第73話 虐待される王子
「どこで見たんだよ」
「……知り合いの屋敷の窓から」
あの地図から見た、なんて言っても信じてもらえないだろうから、
「今日買ったのも、そのための品?」
「ふふん。オーロはいつも喜んでくれるぞ」
セータは得意げに胸を張る。病気の友人に、見舞いを届けているのが誇りのようだ。警告を気にした様子がまるでない。
「落ちやしないって。果物籠はちゃんと背負ってるから、両腕が使える」
「いや、そういう問題じゃなくてだねえ……」
セータは腕を振り回し、大声で叫んだ。晶は仕方無くかがみこみ、視線を彼に合わせた。
「物事に絶対はないよ? 今までだって、小さな傷ならいくつも作ってきたんじゃないの?」
「お説教ならごめんだ。あの離宮のことならよく分かってる」
「……それに、落ちなくても、落とされることがあるしね。よく考えれば、この言葉の意味は分かるんじゃない?」
注意力と理解力を自慢していたセータの顔から、血の気がさっと引いた。やっぱり、この子はよくよく甘やかされて育ったのだ。
「そんなこと、あるわけない」
「僕もそう思いたいけどね。うちの店主は、医学の心得があるだけで牢に入れられた。逃げ出せないように」
それを聞いたセータの目が、大きく左右に揺れる。
「息子を助けたいのは分かるけど、手段を選ばなすぎる。そんな人が、勝手に食物を持ってくる相手に何をするか──想像してみたことがある? 次は君の番にならないっていう保障がある?」
セータが歯を食いしばる。口の端から、低い呻き声が漏れた。
「君もいいところの子だろうけど、相手が国王じゃ分が悪いよ。オーロって子にはいい医者がついてるだろうから、余計なことはしないこと。わかった?」
王族であれば、打てる手の多さは一般市民と段違いだ。オーロは最高の医療を受けている。晶は素直に、そう思っていた。
「……あんな奴ら」
セータの目に、みるみる涙がたまっていく。それはあっという間に目の端からあふれ出し、頬を流れた。その様子に、晶の核心が揺らいでいく。
「何の役にも立たなかった。いつまで経ってもオーロが良くならないから、国王は全ての医者を王宮から叩きだした。そいつらは消息もわからない」
時々しゃくりあげるが、セータの口調ははっきりしていた。彼の言うことに、嘘はなさそうだ。しかしそれなら、オーロの治療はどうなっているのだろう。できれば、いや絶対に治ってもらいたい、と王は思っているはずではないのか。
「代わりにのさばってるのは呪術師や魔術師たちだ。変な薬を持ってくるのはまだいい方で、魔物を寄せ付けない結界だの、伝説の穢れを払う呪文だの……うさんくさい方法ばかり吹き込んでる」
晶はその答えは予想していなかったので、まばたきをした。そうか、凪は魔術師だと思われたからこそ捕まったのか。
「奴らは王妃の心をつかんでる。甘い言葉で、いつかきっと奇跡が起こるって言う連中に王妃はすっかり魅せられてしまった。けど、それじゃオーロは救えない。大人はそのことに気付いてるのに、王と王妃が怖いから涼しい顔をしてるんだ」
セータは地を踏んで悔しがる。晶も他の子供たちも、彼にかける言葉がなかった。
「最近は、ますますひどくなってる。オーロに飯すら満足によこさない」
「ええ?」
晶は本気で驚いた。それでは、虐待ではないか。
「それでどうしようっていうの。死んじゃうじゃないか」
「土からできるものは、不浄だからダメだって言い出した呪術師がいたんだ」
言っていて自分で馬鹿らしくならないのだろうか。吸血鬼がニンニク嫌い、という伝承と変わらないレベルの戯れ言だ。
「そんなのだと、野菜や果物、穀物は全部口にできないじゃないか。かえって体に悪いよ」
「四肢を地に付けてるから、獣や虫も穢れてるらしい」
「無茶だよ」
晶がうめくと、セータも重苦しい口調で言う。
「川魚と、空を飛ぶ鳥だけはいいってことになってる。……それで少し症状が良くなったことがあったから、続けられてるんだ」
「あのねえ……鳥だって疲れれば地上に降りてくるし、魚なんて虫が好物だよ。ガバガバな理論じゃないか」
「貴族って、屋敷の外に出ないもんな。そんなこと知らないんじゃないのか?」
いぶかしむ晶をよそに、子供たちが口を尖らせる。
「王族育ちだから、完成した料理しか知らない。呪術師たちのいいカモさ」
晶はそう言われて、妙に胸が痛かった。自分だって、生きてる魚なんてしばらく見ていない。見るのは、スーパーでパックに入った肉や切り身ばかりだ。
テレビやネットがあるから、動物や魚がどうやって暮らしているか、知識としてはある。しかしそれがなければ、王妃と同じ間違いを犯すかもしれなかった。
「これで分かったろ? あいつらの好きにさせといたら、オーロが殺される。だから、俺が頑張るしかないんだ」
セータの鼻息は荒い。しかし、彼だけでどうにかなると思うほど、晶は甘くなかった。
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