第74話 無鉄砲の尻ぬぐい
「君、医学の知識は?」
「一年、先生について習った」
周りからおお、と声があがる。しかし
現在、医学部は六年通ってようやく卒業となる。しかもそれだけではどうにもならず、現場に出てようやく医者として形になっていくのだ。
しかしそれでも戦おうとするセータを見て、晶の中にある思いが芽生える。
ああ、またか……と、どこか他人事のように、それを眺める自分がいた。
そんなものは押しつぶしてなかったことにしてしまえばいいのに、行きずりの自分が逃げてしまったって誰も責めやしないのに、どうしても面倒な方へ走ってしまう。
凪はまた怒るだろうが──最終的には諦めてくれるだろう。晶はそう考えて、口元に笑みを浮かべた。
「君が行き始めてからも、オーロは良くなってないんだろう? だったら、君も呪術師も変わりないじゃないか」
セータが急に言葉に詰まった。表情が途端に暗くなる。
「素人が集まってみても仕方無い。僕を、オーロに会わせてくれないかな」
晶は目を細めながら言った。
「治せるのか?」
「それを判断するのは、うちの店主だ。店主は見かけ倒しじゃない、病を治す魔法を使う。僕にそのつなぎをさせてほしい」
どうなるかわからない。しかし可能性に、晶は賭けた。
セータはじっと、晶の顔を見つめる。そしておもむろに言った。
「分かった。お前に任せる」
「話がまとまったからには、すぐ行動だよ」
というわけで、晶とセータはオーロがいるという離宮に足を向けた。街を抜けて湖の方へ進むと、綺麗な石畳の道が離宮までずっと続いている。道の向こうには緑豊かな山が見える。足に負担のない平らな道が、晶にはありがたかった。
しかし、順調だったのはこっそり城壁を登るまでだった。庭をつっきって離宮に近づいていくと、そのうきうきした気分は瞬時にふっとんだ。離宮をこえて湖をゆくという水鳥たちの声が聞こえず、そのかわりに馬のいななきが聞こえる。
様子がおかしい。そこここに、立派な馬を連れた騎兵の姿が見える。
「入り口前はもっとひどいぞ」
「何、これ……」
離宮の庭、その中にある道がびっしり武器を持った衛兵で埋め尽くされている。蟻の這い出る隙間もない、とはこんな時に使う言葉だろう。ここに不用意に飛び込めば、凪と同じ運命を辿ることになる。
晶たちは植え込みに隠れて、ひそひそとささやきあった。
「いつもこんななの?」
「いや、異常だ。何かあったのか……?」
もしかして囚人(凪)が逃げたから、警備強化されたのかもしれない。そうだとしたら、原因は自分だった。しかしそれを口にするわけにはいかないため、晶は誤魔化す。
「他のみんなに帰ってもらったのは、正解だったね」
「ああ。こんな状態で見つかったら、連中は有無を言わさず袋叩きだ。死んだって誰も気にかけない」
晶はぞっとして、また話題を変えた。
「でも、これだけ兵を養えるって……この国はお金持ちなんだね」
「現王になってから、無駄な出費が減ったからな」
セータはぽつぽつ話し出した。
先代の王は金遣いがやたら荒く、借金の証文だけを山のように残して、流行病で死んだという。この時、国は豊かな国から弱小になり下がろうとしていた。
「その病も、遊女からうつされたと言われてな。誰も真面目に悲しんでなかったよ」
前王の悪口ゆえに、セータは声をひそめる。
「現王は、そんな中から国を救おうと立ち上がった。数少ない有能な臣下を集め、産業を育てて海上貿易で利益を得た。再び国の威信を取り戻したんだ」
「すごい人だね」
凪への仕打ちから、もっと暗君なのかと勝手に思っていた。意外な事実を教えてもらって、晶は反省する。
「本人も長身かつ美形で、子供の頃からできないことなどなかったそうだ」
「へえ」
晶はそっけなく言い返した。それはまた、癪に障ることだ。
「女性にだらしないとかは?」
「王妃と、身元の確かな側室が数人、それだけだ。若い頃から浮いた噂はない。先王の轍は踏まないってことだろう」
「部屋が汚かったり、食い意地が張ってたりしない?」
「そういう話は聞かんが」
「……凪より上だな」
「なんのことだ?」
「ううん、気にしないで」
首をかしげるセータを置いて、晶は本題に戻った。
「一旦帰ろうか。これじゃ、とてもじゃないけど中に入るのは無理だよ」
「冗談を言うな。せっかくここまで来たのに」
セータは鋭い声で言うと、伸ばした晶の手をすり抜けた。
「あっ、待って!」
セータは、一人で植え込みから飛び出してしまった。晶は止めに入ろうとしたが、その前に衛兵がセータに気づいた。
いかにセータが敏捷でも、大人の男には敵わない。がっしりした体格の衛兵たちは長い槍を構え、セータに向かって一斉にその切っ先を向けた。晶ははらはらしながらそれを見つめる。
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