第76話 なんでいる
「ああ、恐かった」
うっかり取り落としそうになった鞄を抱えながら、
「いかに偉大な王といっても、直接話をしたわけでもないだろうに。お前は大した臆病者だな。露店の店主との交渉も、嘘ではないか?」
セータは喉元過ぎればけろっとしている。王家の呪いがあったとしても、彼にはかかっていなさそうだ。
「……とにかく君は無事で良かった。これからどうする?」
「一旦帰る。腹も減った」
セータに言われて、晶も自分の腹をさすった。市で何か買うつもりだったのに、色々あってすっかり忘れていた。
晶からそれを聞いたセータは、事も無げに言う。
「ああ、じゃあうちで何か食べていけ」
「いやあ、そんなワケには……」
「気にするな。今の時間なら親父がいないから、俺の我儘が通る。ただし、親父が帰宅する日没までには宿に戻ってくれ」
よほど父親が怖いのか、セータは派手に身をすくませる。そうしてみると、華奢で年相応の少年に見えた。晶は笑い出したくなったが、なんとかこらえる。
セータに先導されて、お屋敷街を歩いて行く。日本の高級住宅街とは比べものにならない豪邸が、競うように並んでいた。どれも石造りで、塔の組み方や母屋の建て方に若干違いがある。晶はその家々を見て、いちいちため息をついた。
「ほら、ここだ」
セータが足を止める。彼の指さす大きな石造りの館に向かって、白い石畳の道が延びていた。
両側には、絨毯のように様々な花が配置された花壇があった。花壇だけでも、サッカーコートができそうな広さである。その合間を、ひどく背の低い男たちが行き来していた。彼らはせっせと花に水をやり、しおれた花があれば取り除いていた。
晶たちはさらに進み、館までやってきた。基礎材は白い石で、表面を削って滑らかにしてある。そこへ更に装飾の金細工が重なって曲線を描いている豪華仕様だ。
金の匂いを鼻先で嗅がされながら、晶は門をくぐる。しかし、しばらく誰も出てこないことに、首をかしげた。
「お帰りなさいませ。どこへ行っておられたのですか」
しばらくたって、ようやく銀髪の執事が現れた。背が高くすらりとしていて、かなり年だろうにそれを感じさせない。若い頃は、さぞかし人目をひく容貌だったろう。
そのナイス初老な執事の声には怒りが含まれている。それを示すために、わざとゆっくりと出迎えに来たに違いない。
「少し空気を吸ってきただけだ。こちらの客人に何か食べ物を頼む」
「そのようなお約束は聞いておりませんな。すでに本日は客人がいらしておられ、こちらも忙しいのです」
「俺の客だぞ」
「こちらのお客様の方が、重要なのです」
「あの、僕は帰ってもいいので……」
「何を言うか」
押し切ろうとするセータを見て、執事は眉をつり上げた。
「……意見の相違があるようですね」
執事は晶に近づき、冷たい視線を投げてきた。その目には、さっきの王よりは弱いが、同じような威圧感がある。晶はわかりやすく怯え、出口に向かって後ずさりを始めた。
「え?」
しかしその時、知った顔を見つけて晶の足が止まった。綺麗に伸びた背筋に端正な顔立ち、あれはまぎれもなく。
「よう」
凪がそう晶に言い放った後、執事に向かってささやいた。
「──カード」
その一言で、執事の目がかっと見開かれた。驚愕の勢いで、帰ろうとしていた晶の方へ駆け戻ってくる。
「最高級のお茶と食事を用意いたします。セータ様とお連れ様、こちらの方と同じお部屋へどうぞ」
「あーあ、そういうことか……」
「え、えっ」
「ぐずぐずすんな、置いていくぞ。ガキども」
晶が状況についていけなくなっても、凪は早足で歩き始める。セータもそれについていった。仕方無いので、晶は大人しく彼らに従った。
案内された部屋は、天井が高い大きな客間だった。淡いグリーンの壁紙が美しく、壁に合うように、家具は全て白で統一されている。長椅子の上にのっているクッションだけが、鮮やかな桃色だった。空気取りの窓が開いていて、外からの心地いい風と光が入ってくる。
快適な上に大人っぽくて素敵だと晶は思ったが、セータは眉間に皺を寄せてため息をつく。
「つまらん部屋だが、ここで我慢してくれ」
「綺麗じゃない」
「女子供じゃあるまいし。俺の部屋ならもっと面白い物があるんだが、さすがにそこまで初対面のお前を入れられないしな」
セータはそう言った後、にんまりと笑って続ける。
「オーロを救ってくれたら、連れて行ってやる」
「……別にいいよ」
晶が乗り気でないのを見て、セータが唸った。
「何だと。お前が泣いて見たがるようなものばっかりなんだからな。後で後悔しても遅いぞ」
「文法がおかしいよ。ちゃんと勉強したら」
「うるさい、言葉尻をとるな」
セータがむくれた時、執事が戻ってきた。
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