第101話 謎の声

 ようやくあきらの足が地面についた時、どうっと強い風が吹いた。それで煙幕が晴れ、蜥蜴たちの姿が見えてくる。ということは、向こうからもこっちが見えているのだ。


 また全速力で走る。後ろから聞こえてくるのは、足音ではなく地響きだ。止まったら殺されると、本能が告げてくる。


「晶、こっちだ!」


 赤い岩が終わり、黒い大きな岩が互い違いに交叉している部分。そこになぎが飛びこんだ。晶もわけがわからないまま、隙間に体をねじこむ。


 岩に蜥蜴たちがぶつかり、ずしんと大きな音をたてた。しかしここの岩は頑丈で、蜥蜴の攻撃にはびくともしなかった。


「ざまあみろ。落ちた岩でもかじってやがれ」


 凪が軽口をたたく。状況は明らかに変化していた。安心した途端、途端に晶の両足が重くなる。


「はあ……」


 ため息とともに、晶はよろめいて、岩と岩が作っているわずかな隙間にへたりこむ。凪はうまくいったなあ、と言いながら荷物を整理していた。もうすっかり、気持ちが切り替わっている。


「凪ってさ」

「ん?」


 晶の問いに、凪が振り返る。顔を見合わせる格好になったとき、晶は思いきって聞いてみた。


「今まで、何してたの?」


 たいていの大人が嫌がるような事態でも、凪はさっさと適応してしまう。それをすごいとか、頼もしいとか、逆に傲慢だと言う人もいるだろう。しかし晶は、危うさを感じるのだ。


 恐怖は人間に備えられた、大事なブレーキの一つである。凪はそれが、どこか壊れているようなところがある。その原因がなんなのか、教えてもらいたいと思っていた。


「ねえ」


 晶がしつこく聞くので、凪は訝しそうな顔をした。


「うるせえ。そんなに大層なことはしてねえよ。ただ、子供の頃に変わった家で育ったってだけだ」


 凪はそう言って、固く口をつぐむ。いつもはべらべらと得意げにしゃべるくせに、なだめてもすかしても、これ以上は聞き出せそうになかった。晶は渋々、この試みを諦める。


「子供の頃ねえ……」


 凪は生まれた時から大人だったように見えるが、このオッサンにも幼児期はあるのだ。晶が妙に感動していると、凪がため息をつく。


「しょうもないことに関心持つ暇があったら、あの屋敷に侵入する方法を考えろ。もう失敗はできないんだぞ」

「侵入? 人の家の近くで、物騒なことしてくれるじゃない。乗っ取りでも企んでるの?」


 凪のすぐ横で、聞き慣れない女の子の声がした。晶は声の主を確かめようとして振り返り、絶句する。


「君……それ、何?」


 岩の奥にいたのが、少女であるということは分かった。彼女の髪はバラの色を思わせる濃い桃色だが、それ以外はまるで魔法使いのようにローブも、マントも、靴も、髪飾りも真っ黒だった。彼女は細くて白い腕だけをその黒ずくめの格好から出し、それを組んで、晶たちを品定めするように前かがみになっていた。


 しかし、彼女の瞳の色を知ることはできなかった。顔に、銀色の巨大な鉱石がかぶさっている。バンドらしきもので頭にしっかり固定されているが、それで動いて大丈夫かと聞きたくなるルックスだった。


「これ? ないと見えないのよ、悪い!? フンッ」


 少女は気を悪くして、横を向いてしまった。それでも、彼女が年相応の反応を見せたので、なんとなく親しみがわいてきた。晶はほっとする。さっきまで、本当に得体の知れない悪魔か何かかと思っていたのだ。


「誰も悪いなんて言ってないだろ、勝手に被害者ぶんな。悪いのは目じゃなくて耳と頭か?」


 凪は最初から恐いとも思っていないらしく、皮肉をぶつける。彼は生意気な子供が嫌いなのだ。自分と似ているからだろうか。


「どこから来たかもわかんない男に、そんなこと言われたくないわよ!! あんたたち、何しに来たのよ!! この山の呪いがかかるわよ!!」


 案の定、少女が甲高い声をあげながらキレた。その気持ちはよくわかる。


「二人とも落ち着いて。ここがどこかはちゃんと知ってるよ。僕たちはサリーレ博士と話をしたくて来たんだけど……」


 ことの次第を身振り手振りも含めて説明しようとする晶を、少女は白い目で見た。


「パパに? どうせ、あんたもパパの研究を馬鹿にしに来たんでしょ?」

「違うよ。真面目な話。お願いします、探してたんです。博士に会わせて」


 晶が食い下がると、少女はわずかに身じろぎした。閉口している様子だったのが、少し友好的になる。


「……それで、どうするの」


 少女の剣幕にちょっと怯えていた晶は、ほっとして言葉を継いだ。


「今、死にかかってる子供がいる。その子を助けるのに、博士の知恵が役立つかもしれない。助けて欲しいんだ」

「そう。まどろっこしいのは嫌いだからはっきり言うわ。パパはとっくに死んだわよ。残念だったわね」


 少女は無愛想な表情に戻った。まるで胸の底でたまっていた怒りを、今思い出したとでも言わんばかりだ。予想もつかない対応に、晶は言葉を失う。


「あ、あの……」

「その子供って、王太子でしょ」


 図星をつかれて、晶はとっさに嘘がつけなかった。

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