第99話 いざ山登り

 あきらは最近目方が増えた猫を押しのけて、クロエに聞いた。


「……あまり期待しないでって言ったでしょ? やっぱり、学者たちはお互いに関心なかったわよ。散り散りになって暮らした二年間もあるし、最近の動向なんて知らないって」


 クロエはここで飛び、晶の首に寄り添うようにとまった。


「ただ、学者たちが口をそろえて言ったことがあるの。『サリーレはどうしてる?』って」

「誰なの、それ」


 晶はその名前に、妙に惹かれるものを感じた。それだけ有名な人なら、何か特別なことを知っているかもしれない。


「変人中の変人、らしいわ。誰もやらない研究ばかりしてたみたいだから、目的にはかないそうだけど」

「……そいつの消息は?」


 なぎが口を開いた。


「三年前から行方不明よ」

「なんだ、手がかりなしか」

「話は最後まで聞きなさい」


 混ぜ返す凪に、クロエがぴしゃりと言った。


「最近、エテルノ東部の山中に、奇妙な研究者が住み着いたらしいわ。誘われても外出はほとんどしないみたいだから、こちらから出向くしかないけど──どうする? その山、地元じゃ危険な暗黒の山扱いだったけど」


 晶の心は、一も二もなく決まっていた。




 次の日はちょうど土日にあたったため、晶と凪は登山に全てを賭けることにした。装備を調え、地図から直接山に立つ。さすがに標高が高い分、下界よりも寒かった。


 見上げた先に、古びた館が建っているのが見えた。森の中にうずくまっているように、高い木々の間から黒い屋根がちらりと見える。それは暗黒の山にふさわしい、魔女の屋敷のような家だ。


 オットーやクロエが供回りをつけると言ってくれたが、その必要もなかった。


「……ずるい手だねえ」

「国民的RPGの移動魔法より良心的だ」


 館の前に直接降り立ってもよかったが、魔方陣のことを聞かれても面倒だ。晶たちは数百メートル下から、歩いていくことにする。この時点では、屋敷へ無事に到着することを、全く疑っていなかった。それが致命的な過ちだと気づくのは、少し後の事だ。


 山の上の方にはちゃんと木があるのに、晶たちがいるところは岩だらけだった。


 それでも、全く生物がいない過酷な環境ではない。岩棚の上に器用に巣を作っている鳥が羽を広げて晶の頭上を飛び、さらに横手ではハイエナのような獣が死肉を巡って争っている。


「変な動物ばっかりだね……」

「気にするな。そいつらは小物だ。武装した人間にはなすすべねえよ」


 凪はそうだろうが、晶は怖かったので、彼の後にぴったりくっついていく。時折異様に低い動物の鳴き声が聞こえ、岩を砕くような音がしたが、その主の姿はついぞ見えなかった。なんだかあざ笑われているような気がして、晶は思わず首をすくめる。やはり魔除けのお守りくらい、持ってくるべきだったか。


 その様子を見た凪が、ため息をついた。


「風がちょっとざわついたくらいでびくびくするなよ。ガキだな、お前は」

「凪と違って、危機管理能力があるからね」


 晶は軽口を叩いたが、内心恐いことには変わりなかった。短い距離だというのに、この山を抜けられるか不安になっている。そのせいか、普段より足の疲れが早く来たような気がした。はっきり遅れ始めた晶を見て、凪が言う。


「一旦休憩して、水でも飲むか」

「……賛成」


 立っていても仕方無いので、晶は腰を下ろす。水を飲んでから、周りの赤と白が混じった岩に触ってみる。手に細かい破片が、たくさんくっついた。


「あんまり触るなよ。その岩、もろいぞ」

「ほんとだね」

「じっとして聞いてみろ。さっきから岩の崩れる音がたくさんしてるだろ」


 岩に手をかける晶を見て、凪が顔をしかめる。言葉を止めて耳をすませてみると、確かにガラガラ……と何かが崩れる音が、山びこを伴って聞こえてくる。


「それでこんな変わった形なのかな」


 岩の先端は、まるで塔のように鋭く尖っている。


「アメリカみたいだな」

「そうなの?」

「柔らかい岩が風雨で削られると、こういう形になるんだ。あっちにはもっと大きな谷があるぞ」


 晶に教えながら、凪はどこか懐かしそうな顔をしていた。


「ふーん。凪は行ったことあるの?」

「ああ。大学受かったら、海外旅行に一回は行っとけよ。就職しちまったら、長期は無理だから。うちは休み取って構わんぞ」


 それもいいかも、と晶は思った。


「あっちなら、普通に歩く分には、モンスターもいないしね……」


 晶は声をひそめて言った。それには理由がある。目の前で、巨大な蜥蜴が昼寝しているのを見つけたのだ。彼らが身じろぎするたにに晶は叫び声をあげそうになり、それをなんとかこらえる。


 蜥蜴たちは薄桃色の体をしていた。色だけならかわいいが、体を覆う頑丈そうな鱗は戦闘用そのものだ。全長は四~五メートル、体高は三メートルほど。本気を出されたら、人間など簡単に踏みにじられてしまうだろう。


「ちっ、前より上にいやがる。餌場を変えたな」


 下調べの際はもっと麓にいたはずなのだが、いつの間にか蜥蜴たちが移動している。ただ、全個体が気持ちよさそうに眠っているため、静かに進めば抜けられそうだ。


「どうする?」

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