第66話 改めて自己紹介

 初穂はつほに不美人だったという原型はみじんもなく、見事な仕上がりだった。美沙みさはしばらくその顔に見とれた後、つぶやく。


「お金は……」

「私は全部いじったからねー。そりゃ、何千万単位よ。きっつい思いして稼いだわ」

「どうしてそんなにしてまで……?」

「それでも、うつむいて残りの一生過ごすよりましでしょ。どんなに頑張ったって、人生が二回巡ってくることなんてないんだから」


 美沙は戸惑っている。それでもその目には、光が戻っていた。


「今のあんたには用意できないだろうから、親父にねだるか……それも格好悪いわね。ことの元凶だもの」

「はい、ちゃんと働いて貯めます」

「偉い。ヤミ金からは借りちゃダメよ」


 初穂の言葉を聞いて、美沙が笑った。乱れていた心が、ようやくおさまった様子だった。


「分かってます。希望があるって分かったら──なんだか、楽になりました」

「あらそう。クリニックに行ったら、私の名前をちゃんと出すのよ。あいつの術の中でも、一二を争う成功例だから覚えてるでしょう」

「はい。……お父さん、帰ろう」

「待て……話は終わってないぞ」

「じゃ、私は勝手に帰るわ。もう化粧道具もいらないから、それでいいでしょう?」


 美沙が店を飛び出す。丈治じょうじはなすすべなく、絶望的な顔のまま、遅れてそれを追いかけた。


「ありがとうございましたー。また来てねー」


 最後だけ頭を下げる初穂に、あきらは呆れた。


「あれで丸く収まるかな……?」


 晶は彼らの姿が消えた瞬間、どっと疲労した。初穂は解決策を提案したが、丈治がそれに納得するだろうか。


 しかし、それをゆっくり考える余裕はなかった。災難はまだ終わっていないのである。──この蛮族のような女が、帰っていないのだから。


「あんた、誰?」


 ソファに陣取っていた初穂が、晶に声をかけてきた。これでこの女との会話に、否応なしに巻き込まれた。


「火神 ひかみ あきらなぎに雇われてるバイトです」

「へえ。どこか懐かしい顔だわ」


 険しい顔をしていた初穂の顔が緩んだ。そのまま彼女はじっと晶を見つめる。


「凪のお友達なんですか」

「そうよ。人妻になってから、あんまり会ってないけどね。高校の同級生だったのよ。……あれ?」


 初穂は首をかしげた。


「ヒカミって、火に神さまの神?」

「はい、そうですけど。父は辰巳たつみって言います」


 それを聞き、初穂は驚愕の表情を浮かべた。


「ほんと!? うわあ、だから見覚えあったのね。辰巳先輩、元気?」


 父とも初穂は親交があったらしい。はしゃぐ初穂に、本当のことを言うのが辛かったが……晶は口を開いた。


「この前、心臓を悪くして死にました。だから僕、生活費のためにここでバイトしてるんです」


 晶がそう言うと、初穂は気の毒なくらいしょげてしまった。


「ごめん」


 あれだけ品性を疑うような弁舌をふるっていたにも関わらず、妙にしおらしいところがある。そういうところも凪とそっくりで、晶は苦笑した。


「いいんですよ。知らなかったんだから」

「凪は知ってたのよね。あいつ、メールに書けばいいのに。つまんないことだけ山ほど報告しやがって」


 派手に舌打ちしながら、初穂は美沙たちが使っていたティーカップに手を伸ばす。他人の使いさしだが、全然気にしていない様子で茶を注ぎ始めた。


「新しいカップを」

「いいよいいよ、座ってな」


 初穂が強く主張するので、晶は腰を下ろした。


「火事の時もここにいたの?」


 もう四ヶ月も前になるが、この店は放火によって半焼している。そのことは、凪も伝えていたようだ。


「はい。放火された……まさにその時、店内にいました」

「申し訳ございません」


 また初穂が頭を下げる。


「大丈夫ですよ。屋根づたいに逃げて無事でしたから。あんまり火事にあったって実感もありませんし」


 晶が必死にフォローしたものの、初穂の顔はしばらく引きつっていた。


「……まあ、そんなことがあったでしょ。あいつ、長期間留守にすることもあって、店が心配だから様子を見てくれって言ってきたの。客はほとんど来ないから、店で仕事しててもいいって言うから乗ったのよ」


 初穂はフリーのインテリアデザイナーだという。事務所を構えるくらいには稼いでいるのだが、不運なことに、そこの真横で工事が行われているという。


「朝の九時から、ガーガーうるさくてね。アイデアも何も浮かばないわよ。静かなところをタダで使わせてもらえるなら、万歳じゃない?」

「まあ、そうですね」


 晶がうなずくと、初穂はさらに調子に乗った。


「客あしらいもちゃんとできる私がいれば、立派に凪の穴埋めできてたでしょ?」

「あれはちゃんとやった、というんでしょうか……」


 晶の疑問は完全に黙殺された。仕方がないので、話題を変える。


「凪から、のことって聞いてます?」

「ああ、聞いてるわよ。なんか古くて貴重で、大事なものなんでしょ? ちゃんと管理するわよ」


 さすがに秘密までは話していなかったが、根回しはできている。いずれは彼女にも話をするつもりなのだろうか。

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