第108話 現実世界も時は進む
「おお、お嬢さんをびっくりさせてしまったな。お詫びにもう数年したら食事でもどうか──」
「旦那様、この前もその癖で痛い目にあったはずですよ」
ラクリマに釘をさされて、インヴェルノ伯が顔をしかめた。それを見た
「つくづく欲望に正直な男だな、あんた。悪く言えば、俗物だ」
「そうさ、その通り。こんなことを言うのもなんだが、儂は楽して美味いものを食うときが一番幸せだ、と思う。そこに金品と、美女がつけば言うことはない。なんでせっかく生まれたのに、わざわざ大変な思いをせねばならぬ」
インヴェルノ伯は、飾り棚を開けた。そこには、ずらりと禁じられているはずの酒瓶が並んでいる。
「あいつがいくら吠えたところで、禁止したところで、人は一旦覚えた快楽を忘れられはせん。悪も毒も、この世にあるのが当然。肝心なのは、それとどう付き合っていくかということだ」
インヴェルノ伯は宙をにらむ。そこにいない王の姿を見て、彼をあざけっているのだろう。
「戦を起こして、王になって……その制度の歪みを正す気なんですね?」
「いや?」
「え、そうなんですか。てっきり、王になりたいのかと」
「誰がやりたいもんか、あんななんでもやらなきゃならん、面倒な仕事。儂は楽しく元気に富を積み上げながら、実権だけを握りたいのよ。あいつをみじめな張り子の虎にするのが、儂の目的だ」
あまりにも正直すぎる物言いに、凪が肩をすくめた。
「正直に言え。ゴルディアはこの地を狙っているのだろう」
インヴェルノ伯がささやいた。晶がつい反射的にうなずいてしまうと、伯は口をへの字に曲げた。
「戦になれば、税制も港の様子も変わる。せっかく慎重に法の抜け穴を見つけたのに、全てやり直しだ。ぞっとする、死んでもごめんだ」
「徹底してんな、おっさん」
「やるべきことをやっているだけだ。その情報を持って、必ず近いうちに王に会う。治療の件も一緒に報告するから、少し待ってくれ」
晶たちはうなずき、話がまとまった。喜びを自制できなくなったパーチェは飲みまくり、晶より先に潰れてしまう。晶もたくさん飲み食いして、うとうとと船をこいでしまった。
「おい、ガキ共がもう寝そうだぞ」
「それでは皆様、本日はゆっくりお休みください」
「俺はまだ飲むけどな」
ラクリマに案内されて、晶は豪華な寝台付きの部屋に入った。体が柔らかい布を感知した次の瞬間には、晶は眠りに落ちていた。
何故今は長期休みではないのか。晶は学校制度を恨んだ。現実世界のカレンダーが月曜になったため、帰還せざるをえなくなったのである。後ろ髪を引かれる思いで帰国し、晶は朝日を浴びながら教室の中に入った。
「なに、
「ごめんね、バイトの関係で。何か変わったことあった?」
「俺はないけど、お前、夏休みの読書感想文で特別賞だったろ? なんか賞品を入れとくって、担任が言ってたぞ」
「ありがとう」
そんなことはすっかり忘れていた。せめて図書カードでもくれているといいのだが……と机の中をまさぐってみると、筆舌に尽くしがたいほどダサい下敷きと、学校の校章入りのボールペンが入っていた。ペンは軸を回すとライトが出てくる仕組みらしい。涙が出るほどいらなかった。
そんな夏の残滓に泣いているのは晶だけで、クラスでは、すでに文化祭の準備が始まっていた。晶のクラスは怠け者が多く、準備が大変な屋台や劇の類いは早々に却下となった。
ちょっとした言い合いの結果、教室を暗くしてお化け屋敷っぽくすればよかろうとまとまる。
ちょうど朝のホームルームの時間、クラスでは本番で使うセットや衣装の打ち合わせ中だ。しかし、クラスメイトたちが会話を交わす教室の中には、気怠い空気が漂っている。
「めんどくさいなあ。黒いカーテンとライトがあれば、セットいらなくね?」
「衣装もレンタルしようよ。どうせ誰も見てないし」
やる気のない発言の連発だ。学年中から面倒くさがりを集めたような集団だから、仕方無い。しかしこのゆるさは、バイトに精を出す晶にとって助けだった。
「着ぐるみ借りる?」
「やだよ、あれ暑いし前見えねえし」
「でも、一応目玉がないと」
「女子がメイクすれば済むでしょ」
「そんなことできる奴がいると思う?」
「あ、プロジェクター置いてホラー映画流せばいいじゃん」
「それだ」
「……お前ら、少しは真面目に考えろ。決まるまで見てるからな」
度重なる計画変更に、担任から待ったがかかった。今までの行状が祟り、全く信用されていない。結果、ちゃんとした案を出すまで帰れないことになった。
また放課後にだらだらとした話し合いが始まり、晶は眠気をおぼえながら耳を傾ける。結局、目玉は女子の悪魔コスプレでなんとかすることにした。
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