第75話 忌まわしき王

「誰だ」

「ずいぶん今日は物々しいな。賊でも入ったか?」

「名乗れ、小僧」


 小僧呼ばわりされて、セータの顔に憤怒の色が浮かんだ。


「先に事情を教えろ。なぜこの美しい離宮への道に、こんな警備がある。俺もここを行き来する身、こう騒がしくてはたまったものではない」


 セータは困っているはずだが、それでも怒りの態度に揺らぎはなかった。敵には弱みを見せないという、帝王教育の成果だろう。──だが、読みが甘かった。


「捕らえろ」


 命令が下り、セータの小さな肩がわしづかみにされる。屈強な兵に挟まれ、捕虜のように腕を引かれたセータが悲鳴を上げた。


「ディアマンテ家の次期当主が聞いているのだぞ」

「嘘をつけ。供もつけずに歩いている貴族がどこにいる。その服も装飾品も、どこで盗んできた?」


 セータを捕らえた衛兵が冷たく言った。


「離せ!」


 両側から腕をつかまれて、ひきずられていくセータが悲鳴をあげる。地面に転がってみたり、足を突っ張って抵抗するが、大人の力に敵うはずがない。


「あーあ……」


 あきらなぎにもらった煙玉をつかみながら立ち上がった。五分ほど煙を発射し、周囲の視界を悪くするアイテムだ。二人が安全圏に逃げるくらいの時間なら、これで稼げる。


「待て」


 しかし、晶がそれを使うには至らなかった。凜とした声が、一帯に響く。


 普通、野外では発した言葉が空気によって拡散されてしまう。だが、この声はどうしてか、離れた晶の耳にも届いた。衛兵たちがたちまち、居住まいを正して槍を引く。


 声の主が、庭の奥からゆっくり姿を現す。


 ライオンだ。


 進み出た男を見て、晶はとっさに、そう思った。それほどに、声の主の豊かな金髪は人目を引く。腰には大きな剣、背中にはマント。伸ばした髪は腰の辺りまで伸びているが、女々しさは微塵もない。


 そして見事なのはその髪だけではなかった。鍛えた衛兵たちよりさらに一回り大きな体は、まさに筋肉の塊だ。肩幅は広く、腕や足はしっかりとした樹木ほどもありそうな太さで、普段痩せ型の凪を見慣れている晶は、その差に目を見張る。そして、彼の瞳はその中心が、炎を放ったように赤く光っていた。


 男は黙って、セータの前に立った。


「陛下」


 両腕を捕まえられたまま、セータも男に向かって礼をする。


「国王……様……?」


 晶はじっと、陛下と呼ばれた男の彫りの深い横顔を見つめた。不意に現れた重要人物に、思考が追いつかない。


 王から視線を向けられたセータが、火でもついたように縮み上がる。


「セータよ。お前の父上がいつも嘆いているぞ。このところ、勝手に出歩いているようだな」


 擦り傷だらけになったセータは、王を見上げて無言のまま唇をかんだ。やはり、息子の動きなど親にはお見通しだったらしい。


「牢から囚人が逃げたゆえ、警備を強化している。万が一があってからでは遅いぞ。下々の子供のような、野蛮な遊びはもうよしておくがいい」

「お気遣いありがとうございます」


 セータが深々と頭を下げる。それを確認してから、王は衛兵たちに向き直った。


「離してやれ」


 たくましい手を広げ、短く言い放つ。セータの肩や腕を捕らえていた兵が、それでようやく手を離した。


「逃げ出した囚人の行方は分かったか」

「いえ、まだ……」

「全く。本物の魔術師の捕獲はさすがに骨が折れるな。そちらに全力を注げ。まだ南門の守りが手薄だぞ。急ぎ、そちらにも兵を送れ」

「はっ」


 王が檄を飛ばすと、衛兵が散っていく。後に残ったのは、セータだけだった。彼は意を決したように唾を飲みこんで、他の者には見向きもせず王の前に進み出た。


「陛下。ひとつ、お聞きしたいことがございます」

「申せ」


 王は足を止めた。その前で膝をつくセータ。少年の無分別を咎めようとはせず、王は鷹揚なところをみせた。


「オーロの具合はどうでしょうか。最近、会っていませんゆえ……気になります」


 平然としていた王の顔に、その時初めて歪みが生じる。しかし、風に撫でられた草のように、すぐに元に戻った。


「……難しい。が、いずれ回復するだろう。それは確かだ。お前が余計な心配をして、父を悩ませるようなことではない」


 王はおもむろに首を振り、やけにきっぱり言い放った。セータが言っていたことと正反対だが、その自信はやはり凪に対する期待からくるのだろうか。そうだとしたら、晶はすまないような気持ちになった。その男、実は魔術師なんかじゃないんですよ。そう言えたら、どんなにいいか。


 セータはその答えを聞いて、体をわずかに震わせた。


「では、またお会いできる日を楽しみにしております」

「うむ」


 うなずく王の前から、セータが後ずさりでいなくなる。通りに消えた彼の背を見て、晶は安堵の息をついた。


 追いかけようとそっと動き始めた晶の耳に、ふと王の声が飛びこんできた。


「どんな運命のいたずらだろうが知ったことか──あの子は、生き残らなければならぬ。国のために、のだからな」


 晶は振り返る。その時の王の顔には、狂気がへばりついていた。

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