第77話 執事の秘密

 彼は慣れた手つきで、三つのカップを卓に置いていく。茶を注ごうとする彼を、セータが止めた。


「ラクリマ、俺は水がいい。走り回ったから、喉が渇いた」

「ならば……大変申し訳ないのですが、一緒に来ていただけますか?」

「なんでだよ」

「老人は腰が重いのです。水差しなど持ったら、立ち上がれなくなってしまうでしょう。手伝って下さい」


 勝手な理屈で話を結んだ執事を、セータがにらんだ。


「嘘つけ!」

「……御父様に今日のことをしゃべってもよろしいのですか?」

「重ね重ねお前とは意見が合わないな」

「さっさといらっしゃい」


 セータは不承不承、ラクリマについて出ていった。あれではどちらが主人なのかわからないな、とあきらが思った次の瞬間、後ろから肩をつかまれた。


 なぎが静かに、本当に静かすぎるほどに、晶の背後ににじり寄っていた。


「晶アアアアアッ、てめえええええッ」

「ぎゃあああああああ」


 そして、凪の怒声が空気を揺るがした。妖怪のごとく目をつり上げた凪の顔を見て、晶は悲鳴をあげた。


 どうしてここにいるのか。さっきの「カード」とはどういうことか。謎はたくさんあるのだが、今は怒り狂っている雇い主が一番怖い。執事が部屋を出たのはこのためだったのだと、晶は思い知る。


「ごめんなさい。無断で姿を消して」


 今思えば、あまりにも凪をないがしろにしすぎた。晶は後悔してうつむく。


「当たり前だ。初穂はつほも知らないって言うし、にやつくカタリナ相手に、メモを見つけるまでどれだけ押し問答したと思ってる」


 晶が戻ってこない。そう分かった後の凪の行動はこうだ。


 まず、カタリナと黒猫を問い詰めて手がかりを聞き出す。袖の下も脅しもきかない彼らをなんとか攻略し、メモを発見してからは虱潰しに町中を探した。


「街道にそってずーっと見ていってな。おかげで目がしぱしぱする」

「申し訳ありませんでした」

「ま、それはいい。しかしお前、市で暴れたらしいな。噂になってたぞ」

「まあ……そうですね……」

「師弟で犯罪者だ。めでたいことだな」

「そういえば凪、なんでこんな立派な家のお客になれたのさ」


 女性ならお得の話術で軽く陥落できようが、屋敷にいるのはいかにも厳格そうな男性執事である。


「そりゃお前……」


 凪が言いかけた時、大きな水飲みののった台車を押す執事とセータが戻ってきた。両者とも、苦笑いしている。


「……ラクリマ。さっきの言葉から察するに、また一人、秘密を知る者が増えたのか」

「そのようです。行き帰りには、気を遣っていたのですが」


 苦々しい顔で、執事が言った。彼は台車の水差しをとりあげ、椅子に座ったセータに水を注いだコップを渡す。


「秘密って?」

「ギャンブルだよ。特にカード賭博がお好きらしい」


 晶の問いに、凪があっさり答える。


「ええ? 何かわけでもあるの?」


 いかにも真面目そうな老執事──ラクリマがギャンブル。晶は信じられなかった。


「なんにもねえよ。こいつ、単にスリルが好きなだけだ。んで、それがどうしても自制できなくて借金まで作ってるってわけだ」


 セータがラクリマを指さす。


「見えない……」

「本当に演技がうまいからな、こいつ」

「しかし、ナギ殿には通じませんでした」


 ラクリマが凪を持ちあげる。


「只者ではないですね。さすがに旦那様のお客様」

「なに、こいつ親父の客なのか!」


 セータが悪霊を見るような目で凪を見た。


「客ではあるが味方じゃない。これからここで晶が何を話して、何を聞こうが黙っていてやるよ。全員、脛に傷ある身だしな」

「かしこまりました。お互い、過干渉はなしということで」


 一応話はまとまったが、晶の受難はこれからであった。


「晶。さっきは話の途中だったな。何があったか、全部ぶちまけろ」

「はいいい」


 晶は悲鳴をあげて、抵抗を放棄した。


「……ただ一目見ただけのガキを助けにねえ。お前、反射で生きてるにも程があるぞ」


 事の次第を聞いて、凪はゆっくりとため息をついた。さっきよりは怒っていないので、晶は胸をなでおろす。


「煉瓦の壁を、命綱なしで登ってたら気になるでしょ」

「放っておけよ。趣味かもしれないだろ」


 そんなわけないでしょ、と晶は凪の脇腹をつついた。


「衛兵の目をかいくぐってたから、警備についてよく知ってる。宮殿をうろつける、お偉いさんの子かもしれない。恩を売っておけば、凪に何かあったときに有利でしょ」

「絶対そこまで考えてなかったし、今だって考えちゃないんだろ。年長者を口で騙そうなんて十年早いぞ」


 凪がばりばりと首筋をかいた。


「ねえ、さっき話したオーロのことなんだけどさ。もう診察はさせてもらったの? 話を聞かせてよ」


 晶が食い下がるので、凪が手を振り上げて追い払う仕草をした。


「誰がそんな面倒なことするか。最初に断って、そのまま牢屋行きだ」

「だったらもう一回王に話を……」

「絶対に嫌だ」


 凪は意地になっている。わずか数日前に投獄されているから無理もないが、晶の方を見もせず河豚のように膨れていた。


「お前の師匠、子供みたいだな」


 本当の子供に言われていれば、世話はない。

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