第67話 地図からこんにちは

「分かりました。僕、二階の掃除があるので失礼します」


 誰か来たら呼んでくれ、と初穂はつほに言い置いてあきらは立ち上がった。カタリナが、何も言わないのについてくる。


「いや、なかなか骨のある女子じゃ」


 さっきまでの不機嫌は消え、カタリナはにこにこしている。どこがよかったのか、初穂が気に入ったようだ。


「楽しくてよかったね。でも、不用意に姿を見せるのはやめて」


 もう何回繰り返したか分からない注意を口にする。しかし、カタリナは柳に風と受け流す。


「そんなことまで目くじらたてるでない。さっきからちゃんと魔法をかけておる」

「こっちじゃ、宙に浮く人なんていないんだよ。一瞬でも見られたら困るよ」


 くじけることなく晶が言い返すと、カタリナは眉をひそめた。


「ほう、晶はずいぶん意地悪になったのう。それではせっかく教えようと思ったことも、口の中へ引っ込んでしまうわ」

「え?」


 どういうことだ、と聞き返す。しかしカタリナは振り向かず、煙のように空中でかき消えてしまった。こうなると脅してもすかしても無駄で、ひたすら下手に出るしかない。


「あっちの世界で、何かあったんだ」


 不吉な予感がして、晶の胸中が暗くなる。晶は二階へ駆け上がった。


 この薬局には、おおっぴらにできない秘密がある。店主が不在なのも、それが原因だ。息も落ちつかないまま、晶はクローゼットを開け放つ。


 その中には、丸めた羊皮紙が立てかけてあった。広げると、大人一人その上で寝られるほど大型の地図となる。骨董としてもそれなりに値がつきそうだが、この地図にはそれ以上の絡繰りがあった。


 地図の向こうには、生きた人間が暮らす「異世界」がある。これは、二つの世界をつなぐ架け橋なのだ。


 晶は地図の一点を指でたたく。なぎが今回の目的地だと言っていた街だ。


 すると、そこに暮らす人々の様子が、カメラでズームしたかのように浮かび上がってきた。


 白と青で統一された町並み。薄青から濃紺までトーンの違いはあれど、町全体が海の底に沈んでいるように見える。その中を、鮮やかなローブに身を包んだ人々が行き交うと、熱帯魚が泳いでいるさまによく似ていた。


「今回の町は、綺麗だなあ……」


 ずっと見ていたくなる思いをこらえ、晶は店主の凪を探す。しかし、視線をどんなに鋭くしても、目当ての人物は一向に現れなかった。


「人だかりがあれば、そこにいるはずなのに」


 凪は四十代だが、絶世の美貌を保っている。どこにいても、彼の周りには女性が群がり、逆に男性陣からは白い目を向けられる運命なのだ。だから晶も、街の名前さえ聞いておけばすぐに見つかると高をくくっていたのだが──


「まさか」


 最悪の予想が頭をよぎった。凪は目立つと同時に、トラブルメーカーでもある。咎められても人の話をまともに聞かないどころか、小馬鹿にする大変いい性格だった。それが官吏に見つかってしまったとしたら。


 晶は再度、なめるように町を見ていく。その時に気になる光景を見てしまったが、今は凪の方が優先だ。


「こんな大きな町なら、必ずあるはず……」


 目指す場所に生活の気配はない。その代わり、武器を持った兵士か傭兵がいるだろう。建物自体に装飾がなく、窓が小さくて高所についていれば間違いない。


「あった。ここにいるかも」


 特徴的な建物が、ついに見つかった。晶はさらに中へ入ってみる。


「暗ッ」


 地上にはいなかった。どんどん下って地下を覗いたが、墨を流したような闇が広がるばかりだった。日が当たらないし、ろくな電灯もない。電気があるのに慣れた晶には、室内の様子が全く分からない。


「カタリナに頼んで調べてもらうか……」


 カタリナなら魔法が使える。光を出したり、暗いところで対象を探したりすることもわけないはずだ。……さっきの様子を見るに、可能性の低い賭けだが。


 晶が迷っていると、闇の中に光が見えた。晶は地図に食らいつく。


 手持ちランプを持った二人組の兵士が、ゆっくり見回りを行っている。彼らを追うことで、ようやく晶も牢の内部構造を理解した。


 階段は一つしかなく、それを取り巻くようにぶ厚い石壁がある。ところどころに、扉形の穴があいている。そこを進むと鉄格子があり、囚人はその向こうにいるのだ。


 点呼が行われる。背の低い方と高い方、漫才コンビのようなデコボコ兵士に反抗的な態度をとる者はいない。光も音も奪われた囚人たちは、ただうつむき時が過ぎるのを待っていた。


「相変わらずここの奴らは、大人しくて助かるな」


 背の高い方の兵士が言う。すると相方は、大げさに肩をすくめてみせた。


「……そうか、お前はしばらく休みだったものな」

「凶悪犯でも入ったのか? くそ、聞いてないぞ」

「いや……そういう奴じゃない。見た目は端麗そのもので、学もある」


 答えを聞いて、背の高い兵士はますます混乱した。


「ならさっき、なんであんな顔になったんだ」

「一回話せば分かる」


 小柄な兵士がすたすた歩き出した。嫌なことは早く済ませてしまいたいという思いが、動きに出ている。


 兵の足音に混ざって、なにやら歌声が聞こえてきた。


「げ」


 晶は唸った。店主の声である。兵士たちは妙な歌──日本のヒットしたポップスを歌う男に近づき、ため息を漏らした。

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