第103話 秘密の研究室

「普段は山や、もっと向こうの草場にいるんだけど普段は山や、もっと向こうの草場にいるんだけど、何日かに一回だけ、あそこでほぼ一日寝転がって日光を取り入れるの。そうやってためた熱で体温を保ってるのよ。」


 あきらは蜥蜴のすさまじさの理由を聞いてようやく納得した。


 口の横に手をあててカッペロ、と呼んでやると、蜥蜴は晶に顔を寄せてくる。近くで見ると、なかなか可愛い顔をしていた。






 岩場を抜けると、その奥は山になっていた。不思議なことに山には青い木があって、草も生えている。常緑樹が大地にどっしりと根を張り、まるでスタンプで絵を描いたように延々と面で続いていた。


 木々があるからか、吹いてくる風の匂いもなんだか湿っているように感じる。所々で、さっきのカッペロたちが木の葉を食んでいる姿が見えた。


 堆く積もった岩とは対照的な森の中を歩きながら、晶は当惑していた。


「昔はあの川がもっと深くて大きくて、水流が岩を削りとって川底があの形を作ったの。今は川が干上がっちゃって、あの一帯は岩しか残ってない。こっちの山は地下水が湧いてるから、雨水とそれで、十分草木が育つのよ」

「なんで干上がったの?」

「新しく村と農地ができて、そっちに水を回すように川の流れを変えたのよ。土木工事のことは分からないから、どうやったかは知らないけど」

「へえ、立派なもんだな」

「だからこの辺りには人影がないのか……」


 晶が嘆息すると、パーチェはなんでもなさそうに言った。


「そうよ。必要な物資だけは麓まで運んでもらうよう、村の人に頼んであるけどね」


 だから下の村と付き合いがある、と言ったわけか。晶はうなずきながら、木々の合間をぬうようにして進んでいった。


 屋敷は高い峰の上にあった。その後ろは転がり落ちたら死にそうな崖になっていて、よほどのクライミング装備がないと登れそうにない。明らかに外敵を警戒するような配置である。博士はここを手に入れた時、何を考えて購入したのだろうか。


 屋敷の黒い屋根に同じく黒い煉瓦の壁、窓枠は白。おしゃれなデザインで、きちんと手入れさえすれば、広い庭と大きな池が映える、上品な屋敷であっただろう。


 だが、庭は雑草の見本市のよう。池は完全に淀んで水が腐り、全く底が見えなかった。おまけに窓に明りがないものだから、背後の飾り気のない山と一緒に闇に沈んで、余計に辛気くさく見える。パーチェはそんな庭を見たくないとでもいうように、そそくさと玄関まで進んだ。


「入って」

「お、お邪魔します」


 晶はたどたどしく挨拶をした。


 お化けでも出そうな雰囲気だし、さっき足元を巨大な蛇が悠々と通っていったが──家主を前にしてそんなことは言えない。晶は第一歩を踏み出した。


 中に入ると、特定の部屋以外には埃が積もっている。パーチェ一人では、なかなか掃除もできないのだろう。もちろん暖房もなく、各部屋が寒い。正面の扉につながる廊下だけが、きちんと掃き清められていて白い花が飾ってあった。


「さ、入って。ここが研究室よ」


 晶は招かれて大扉の中に入った瞬間、息をのんだ。そこからがらりと、世界が変わってしまったかのようだ。


「すごい!」


 まず驚いたのは、部屋の天井の高さである。三階までぶち抜きにしてあるため、照明が暗くても息苦しさを感じない。窓が大きければもっと日の光が入ってきただろうが、窓は天井付近に申し訳程度についているだけだった。まるで矢を射かけるためにできたような小さな窓である。しかもその大半には、ぶ厚いカーテンがかかっていた。


「うわあ……」


 晶の目は、今度は下の方に向いた。部屋の壁のあちこちに、動物の標本がぶら下がっている。全部で数十体はあろうかという骨たちは、無言で訪問者を見下ろしていた。気の弱い者なら、悲鳴をあげそうな光景だ。


 ただ、晶はそう恐ろしくは思わない。中途半端に腐った肉が残っていないので、つるりとして綺麗だと感じるくらいだ。


「全部同じ動物だな」


 全ての標本を見て、なぎがつぶやく。確かに、骨たちは同じ形、同じくらいの大きさだった。


「実験動物か……わざわざ残しとくあたりが、ロマンチストだな」


 凪はそう言いながら、階段を登っていく。部屋の壁面は全て本棚になっており、隙間なくぴったりと書き付けを綴じたものや本がつっこまれている。本屋や図書館特有の匂いがして、晶は深く息を吸い込んだ。


「見たいなら見てもいいけど、汚さないでよね。もう買えない本もたくさんあるんだから」


 パーチェの許しを得て棚に近付き、晶は次々に本を見ていく。確かに紙自体が黄ばんでいる古い本もたくさんあった。


「あ、ノートだ。手書きみたいだけど、博士のかな?」


 晶が気付くと、すぐに凪がそのノートを引っ張り出す。研究内容が見たくて、我慢が出来なかったらしい。


 しかし凪はそれを静かに閉じて、こう言った。


「目がやられる」




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