第80話 賭場への入り口
「昔はこんなんじゃなかった。俺が病気になってから……ファンゴ王との関係は急に悪くなったんだ」
セータは伏せっていたため、詳しい経緯は知らない。しかし、周りの対応が変わったことにはすぐ気付いたと言う。
「それまではひっきりなしに貴族が来てたけど。病気を移されるのも王に睨まれるのも嫌なんだろう、ぱったりなくなったよ。俺も、友達が誰もいなくなった」
その中でただ一人、交流を続けてくれたのがオーロだったという。
「今は病気だから全然だけど……昔は木登りだって走りだって、あいつの方が上手だった。家臣の目を盗んで、しきりに遊びに来てたよ」
セータは窓の外を見つめながらつぶやく。花壇の奥に、背の高い木が集まった小さな森と、その中に輝く小さな泉が見えた。きっと、昔は子供たちの格好の遊び場だったのだろう。人のいない森はひどく素っ気なく、夜なので余計に寒々として見えた。
「俺はいつの間にか元気になったけど、今度はあいつが病気になった。他の連中はこう思ってるだろうな、俺からうつったんだって。あんな病気の奴によくするからだって」
晶は、セータがオーロの元に通い続ける理由が分かった。
一回起こったことなら、二度目もある──今度は自分が、オーロの病気をもらい受ける気だったのだろう。しかしそれは、いつまでたっても起こらない。それでもいつかを信じて通う。彼は思った以上に気丈な男だった。
「晶。俺のこと、危なっかしくて見てられないって言ったな」
「……ああ、言ったね」
「でも、止まれない。あいつが元気にならないと、俺はだめだ。いつもくよくよして、心の底から笑えないんだ。だから……少しでも気になるなら、協力してほしい」
肩を落としたまま、セータが懇願する。晶は大きくうなずいた。
昼間はさわやかな水色の町も、夜の闇の中では深青の底に沈む。話し声や物売りがたてる音もなくなっていた。時々行き違うのは、異常はないかと鋭い目をした衛兵ばかりである。
急に冷たい風が吹いてきて、晶はぎょっとして上着の前をかき合わせた。
「この辺りは周りより標高が高い。山からの地下水がたっぷり使えるのはいいが、朝と夜が寒いのが欠点だ」
そう晶に教えた凪の横に、ラクリマが添っていた。分かりにくい通りをいくつも曲がったが、老執事の足取りに迷いはない。
「相当通い詰めてるな」
凪がからかったが、ラクリマは足を止めなかった。
「呪術師を探すのはいいけどさ。でも、そこにいるかなあ」
晶は、似顔絵を見ながらつぶやいた。
「いるに決まってる」
「寸前で逃げられなきゃいいけどね……」
凪がやたら自信たっぷりに言うので、晶は呆れてしまった。それと同時に、ラクリマが立ち止まる。
「ここです」
彼が指さしたのは、何の変哲も無い一軒家だった。ただ、中が居酒屋になっているらしく、強いニンニクに似た料理の匂いが漂ってくる。これみよがしな看板は出ていない。ただ時々、落ち着かない顔をした男女が出入りしていた。
晶たちはラクリマについて、その家に足を踏み入れる。中は意外に広い。日本なら鰻の寝床と呼ばれる、縦に長い造りだ。客は左側の壁に向かっている木製のテーブルか、右手にある六脚の椅子が並べられた石造りのカウンターで食事をとる形になっている。
時間は食事時のはずだが、入っている客はわずかに三人だった。すでに料理も出し終えていて、店主は客からの注文を待っている状態である。
さっき入った数と合わない。晶は店内に目を走らせ、計算しながら、そう思った。消えた分が、賭場に入った客ということか。
「いらっしゃい。好きなとこにどうぞ」
主人から声がかかった。ラクリマはカウンターに腰を下ろす。凪と晶も同じようにした。
「注文は?」
髭を生やした店員が、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「シンゴラレはあるかね」
「あいにく、さっき出ちまいまして」
「そりゃ残念だ。……もう店主の姪っ子は手伝いに来ないのかね?」
「先月、嫁に行きましてね」
「……じゃあ、景気づけにウーノをもらおうか。三人分だ」
ラクリマが一旦言葉を切ってからそう言うと、店員の視線が鋭くなった。
「子供もいるじゃないか。やめときな」
「中身は大人だよ。私が保証する」
「あんたに言われてもねえ……店主に聞いてみるから、待ってな」
怪訝そうな顔をした店員が頭をかきながら、奥へ消えていく。凪と晶は苦笑いした。
一連のやり取りが、賭場へ入るための合い言葉なのだろう。ラクリマだけでなく余計な荷物もくっついているから、店が及び腰になったのだ。
しかめ面のまま、店員が戻ってくる。
「仕方無い。出してはやるが、全部食えよ」
「すまんね」
許可が出た。パチンコ店にすら入ったことのない晶は、賭場と聞いてわくわくしてくる。しかしラクリマはどこにも移動せず、ただ出された飲み物をあおるだけだ。
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