんな時に限って、担任教師が晶を呼び止める。ふいをつかれた晶は、逃げ損ねた。


火神ひかみ。またバイトか」

「はい、テスト前は入れないので……今のうちに」


 この学校では、バイトは絶対禁止でなく許可制である。無論何でもいいわけではない。生徒の素行から、つく職種まで全て問題ないと初めてゴーサインが出るのだ。晶は両親がいないし、教師に反抗したこともないのでさして障害はなかった。


「そうか。奨学金のパンフレット、また新しいのが入ったから取りに来なさい」


 この担任は、晶のバイトを認めてくれたり、こうやって奨学金を紹介してくれる。守ろうとしてくれているのは確かに感じるし、ありがたかった。


「ありがとうございます」


 それでも晶は話の途中から、じりじり後ろに下がる。逃れたがっているのは、手に取るようにわかるだろう。それを見た担任は、感情がわだかまった様子でため息をついた。


「……大変なのは分かるが、少しはみんなと付き合いもしろよ。金のことなら、みんなで相談に乗るから」

「は、はい」

「社会人になると、なかなか難しいぞ。友達と会うのも」


 少々、晶の胸がうずいた。遊びの誘いを何度か断ったのは事実だ。家庭の事情を知っているクラスメイトはすぐに引き下がってくれる。──しかし、本当にそれで後悔しないだろうか。バイトにいっぱいいっぱいになる必要はないし、晶にはこちらの世界も大事なのだ。


 この事件が終わったら、久しぶりにみんなと遊びに行こう。晶はそう決めた。


 冷たくなってきた風を顔にうけながら、晶は必死に自転車をこぐ。勢いよく店の扉を開けたが、なぎはいなかった。かわりにカタリナが本棚を物色している。


「凪は?」

「今日はずっと二階じゃな」

「そう。あ、その隣の本がおすすめだよ」


 カタリナに声をかけて、晶は二階へ駆け上がる。そこで、凪がじっと地図に見入っていた。彼には珍しく、真剣な表情である。


「ばたばた音をたてるな。声がかき消されるだろ」

「今、王との謁見?」

「ああ。お前も見てろ」


 晶は凪の横に座った。一面壁にタイルが貼られた広間に、インヴェルノ伯とパーチェが跪いている。王は漆黒の椅子に腰掛けたまま、彼を見下ろしていた。


 王の周りには、しかめつらしい顔をした男たち──大臣や御用学者、衛兵──がひしめいている。パーチェは無遠慮に見つめられ、とても居心地が悪そうだ。


「インヴェルノ伯。そしてサリーレ博士の息女、パーチェ。顔を上げよ」

「はっ」


 すさまじい迫力を持つ声が、壇上から投げかけられた。


「今や死を待つばかりの、オーロの病を治せると申したな」

「その足がかりには十分なる情報であると確信しております」


 パーチェのその言葉に、どよめきの声があがった。


「まだ誰も知らぬ方法と聞いたが」

「はい。我が家に伝わる秘法故、伯にもお伝えしておりません」


 パーチェはしゃあしゃあと嘘を言った。王も、その欺瞞には気付いている。この場を作った以上、伯が何も知らないはずはないからだ。


「……伯よ。それはまことか」

「ええ、口の固いお嬢さんでして。それでもどやしつけるなんてことは、できませんしね。まさか王も、無理矢理に私から聞き出そうなんて無粋な真似はなさいますまい」


 男たちの間で、目に見えない火花が散った。決して目に見えないが、それは確かにそこにある。


「……無体はせぬ。で、それを我々に教えてくれようというのだな」

「ええ。しかし、完全に手放しでというわけには参りません。こちらにも聞いていただきたいお話がございまして」


 インヴェルノ伯が前に出た。


「治療法の代わりに、お前の出す条件を呑めと言うのか」

「恐れながら、王妃様は万策尽きて呪術師にまでご依頼されているとか。それよりは確実な効果をお約束できます。王太子の命は、何に変えても守らねばならぬものなのでは?」

「それには違いないが」


 王の顔が、一瞬ぐっと歪んだ。尾を踏まれた獅子の面構えに、晶は不穏なものを感じ取る。インヴェルノ伯もそれを感知したらしく、相手の言葉を待った。


「……そうそう。呪術師と言えばな。面白い者どもを捕らえたぞ」


 インヴェルノ伯と凪の目が同時につり上がる。


「特別な呪術を使う一行らしい。治療の続きをと王妃がせがむので、そいつらを見つけて締め上げたが……何のことはない。彼らは首領に命じられただけで、大事なことは何も知らなかった」

「よくある話ですな。聖なるものを騙るサギというものは」


 急いで先を聞こうとせず、とぼけたインヴェルノ伯の方に、王が顔を向ける。


「しかし、面白いことが分かったぞ。彼らは賭場に入り浸っていたという」

「ほう、それはけしからん」


 流石に古狸の伯は、動揺をあらわにすることはなかった。しかし、晶の背筋が冷える。あの賭場が、とうとう逃げられない立場に追い込まれてしまった。気のよさそうな店員の顔が、脳裏に浮かぶ。



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