第86話 死にかけの王子

 なぎは手に持ったカードの中から注意深く五枚を選び、絵を表にして卓の上に置く。


「さ、この中からひとつ好きな絵柄をお選びください。ただし、どれに決めたかは口にしてはなりません」

「何故?」

「私には、あなたのお望みも分かるからですよ。魂の殻すら、私にとってはあってないようなもの」


 歯の浮くような台詞に説得力が出るのだから、美形というのはつくづく得だ。初穂はつほが整形した理由が、少し分かる。


 王妃はもの珍しげに凪を見つめていたが、しばらくしてひとつうなずいて見せた。


「お決めになりましたか」

「え、ええ」


 すると凪は出したカードをとりあげ、再び一つの山に戻した。それをまとめて右手に持つ。


「では、頭の中でお選びになったカードのことを、強く思い浮かべてください」


 王妃は素直に目を閉じ、思いをこめている。衛兵たちが、疑いの目で凪をじっと見つめているので、あきらは気が気でない。少しでも不審な動きをすれば斬る、と衛兵たちの顔に書いてあった。


 だが、凪はカードを抜くどころか、ひとまとめにしてつかんだままだ。晶の手に汗がにじんできた時、凪が動いた。


「む、見えました」


 凪が上を向いてきっぱりと言い放つ。


「私がこの右指を鳴らせば、哀れな紙片は消えます。よろしいですね?」


 王妃がうなずく。凪がカードの束を卓に置いた。一拍遅れて、ぱちんと凪の右手指が鳴った。


 晶はそれを聞いてから、すぐにカードの方を見る。机の紙束には、なんの変化もない。しかし凪は、困るどころか目を細めて喜んだ。


「無事に消えました。お手にとってご覧下さい」


 衛兵が、先に凪が差し出したカードを改めようとする。誰か分からない男が触ったものだからだ。しかし王妃はそれを制し、顔を上気させながらカードをめくった。


「……ないわ」


 王妃の口から、つぶやきがもれる。彼女の声は、驚きのために徐々に大きくなっていった。


「不思議! 本当に、消えてしまった」


 王妃は卓の上に、カードを広げてみせる。彼女の目は、子供のように輝いていた。


「子供が犬を連れている絵を選んだのに、ないわ。彼は手も触れなかったのに!」


 何かの間違いではないかと、従者たちもカードを改める。しかし、目当ての絵柄はなかった。彼女たちも、奇跡が起きたのではとささやき始めた。


「小手調べです。お疑いなら、もっと大きな術も使えますが、どうしましょう?」


 凪はゆったり構えている。しかし王妃は立ち上がって叫んだ。


「いいえ、とにかく早くオーロを診てちょうだい。そしてあの子から、病気を消し去って!」

「御意」


 王妃は子供部屋の扉をさした。衛兵が開け始めた扉の中から、人間が動く気配が伝わってくる。


 晶は凪たちの後方を歩きながら、長いため息をつく。あのカード、術で消したなんていうのは、全くの嘘だ。どうせすり取って、体のどこかに隠したに決まっている。


 しかしけっこう近くに居た晶の目から見ても、凪におかしな動きはなかった。少なくとも十数人が注目している中で、彼はどうやってカードを消したのだろう。


 そもそも王妃は、何を選んだのかすら明かしていない。凪はどうやって、それを特定したのか。晶がいくら考えても、分からなかった。




 淡い紫の壁に、白いタイルの床。上品にまとめられ、すっきりと片付いた部屋は大人のそれにも見える。部屋の棚に飾られた人形が、わずかに子供部屋の残滓を残していた。


 部屋の中央に据えられているのは、大きなベッド。銀刺繍の天蓋と細かい編みが入ったレースに覆われたそれは、目が吸い寄せられるほど豪華だった。しかしそれに寝ている主は、半ば亡骸と化していた。


 王妃と同じ銀の髪だが、その色と変わらないほど顔色が白い。それに、骨が見えるほどやせた体。これは、症状を進行させないための食事制限の結果だそうだ。セータの言っていた通りである。


 食事をとらず脂肪がなくなっても頭はさほど縮まないため、ひどくバランスが悪く見える。絵物語の幽霊と見まがうほどの姿だと、反射的に晶は思った。これでなぜ死んでいないのか、と晶の本能が問いかけてくる。


 彼が致命的な病に冒されていることは、疑う余地もない。彼のあげるうめき声は、晶が聞いてもいたたまれなくなるものだった。それでも、ごくまれにまばたきする時だけ、別人のような父親譲りの燃える瞳を見ることができた。


「さ、早く。その不思議な能力で、病を消し去ってちょうだい!」


 王妃が術士たちを呼ぶ。術士たちは恐れた様子もなく、オーロの方へ近づいていった。晶もついていく。


「眠ってからの方が、恐怖がなくてよろしいでしょう」

「いつものように、調合させていただきます」


 まずは馴染みの術士たちが天蓋に入り、大切に持ってきた薬を子供に飲ませる。鎮痛剤・鎮静剤としての効果はちゃんとある物らしく、オーロの息が整い、苦しげな素振りが消えていった。


 術士はそれを見届けると、オーロに上掛けをかける。


「さ、お眠りになるまでは会話ができますよ」

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