第96話 人外の密偵
しかし考えてみれば、長年領土を接してきたゴルディアからしてみれば、テンゲルは「鬱陶しい奴」以外の何物でもないだろう。仲良くすればなどと、賢しらに言えるはずもない。
「おや、着いたぞ。こちらばかり愚痴を言ってしまったな」
こちらも顔見知りになった、執事が迎えに来る。一行は馬車を降りて、オットーの屋敷内へ進んだ。
執事が整えた豪勢な装飾品が並ぶ部屋で、ようやく晶たちはエテルノについて聞くことができるようになった。上座側の長椅子にオットーとレオ、下座側の椅子に
話が始まる前に、凪が晶を振り返る。
「エテルノ──オーロの国で、ゴルディアの西隣な。ちなみに東隣がテンゲル・フフ」
晶は驚いた。必死だったから気づいていなかったが、オーロとレオの国は隣同士だったのか。
「そこの先王の話は知ってるんだったな、晶?」
「色々ロクでもない話は聞いてるよ。浪費癖とか、女癖とか」
「それだけ知っていれば十分だ。……俺たちの知識はそんなところだ。現在の状況については、できるだけわかりやすく頼む」
凪が言うと、オットーは首を縦に振った。
「では、今の状況を説明させていただく──エテルノでは、都が二つに割れ始めている。これはあくまで私の推測だが、ゴルディアは近いうちにエテルノに攻め入るのではないだろうか。今なら、体よく国を奪えそうだからな」
「へえ……物騒なこった」
凪が上等な茶をすすりながら、皮肉っぽくつぶやいた。
「もしかして、インヴェルノ伯が原因か?」
「ああ。現王は理想高く、仕事も真面目にこなしている。しかし娯楽を軽んじる傾向があってな。贅沢をいましめ、犯罪を減らすためといって、酒と賭博に娼館、それに豪華な芝居を禁じてしまった」
「そのうち、道で遊んでいてもダメだと叱られそうですね。兄上」
レオが言った。奔放な彼も、兄にだけは丁寧語を使う。
「酒と賭博は知ってたが、娼館も芝居もかよ。それじゃ、そこで生きてる連中は不満もたまるな」
「ナギ殿の言う通りだ。しかし重苦しい雰囲気を気にしない者もいる。インヴェルノ伯は、その筆頭だ。元々広い領地を持ち、密貿易でかなりの資産を持っていた。その財力を生かし、貴金属や美術品収集家としても名を成している。国王反対派に、彼が出した袖の下はかなり行き渡っているとみていいだろう」
「……今の時点じゃ、王家が不利だな」
「さぞかし頭が痛いことでしょうね。対抗して規則を緩めれば、負けを認めたようなものだし」
「それに持っていった伯が上手いともいえる」
「手強い奴よねえ。うちでも無理だったもの。ただ、実利最優先だから先読みがしやすいのは助かるけど」
「……ねえ。一つ質問いい?」
蚊帳の外に置かれていた晶は、話の隙間にようやく割り込んだ。
「なんだい?」
「特に難しい話じゃないだろ」
「そうよ」
「いや、そうじゃなくて……なんで急に一人、増えてるの?」
晶は恐ろしさをこらえて、その「増えてる」人物を指さす。
「わあっ」
「いつからいた!」
「そしてどこから湧いて出たッ」
「人を虫みたいに言わないで。血ィ吸うわよ!」
黒いヴェールをあげながら、割り込んでいた緑髪の女がざわつく一同をにらむ。砂時計状の体型が強調された服を着た女は、悪びれた様子もなかった。
「クロエ、待てやめろ、ギャー!!」
結局、彼女の鬱憤晴らしのために凪が捕まり、血を吸われた。南無。
クロエは貴族かつ吸血鬼という、変わった御仁だ。吸血鬼だからといって日中活動できない、という縛りはない。その変身できる特性を生かして情報を集め、それを利用した政治工作に忙しいという女傑である。
「ああ、すっきりした。せっかく来たのに誰もいなかったから、勝手に入ったわよ。コウモリの姿だと、楽ね」
そう言うと、一瞬の赤い光と共に、ぱっとクロエの姿が消えた。彼女がいたところに、握り拳大のコウモリがちんまり座っている。ただし必要性がないので、クロエはすぐに元に戻る。
「すみませんでした。こちらのお二人を迎えに出ていたんです」
「なんでこの忌々しい女を呼んだ、オットー……」
屍蝋のような顔色の凪が、うめく。オットーはそれを見て苦笑した。
「モンフォール家は王家とのつながりが深いもので」
「辺境のあんたたちでは分からないところの補足をしてあげてるのよ、感謝なさい。無事に帰りたければ大人しく聞くことね。さて、今はインヴェルノ伯が有利って話だったけど……近く、内乱がありそうっていうのは間違ってると思う」
クロエは全てを予知しているかのような顔で言った。晶のざわついていた内心が、少し落ち着く。
「ヘタに揉めたらゴルディアが入ってくるってことは、伯も知ってるでしょう。私はインヴェルノ伯は、ただ『待つ』と思うわ。王の息子が、そろそろ死にそうだって評判だし」
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