第85話 三文芝居の始まり

「これを刺して、血液をとる時間がいる。どうしてもいる衛兵、従者、そして王妃の気をそらさなきゃならない」

「僕が歌でも歌おうか」

「慣れないことはよせ。音楽の成績『2』のくせに」


 痛いところをつかれた。あきらは、生まれた時から音痴なのだ。変なリズムで泣くから、看護婦さんや母が笑っていたらしい。


「策は、もう考えてある」


 そう言ってなぎは、白い石を見せた。


「寝室の窓の外に、池がある。俺が合図したら、これをそこに投げ落とせ」

「それだけ?」

「それだけ」

「ええ……これ、なにかのマジックアイテム的なやつなの?」


 石は片手でも楽に持てた。重く見積もっても、せいぜい五百グラム。池に落ちても、音や水しぶきは大してないだろう。


 しかし凪が天下を取ったような顔で「大丈夫」と言い張るので、晶はそれを受け取って身支度をした。


「あっ、先生」

「今日はどうぞよろしく。へへへ……」

「おう。世辞はいいから、荷物を見せろ。余計なことをされちゃ、俺の命が危ないからな。あと、色々と準備をさせてもらうぞ」


 横柄な凪にへり下る呪術師に向かって、凪は何やら呪文を唱えたり、謎のクリームを腕にすりこんでやったりした。身を寄せ合う彼らを見て、晶はため息をつく。王妃の前でもないのに、キャラ作りが妙に厳重だ。


 準備が終わると、晶たちは王太子がいる離宮へ向かった。そびえる城壁に作られた門をこえ、広々とした庭へ入る。入る地点が違うと、庭はがらっと違う表情に見えた。


 前の時はセータが気になってよく見えなかったが、石造りの堂々たるたたずまいだ。両側に均等の間隔で美しい塔が建ち並び、離宮の周りには澄んだ水をたたえた堀がある。


 ただ、外壁の上に大砲はなく、詰めていた衛兵も姿を消している。とりあえずこの周辺では、凪の捜索は諦めてくれたようだ。


 庭の行き止まりまで進むと、そこが離宮の玄関口だった。一流ホテルも青ざめるほど大きなシャンデリアがかかっていて、その周囲には天使のような生物をかたどった天井画がある。晶は絵の見事な色彩に感動して、ぼうっとしていた。


「……王妃がおいでになったぞ」


 呪術師がささやく。晶は凪に脇をつつかれた。晶は息をのみ、前方を見つめる。そこに人の姿を見つけるやいなや、呪術師たちが素早く絨毯の上に伏せた。晶も促され、彼らにならう。


「ようこそ。息子がまた、痛みを訴えております。神の恵みをお与えくださいませ」


 王妃は女性にしては背が高く、凪とほとんど変わらない。ドレス自体は簡素な物だが、金と宝石をふんだんに使った首飾りと腕輪は素晴らしかった。


 それだけに、目の下に隈をつくっている彼女のやつれ具合が目立つ。普段は王族らしく凜とした人なのだろうが、今は時々よろめいていて、まっすぐ立つのも辛そうな具合だ。侍女が二人、常に主君である彼女の側に控えている。


「いや、王太子のお役に立てるのなら」

「あなたたちには感謝しています」


 小汚い男に向かって、品の良い夫人が頭を下げる。晶にもわかる、異様な光景だった。それだけ王妃は追い詰められている。


 泣き出しそうな顔の王妃に急かされて、不敵に笑う凪たちは、狙い通り子供部屋へ連れていかれた。しかしまずは前室に案内され、そこでオーロの準備が済むまで待つように言われる。


 この部屋は待合になるようこしらえられていて、客が退屈しないように本やゲームの類いが置いてあった。


「あら、そちらは?」


 ここでようやく、王妃が晶たちに気付いた。晶は素顔だが、凪は念のため顔の下を布で隠している。奇妙な服装で囚人だとばれませんように、と晶は願った。


「初めてお目にかかります。諸国を渡り歩いております、術士にございます。今回、こちらの方に手を貸すことになりまして」


 いつもより幾分低い声で、凪が言う。用心のために、声を変えているのだ。


「あなた、名は?」

「ございません。全て消えてしまいまして」

「なんですって? いったい、どうしてそんなことを言うのです?」


 からかわれたと思ったのだろう、王妃の顔が険しくなる。他の呪術師たちの顔が、青ざめた。


「失礼。これは私の能力によるもの。あらゆる物を神に捧げる生け贄として消す代償に、名を失ったのです。……もちろん、病であっても消すことができます」


 凪が自信たっぷりに言い放った。とんでもない事情だが、恥ずかしげに言い放つので本当っぽく聞こえる。


「その能力の特殊さゆえに、旅暮らしをしております」

「本当かしら」


 王妃がわずかに鼻白んだ。そんな都合のいいことができるのか、と戸惑っている。


「お疑いなら、試しに何か消してみせましょう。そこの玩具をお借りしてもよろしいか」


 凪が棚の隅を指さす。オーロが遊びで使うのか、絵が大きく描かれたカードセットがそこに置かれていた。


「まあ、あんなもので? ……あまり手に取る気にもなれなかったもので、ちゃんと使えるかも分かりませんが……」


 口では否定しつつも、王妃は興味を示した。凪は彼女に断ってから、立ち上がってカードを取る。そして卓の前の椅子に座った。

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