第69話 ヌシの帰還

 最初は大人ぶっていた初穂はつほだったが、地図を見せると徐々に異世界に引き込まれていった。好奇心のまま、子供のように目を輝かせる初穂を見ていると、あきらも少し気持ちが和む。


「うわー、なぎの奴、マジで捕まってんじゃん。考えなし野郎ここに極まれり。待って待って、写真撮ってネタにするから」

「その写真、何に使うつもりですか?」


 ホントに味方なのか、この人。


「……初穂さんには、この地図の保管をお願いしたいんです。もし僕が戻らず店から帰るときは、クローゼットにしまって鍵を」

「この店、前に放火されたじゃないの。それがないとこっちに戻れなくなるんでしょ? 夜は、うちに持って帰るわよ」

「え」

「これでもインテリアデザイナーですからね。資料ってことにすれば家族も怪しまないし、うちの方が治安がいい区域だから。……でも、できるだけ早く帰ってきなさいよ」


 晶はうなった。流石フリーランスで稼いでいるだけあって、初穂は理解が早く、計画の隅々までよく考えるくせがついている。ありがたく、その案を受け入れることにした。


 現地風の衣装を身につけ、時計など電子機器は全て外す。そして隠してあった長剣を持てば、晶の準備は完了だ。一人で心もとないが、初穂の前ではしゃんとしていなければ。


「じゃ、行ってきます」

「はいはい」


 初穂はもう晶に目もくれず、熱心にシャッターを切っている。しっかりしているかと見直していたが、こんなことで彼女の仕事は進むのだろうか、と晶は心配になった。



 晶は目を開く。光の洪水から抜け、だんだん目が慣れてきた。それでも念のため、動き出すのは軽い頭痛がおさまるまで待った。


 何度か異世界に来ているが、最初の時に見たあの不吉な化け物は現れない。あれは、なんだったのだろう。あの不思議な空間を飛び回り、晶を襲ってきたあいつは。


 晶はしばし過去に囚われていた。気持ちを切り替えるために首を振って、立ち上がり魔方陣を抜け出す。


「……ここは、どこかな」


 光る陣の先は、闇が広がっていた。地図の中に入るのにもコツのようなものがあり、晶の腕では、狙ったところにピンポイントで着地することはできない。まずは自分の位置を把握するところから始めなければ。


 格子と、その中で動き回る囚人たちがぼんやり見える。かび臭さと、排泄物の匂いが混じった風が吹いていた。とりあえず、牢獄の中には入ってこられたようだ。


 晶は記憶をあれこれたどる。凪がいたのは、円形の牢獄の最奥。最も階段から遠い地点の房だった。


 階段が遠目に見えている。もっと奥へ移動しなければ。晶は、柱の陰から頭を出し、牢の様子をうかがう。不用意に飛び出して捕まるわけにはいかないからだ。


 幸い、誰にも気づかれた様子はなかった。晶は唯一の頼りである剣を必死に抱きしめ、忍者のようにして獄の中を進む。


 しかし、そうやってようやく辿り着いてみれば、助けられる方の凪は、なんというか間の抜けた格好だった。


「……まあ、この人は」


 囚われているというのに、そしてここは寒い地下牢だというのに、彼はいびきをかいて寝ていた。晶の当惑など知るはずもなく、本当に殺しても死にそうにない。……それでもここにずっと置いておくわけにはいかないのだ。


「起きて、凪」


 晶は声をひそめて雇い主を呼んだ。


「あ……ふあああああ。なんだよ晶、もう朝か?」


 凪の声が牢獄に反響する。静かな牢獄の中で、ごそごそと他の囚人たちが動き出してしまった。それに反応して、看守たちの声が牢獄にこだまし、近付いてくる。


「バカっ!!」

「バカって言う奴がバカなんだぞう」


 晶は早々に言い合いを諦めた。どうせこの男が、素直に否を認めるわけがない。


 魔方陣の光が見つかったら終わりだ。半寝ぼけの凪に肩を貸して無理矢理立たせる。大きすぎる凪を引きずるようにして、悪戦苦闘しながらも一緒に陣の中へ飛びこんだ。


「……た、ただいま」


 光から出た晶の目の前に広がっているのは、見慣れた薬局の部屋だった。まだカメラを手にしていた初穂が眉間に皺を寄せて、出迎えてくれる。


「なによ。留守番頼んだくせに、すぐじゃない」

「いいことじゃないですか」

「んあー……あ?」


 凪はぼんやりしていたが、初穂の顔を見ると途端にしゃきっとした。さっきは晶に肩を借りたくせに、しっかりした足取りで初穂に近付いていく。


「聞き覚えのある声がすると思ったら……初穂、来てたのか」

「自分で呼んで何よそれは。薄情者。割増料金とるわよ」

「その手のカメラを渡したら考えてもいい」


 しばらく凪と初穂は、猫のように叫びながら激しい攻防をくり広げた。似たもの同士で精神的に双子のようなものだから、お互い使う手の予想がつくらしい。決着はなかなかつかなかった。


「そういや、まだだったな……礼を……言う……」


 ようやく自分の黒歴史を消すことに成功した凪が、息を切らしながら晶に告げてきた。晶は着替えながらうなずく。


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