第68話 かわいくない囚人

「あの男、気がつきやがったか。点呼の時は寝てたくせに」

「これがさっきの、厄介な奴なのか?」

「そうだ。その妙な歌をやめろ。言ったはずだぞ!」


 小柄な兵士が、なぎに向かって怒鳴る。凪は上半身を起こして、面をかすかに上げた。美形という言葉でも足りない、絶世の美男子が看守たちの視線を釘付けにする。彼らは一瞬、叱責をやめてぼうっとしていた。


「やめろというのが聞こえないのか!」


 不意に小柄な兵士が目を光らせ、その誘惑を断ち切るように再度叫ぶ。


 しかし凪は、こたえるどころか、同じ姿勢のまま一層大きな声で歌い始めた。本当に人の神経を逆撫でするのが上手だ、とあきらは嘆息する。


「野郎……屍にでもなりたいのか」


 長身の兵士が、槍を構えた。彼の顔の筋肉が、激しく引きつっている。


「悪いな。俺の美声がはっきり聞こえた方がいいだろ?」


 長身の兵士は槍を構えたままだ。異世界に「囚人の人権」などというお優しいものは存在しない。檻の隔ての隙間から槍を通し、腹に穴をあけてやる、と思っているのだろう。


 しかし、小柄な兵士が青くなって同僚を止めた。


「ならん。腹は立つが、そんなことをしたら俺とお前は即日斬首だぞ! 王からの命令で、こいつは余所へ逃がさないためにここに置かれているんだ。決して殺してはならん」

「どういうことだ。こいつは何者なんだ」


 長身の兵士が首をかしげる。問われた小柄な兵士は、相方を引っ張って耳元でささやいた。


「いいか、余所で漏らすなよ。この男、罪と言えるようなことは何もしてない」


 長身の兵は口をへの字にした。


「それなのにこんな地下の牢獄に? もしかして、王からのご指名を断った男娼だったりするのか?」


 異世界、人権はないが男色は普通にあるようだ。しかし、小柄な兵士は首を横に振る。


「いや──」

「それなら、まだ良かったんだけどな」


 いきなり凪が、得意顔で会話に参加する。かわいそうに、兵士たちは完全にのまれてしまった。


「それなら受けといて、相手が素っ裸になったところで金的かまして逃げられた」


 まだ口がきけない兵士たちと違い、凪は絶好調だ。軽口はいつもの調子と寸分狂いない。


「俺は元々、化粧品や食品を売ってた商人だ。その傍ら、魔術で病気の治療もやってた」


 凪は格子ぎりぎりまで近づいて、兵をにらむ。そして大きく両手を広げた。


「もちろん独学だ。しかし、俺が天才かつ美しすぎたために、俺の言う薬や治療を試した奴の症状が次々に改善していった」

「美しすぎたのくだり、必要?」


 晶のつっこみは、凪に届かなかった。


 凪の医術が有効なのは、ベースにこの世界より格段に進んだ現代医学の知識があるからだ。それを説明すると面倒だから、あっちの世界では魔術ということにしていることがままある。今回もそのクチらしい。


「その評判を聞きつけたのが、ここの王様だ。俺を呼びつけて、開口一番こう抜かしやがった。『息子の病を治せ。それまでは決して城から出さん』とな。嫌だと言ったら、ここに監禁だ。参ったぜ」


 凪の目に、ちらっと憤怒の色が宿る。眉をひそめた長身の兵士と同時に、晶も驚いた。


「本当に無実の罪だったなんて……」

「お主、優しそうに見えて結構ひどい男じゃの」


 背後から急に現れたカタリナが刺してきた。晶は軽く飛び上がってから、彼女をねめつける。


「……全部知ってた、よね。この状況」

「当然よ。世界の番人に知らぬことなどない」


 カタリナは胸を張る。反対に晶は頭を抱えた。


 彼女の言っていることは、妄想でも誇張でもない。カタリナは世界の秩序を守るべく任命された「番人」であり、晶や凪のような世界をまたぐ連中を監視するのが仕事だ。あくまで任務は「監視」だけである。


 晶にだって分かっている。理を乱しているのは自分たちの方で、カタリナが助ける道理などない。しかし、もたげてくる被害者意識は確かにあった。


 その思いを口に出さぬよう、晶は歯を食いしばる。とにかく凪を連れて帰らなくては。


「でも、地図が……」


 店は閑古鳥が鳴いているのでどうにでもなるが、困るのは「地図」の管理だ。放置していて盗まれたら、目も当てられない。


 迷った末、晶は階下の初穂はつほに声をかけた。


桝岡ますおかさん……」

「ああ、坊やか。初穂でいいわよ」

「凪が危ないんです。助けに行かなきゃ。……事情を説明させてください」


 初穂はそれを聞くと、じっと晶の目を見つめる。初穂に促されるまま、晶は全てを打ち明けた。初穂はソファにひっくり返って楽な姿勢になってから、こう言い放つ。


「……嘘ついてんじゃないわよ」

「やっぱり、そうなりますよね」


 どう考えたって疑わしい話だ。これは骨が折れるぞ、と晶は覚悟した。


 しかし次の瞬間、初穂がにらみ合いに終止符をうった。


「……でも、辰巳たつみ先輩は絶対に嘘をつかなかった。だから息子のあんたにも、その血が流れていると信じるわ」

「本当に?」

「言っておくけど、一回だけよ。裏切ったらただじゃおかないからね」


 晶は言い返す言葉もなく、黙ってうなずく。


「じゃ、その地図を拝見しようかしら」

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