第79話 地震・雷・火事・親父
一通り話が終わって、
「親父だ」
「晶、聞かれたら市場のことでセータと知り合ったと言っておけよ。それ以外の話は一切無しだ」
全員がその認識を共有すると同時に、すさまじい足音が廊下から聞こえてきた。歩いているというより、力任せに地面を蹴っていると表現した方がいい。まるで猛獣が飛び込んできたような音が響き、こちらに近付いている。
ラクリマが扉を開いた。
「○△□×○△」
怒りが限界に達しているのか、とてもまともに表現できないような悪口雑言と共に、セータの父──インヴェルノ伯という伯爵だと凪が言っていた──が入ってきた。彼につきとばされないよう、ラクリマが心得た様子でさっととびのく。
セータと同じ髪と肌色を持つが、美食に明け暮れているのか、彼の腹は風船のように出ている。しかし彼の手足はがっしりしているし、顔に肉がついていないため、奇妙な男前が完成していた。腹さえ丸くなければバランスがいいのに、なんだか人間離れして見える。同じ大きな男でも、国王とは与える印象がずいぶん違った。
「ち……父上、お帰りなさいませ」
セータが別人のように体を固くして、父を迎える。インヴェルノ伯もさすがに息子は可愛いらしく、ぱっと恥じた様子で口をつぐんだ。
「セータ。体は大丈夫なのか」
「はい。武術・体術の習得に励んでおります」
どこでやった、とは言わないのがセータの処世術である。しかしインヴェルノ伯はそれを見透かしたように、にやりと笑った。
「ならば良いが。ラクリマ、あまり無茶をさせるでないぞ」
「かしこまりました。さて、御酒になさいますか茶になさいますか」
「子供の前で酒でもあるまい」
茶と菓子がそろうと、ようやくインヴェルノ伯は息をついた。腹のボタンがぱつぱつではち切れそうなのに、彼は大口を開いてクリームをぬりたくったクッキーのような菓子を飲みこんでいく。
「──実に下らん話し合いだった」
貴族とは思えぬ大胆な手つきで菓子を噛み砕きながら、ぶつぶつ愚痴をこぼす。
「儂があれだけ丁寧に、あらいざらい酒がもたらす利益について教えてやったのに。あの大馬鹿者めはそれを汚らわしいと言いおる」
それが誰を指すかは明らかだ。晶たちは黙って目を見合わせた。
「それは……大変でございましたね」
ラクリマはさりげなく手を動かし、ティーポットからお茶のおかわりを注いだ。
「『金に溺れて人民の健康を害してはならない』などと抜かしおって。城下でどれだけの者が首をくくったかも知らずに、なんと思い上がった言いぐさだ」
伯は歯をむき出しにして唸った。王とインヴェルノ伯の仲は最悪のままだ。晶の横で、セータが居心地悪そうに体をよじる。
「被害はそれだけじゃないでしょう、インヴェルノ伯。もっとまずいことがあるはずだ。その辺り、前と同じようにお聞かせ下さい。今日は私の連れと一緒に、宿泊させていただいても構いませんか?」
「おお、いいぞいいぞ。お前は相変わらず話が分かるな。そもそも、あいつは昔からそうだった……」
凪がインヴェルノ伯に付き合ってしまってから、話が過去にさかのぼり始めた。彼は顔を真っ赤にして話し続ける。
伯に見えないよう、ラクリマと凪が目配せをしてきた。この好意をうけて、晶たちは部屋を抜け出した。廊下に出てもなお、卿の声が風に乗って聞こえてくる。
伯の声が聞こえなくなると、セータがようやくしゃべり出す。
「助かった。親父があの話になると、長くて。酒を規制したい王と酒で儲けたい親父は、水と油なんだよ」
「凪とはどこで知り合ったか、なんとなく予想つくね……」
それは知りたいような気もしたし、知りたくないような気もした。想像とかなり違っていた伯の姿を思いだし、晶はため息をつく。
「許可も出たし、客間に案内する」
セータが呼び鈴を引くと、狭い階段からメイドたちが出てきた。使用人たちの通路がちらりと見える。本館の中からは完全に切り離されていて、彼女らの姿はできるだけ客に見えないようになっていた。
晶はセータに率いられて、二階の一室に足を踏み入れた。
ランプがともされた室内はほの暗いが、揃いの柄の水差しに花瓶、革張りのソファ、高そうなクロスがかかったティーテーブルと、高級そうな調度品が見えた。晶にはとても余るような寝台が、部屋の中央にでんと置いてある。
「荷物は?」
「……これだけなんだよ。着替えは一着だけ」
「それじゃ洗濯もしなきゃならないのか、不自由だな。親父の古い服から、適当なのを探してやるから、我慢して着てろ」
「我慢なんてとんでもない。ありがとう」
セータは世話焼きなところを遺憾なく発揮して、メイドが運んできた服をせっせと選んでいる。
「なるべく目立たないのにしてね?」
「分かってるよ。明日の捜索、無事に終わらせたいんだろ」
「しかし君、なんでオーロと仲がいいの? 親同士がこれだけ対立してたら、普通は顔を見るのも耐えられないんじゃない?」
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