第70話 師匠が師匠なら弟子も弟子
「うん、大変だったね。しばらくあっちには行かないでしょ?」
「いや、近いうちにまた行く。色々約束があるんだ。あの国には二度と行かないが」
「綺麗なところだけど、やりにくそうだよね」
晶はそう言いながら、地図に目をやる。その時、最初に地図を見たとき気になっていたことを思い出した。
「どうした?」
体を強張らせる晶に、体の汚れをせっせと拭いている凪がいぶかしそうに聞く。
「な、なんでもない」
晶はとっさに誤魔化した。
「それより凪。お腹すいてない? 何か持ってくるよ」
「肉が食いたい」
「わかった」
関係ない話をすることで、凪が今の会話を忘れてくれるよう晶は願った。
一週間が経ち、また凪がいなくなった。留守を任された
今回は牢屋でなく、青い町の外れに降り立った。すぐ見えるのは、なだらかな丘だ。この前のテンゲルのように、切り立った山や崖はどこにもない。子供でも登れそうな、椀状の突起の上に黄と白の花が咲いている。気温もちょうど日本の春くらいで、吹いてくる風が心地良い。
晶は木々をかきわけながら進んだ。ざらざらとささくれだった樹皮を持つ低木には、赤い果実が実っている。あれはもう少し熟れると美味いのだと、前に凪が言っていた種類によく似ていた。
「物盗りがいなかったら、野原で昼寝したい気分だな」
穏やかに見えても、異世界には危険が沢山ある。そして、助けてくれる人は滅多にいない。そのことを知っている晶は、足を止めずに進んだ。
晶は街中をそぞろ歩く。ブルーの階段に白い壁、そこに彩りを添えるようにピンク色の鉢がかかっている。日本人が好むような淡い桜色ではなく、目に刺さるような激しい色だ。しかし、ゆったりとした白と青の中にいるとそのきつさが中和され、むしろなくてはならない物に見えてくる。
「しかし綺麗な色だなあ……水色の染料なのか、石の色なのか」
材料が特定できれば、少し持って帰ろうか。凪も喜ぶかもしれない。
晶が考えていると、建物近くに立っていた大工が動いた。そして手にした刷毛で、壁面を水色に塗り始めた。つんと鼻をさす匂いがして、晶はそこを離れる。
「塗料の色か。石じゃなくて残念」
荷をかついだロバが、ゆっくり晶の隣を通り過ぎた。よく見ると、同じようなロバが何体も行き来している。晶はその行列を追いかけた。
すると、露店ひしめく通りに出る。ちゃんとした屋台を持っている者ばかりでなく、地面に絨毯をひいて商売する家族もかなりいた。
どの店も、物が多い。帽子でもスリッパでも織布でも、親の敵のように積み上げてあって、その中をかき分けるようにして探さなければならない。好きな人にはたまらないのだろうが、晶にそんな気力はない。
「さて、ここで情報を集めるか……」
しばらく通りに立ち、鮮やかな民族衣装に身を包んだ人々を観察する。そして、晶が探している人物を知らないか聞く。しかし、誰も知らないと答えるばかりだった。
「さすがに読みが甘かったかな。危険は承知で、あの家にいきなり移動した方がよかったかも……」
晶が後悔し始めた時、いきなり横道から三人組の子供が走り出てきた。賑やかな声につられて、思わず晶は振り返る。子供は全員、晶より数歳下くらいだ。彼らの服は薄汚れており、裕福なようには見えない。
彼らは果物を売っている店に近付き、口々にがなりたてた。
「おばちゃん、メイラの実ちょうだい」
「いくつだい」
「買えるだけ全部」
大きなテントに陣取った女露天商は、じろりと子供たちをねめつけた。
「腹が減ってるのかもしれないが、冷やかしなら帰っとくれ」
露天商はあからさまに冷たい声を出す。しかし子供たちが懐から銀貨を出すと、目の色が変わった。まじまじと検分した後、赤い実が盛られた籠を丸ごと渡す。
首尾よく果物を手に入れた三人組は、歓声をあげて走っていった。晶は彼らと入れ替わるように、店の前に立つ。
「あら、いらっしゃい」
そこそこ見栄えのする格好をしているからだろう。さっきとは違って、露天商が猫なで声を出す。晶は彼女に向かって、左手を伸ばした。
「買い物をしに来たわけじゃないんだ。よく思い出して。さっきの子供たちに返す物があるよね?」
それを聞いた途端、露天商の顔がさっと青ざめた。
「言いがかりはよしとくれ」
「看板にはメイラの実、銅貨二枚って書いてあるね。さっきの籠だと、入っても三十個前後。銀貨一枚で銅貨百枚換算だから、お釣りが出るはずだけど」
晶は笑顔で露天商につめ寄った。この世界では値段などあってないようなものだと分かってはいても、文字が読めない子供をわざと騙す現場を見たら、黙ってはいられない。
大声で指摘をうけて、露天商の親しみやすそうな顔が、みるみる歪んだ。
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