第81話 地下への階段
──ただのお茶だった。日本のものより甘いが、それ以外に特別なことはない。飲み干して空のグラスを観察しても、何も浮かんでこない。しかも調理場から、とんとんとリズミカルな料理の音まで聞こえてくる始末。賭場はどこにいったと聞きたいが、あまり露骨な動きもできないので、晶は困った。
「ほら、料理も来たぞ」
とうとう、焼き飯のような食事まで来てしまった。大人二人は、涼しい顔でそれをつついている。自分だけおどおどしているのが馬鹿らしくなって、晶は目の前の飯に匙をつっこんだ。
味つけはニンニク醤油味のチャーハンにそっくりだ。飯と一緒に、刻んだ獣肉とネギに似た野菜が入っている。晶好みの味だが、味付けが濃くてやたら喉が渇く。それは
「どうですか、うちの伝統料理は」
ラクリマが晶に聞いた。
「おいしいです……でも、ちょっと濃いかな」
晶が正直に言うと、ラクリマがにっこり笑う。
「ここは肉体労働のお客が多いですから。汗をかいている時に薄味だと、食べた気がしないでしょう? まあ、この店は特に濃いですが」
ラクリマが水を向けると、店員が口を尖らせる。
「心外だな。このぴりっとした味がいいっていう客が多いんだぜ」
「確かにいろんな味がするな。ハーブか? これ」
「ええ、ここらの家は庭でいろいろ育てているのですよ。皆、売らずに囓ったり刻んだりして消費してしまいますがね」
ラクリマの話を聞きながら、晶は最後の飯をたいらげた。結局、何も起こらなかった。このままだと本当に、ただ夕飯を食べただけではないか。
再び不安になってきた晶が指先で机をたたいていると、ラクリマが立ち上がった。
「店主、勘定を」
二人が小銭のやり取りをしている。すると最初に接客したのとは別の店員が、晶と凪に寄ってきた。
「出口はこちらです。ちょっと分かりにくいところにあるので、ご案内しますよ」
「先に行ってください」
会計を続けながら、ラクリマが言った。凪が晶に目配せし、歩き出す。さっきまでの眠気が吹き飛んだ。晶は慌てて、雇い主を追いかける。
奥の扉をくぐると、調理場が見えた。食材置き場の角を曲がると、その横を、細い廊下が走っている。廊下の行き止まりの壁がどんでんがえしのように外れていて、その先には下へ続く階段がある。
階段は、永遠に続くかと思えるほど長い。晶は手すりに手を伸ばした。だんだん地上の明かりが遠ざかり、店員の手持ちランプだけが頼りとなる。岩盤をごっそりくりぬいて作ったような構造だ。
「大丈夫なの?」
問う晶の声が、狭い階段に当たって響いた。凪が振り向き、黙っていろという視線を投げてくる。
階段が不意に終わった。そこが賭場かと思ったが、ただかび臭いだけでがらんとした石壁の一室だった。晶が流石に苛ついてきた時、ラクリマが追いついてくる。
「この方々は初めてですので、説明をお願いします」
「では、ご案内します。この奥の階段を下まで行けば、酒場と賭場があります。中に入ったら本名は隠してください。お互い呼ぶ時は、ブローチの動物名のみです。あと、うちでできるのはカードとルーレットだけなのでご了承ください」
店員は前掛けの中から、ブローチを取り出す。ラクリマは猿、凪は馬、晶は羊だった。全員が身につけたのを確認すると、若者は片側の壁にあった空っぽの棚に手をかける。
重そうに見えた棚が、横にするりと滑った。隠れていた部分の壁が大きく奥にえぐれていて、そこから更に下に向かって階段が伸びている。
「じゃ、ごゆっくり。帰りたいときは、中の店員に声をかけてください」
この店員の役目はここまでらしい。晶たちが階段に入ると、棚はまたのろのろと動いて元に戻った。
暗い地下には、定期的に明りが置いてある。天然の洞窟を利用した通路には、時々どこかから風がふいてきた。だが、まだ人の気配はない。
「どうされましたか、難しい顔をなさって」
「ああ、特別なことじゃないんですけど……店員さんたち、普通だったなって」
「入れ墨ついた、ごつい兄ちゃんがいると思ってたか」
凪がにやつく。晶は頬を膨らませた。
「だって、ギャンブルって非合法じゃん。常識なんて通じない、恐ろしい人がやってるんじゃないかと思うよ」
その言葉を聞いたラクリマが、足を止めた。
「……まあ、アキラ様のおっしゃる通りです。裏の世界とつながっていない賭け屋などありません。そう思っておく方が賢い生き方というものです。しかしここにはちょっと、事情がございまして」
「事情?」
「元々この店には、賭場なんてなかったんですよ。気の良い店主とその家族がやっている、ただの飲み屋でした」
高級路線ではなかったので、決して楽な経営ではなかった。しかし近所の人々から愛されており、店主は家業を心から楽しんでいたという。
「そういう人間は、実はあまり多くない。幸せな奴だ、と皆に言われていました」
だが、国王のある政策によって彼らの余生に逆風が吹く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます