第93話 責任の所在

「原因がはっきりして良かったわね。後は、その子の親にどう伝えるかだけど」

「……そうだな」


 おそらくあきらと同じものが見えているなぎは、言いよどんだ。


「人の命に関わるんだから、真面目にやれよ」


 力石りきいしが凪をたしなめる。しかし凪は、誰よりも近い友人にさえ、気のない返事をしただけだった。


「力石さん、初穂はつほさん、すみません。今は、ちょっと疲れてるみたいで」


 晶は無理して笑顔を作る。力石と初穂はそれで何かを察したのか、それ以上の追求はせずに帰っていった。


 扉が閉まり、沈黙が流れる。晶は食器を片付けながら、本当の話をするタイミングを待った。晶は凪が窓の外を見るのを確認し、聞いた。


「あの世界に、注射ってあるの?」

「ない」


 無意識のうちにか、凪の声がきつくなっている。それでも晶は続けた。


「インスリンって概念は?」

「もっとない。この世界でも、発見されたのは約百年前だぞ」


 晶の目の前が、真っ暗になった。持っていた布巾を落としていたと気づくまでにも、しばらくかかる。


「……じゃあ、オーロは」

「死ぬしかないな。あの状態じゃ、そう長くもたないだろう」


 凪はばっさり結論を口にした。それが自分に変な期待を持たせないための大人の優しさだとわかっていても、晶の胸には苛立ちが広がる。


「……こっちなら、治せるのに」


 晶は小さな声で抗議した。それを見た凪が舌打ちをする。


「世界が違うってのはそういうことだ。あっちじゃ絶対助からない。後はセータにどう説明するかだけ、考えてろ」


 凪はそう言うと、検査結果の紙をぐしゃぐしゃに丸めて、ゴミ箱に投げる。紙くずは四角い箱の縁に当たって、何度か跳ねた。


「ねえ。インスリンって、どうしたら手に入る?」

「馬鹿言ってる暇があったら、勉強でもしてろ。何度も同じ事を言わせるな」


 晶は必死に凪に聞いた。しかし彼は、完全にこちらに背を向けている。


「少年よ。それは無理な相談だぞ」


 見かねたのか、黒猫が身をくねらせて、晶の膝にのってきた。視線が一瞬合ったのを、晶はわざと外す。


「……関係ないでしょ、黒猫には」

「ならば番人の私から話そう。文句はないな」


 カタリナが現れた。晶は反射的に、自分の耳をふさぐ。


『無駄なことをしおって』


 さっきよりくっきりと、番人の声が聞こえる。頭の中の、深いところが揺さぶられているようだった。


『魔術を使って、直接お主の頭に語りかけておるからの。耳程度ふさいでも無駄なことよ。──いいか、晶。今回は、諦めよ』


 晶は反射的にかぶりを振る。言葉は分かっても、理解するのを体が拒否していた。


『あの世界は、かつて忌まわしい理由で癒やしの術の使い手を放逐した。しかしそれにとってかわった医術は、牛歩というのもおこがましいほど発展がのろい』


 辛うじて発達したのは、外科分野。戦になれば怪我人が出るため、それに対処しなければならないからだ。しかし、内科疾患についてはほとんど手つかずで、流行病が発生すれば万の単位で人が死ぬとカタリナはいう。


「……カタリナだって、その人たちが助かったら嬉しいんじゃないの?」

『私にも感情はあるからな』

「だったら、僕たちがそれをやれば──」

『しかし、番人としての答えはこうだ。丈夫な体に生まれなかった、病原菌と接触した、重要な臓器が損傷した──そういう者は死なねばならぬ。それが、今あの世界に生まれたものの宿命だ』


 カタリナは、ぴしゃりと言い放った。まるで命を軽視しているかのようなその発言に、晶は唇をかみしめ、両手を振りかぶった。


「それでいいの!? 番人として、何も考えてない状態で止まっていいの!?」

「何も考えてないのはお主じゃ、愚か者」


 魔術を切って、カタリナに正面切って罵倒された。彼女は、今まで見たことがないような厳しい表情をしている。


「お主がこちらから薬を持ち込んだとしよう。その病人は治り、みんな喜ぶ。しかし、それでめでたしめでたしとはならんのだ。必ず『次』を期待されるぞ」

「……次?」

「病で苦しむ者は一人や二人ではない。噂はあっという間に広がり、とんでもない数の人間がお主の周りに集まってくるだろう。その全てに、責任持って治療が施せるのか」


 カタリナの言葉で、晶の胸に穴があいた。盛り上がっていた熱意が、嘘のようにしぼんでいく。そうなったら自分は、さっさと逃げることを考えてしまうのではないか。それくらいの凡人だという自覚はあった。


「できぬだろう、できるわけがない。自分の学費すら用意できない小僧だからな。それで救世主気取りなど、おこがましいわ。凡人ごときが、安い英雄譚に心を奪われおってからに」


 カタリナの目尻がつり上がった。高みから、晶を見下ろして叫ぶ。


「所詮お主がオーロにこだわるのは、自分が関わって情が移ったからというだけよ。善人面して、やっていることはただの依怙贔屓ではないか。……何か言いたいことがあるなら反論するがいい」


 晶はその言葉に対して、何一つ言い返せなかった。

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