第65話 美女と醜女

「化粧でもけしからんのに、整形なんてダメだ。絶対に許さん。親からもらった顔が気に入らないからって、そんな」


 丈治じょうじの会話の最後は、うめき声のようになっていた。しかし初穂はつほは、その苦悩を見てもまるでこたえていない。


「なんで? 胃が悪かったら胃を切る、腫瘍があるなら取り除く、それと同じでしょ。なのにどうして顔だけ、自然のままがいいなんて別枠扱いなの?」

「う……」


 丈治が言葉に詰まった。しかし、すぐ反論を再開する。


「胃とか腫瘍は、放っておいたら体に悪いじゃないか。顔はそんなことないし、どんな造形だってよく見れば味がある」

「と、オッサンは言ってるけどね。実際、どう? それで納得できる?」


 初穂に問われた美沙みさの顔には、「否」と刻まれていた。


「お前はまた……」

「そりゃそうよね。当事者と周りでは、意識の差があるもんよ」


 初穂はふっと笑った。


「ブスに害がないなんて思ってるのは、頭が幸せな連中だけよ。街を歩けば指さされ、笑われて陰口を言われる。それのどこが害がないっての。そういう思いをしたことない連中が、知ったような口たたくんじゃないわよ」


 丈治がぎょっとした顔で、美沙に向き直った。


「……言われたのか、そういうことを」


 美沙は無言でうなずく。丈治が急に青ざめた。


「雑な扱い受けたのは、ふられた相手だけじゃないでしょ。街中、クラスメイト……さすがに父親にはそこまで言いたくないから、黙ってたのよね」

「はい」

「結論出たわね。ブスはどこまでいっても不利。慣れるとか味が出るなんてのは、全く嘘ね」


 初穂は満足そうに、長い指を自分の顎に当てる。その余裕が腹立たしかったのか、丈治が美沙の腕をつかんだ。


「クラスの男子が、お前をからかうのか」


 問いかけられた美沙は、ぷいと父から顔を背ける。それでも父は、娘の後頭部に向かって話しかけ続けた。


「いいか、それはお前が悪いんじゃない。違っていて当たり前の外見をネタにして笑う、そいつらの性根が腐ってるんだ」


 美沙の体がぴくりと動く。しかし、完全に父の方を向くまでには至らなかった。


「そんな奴らの言うことを気にしたら負けだ。『ああ、可哀想な連中ね』と笑い飛ばしてやれ。お前は強い子なんだから、それができるはずだ」


 丈治の声に、だんだん熱がこもってくる。晶はなるほど、とうなずきながら話を聞いていたが、ふと違和感を抱いた。


 父親が熱っぽく語れば語るほど、娘はゆっくり彼に背を向けていくのだ。それは正しいことのはずなのに──まるで、「」と言いたげに。


「あっはっはっはっはっ」


 突然、初穂が大口を開けて笑い出す。あまりに大胆な声に、丈治も驚いて口をつぐんだ。


「いい加減にしてよ。私を笑い死にさせる気?」


 目にうっすら涙を浮かべながら、初穂は腹を抱える。


「な、何がおかしい」


 いきりたつ丈治が、とうとう初穂の胸ぐらをつかむ。それでも、彼女はびくともしなかった。


「俺の言ったことのどこが間違っていると言うんだ。文句があるなら、この場で指摘してみろ」

「正論よ。あんたの主張は、このまま教科書にのせたっていいくらい。でもね」


 摑まれたまま、初穂は男をにらむ。それは明らかに、捕食者の目だった。


「それじゃ、あんたの娘は救われないのよ」


 丈治が息をのみ、手を離した。美沙がじっと初穂を見つめる。それはまるで女神を見るような目で、心からの崇拝の感情がこめられていた。


「そりゃ、あんたの言うようになったらいいわよ。外見で区別されない世界。男も女も中身重視、美女と野獣も普通のこと、ってね。でも、人間はそうできてないの。娘の周りの奴らは、死ぬまでずっと毒を吐くでしょうよ。『あいつ、ブスだなあ』って」


 美沙がうなずく。その横で初穂はさらに続けた。


「その間ずっと、娘は銃弾を全身で受けて、それでも笑ってなくちゃならない。あんたはその横で『立派だぞ』って言いながら、ただ見てるだけよ。正論を盾にして強い子だって思ってれば、何の手助けもしなくていいから自分が楽だもんね」

「ち……違う……」


 今や丈治の顔は、青を通り越して真っ白だ。それでも初穂は、追及の手を緩めない。


「今日だってそうでしょ? 娘の話を聞くんじゃなくて、止めようとしてた。早く自分が納得したいから、迷惑も考えずに店に居座るし。ダメな親ね」


 急所を刺されて、丈治が床にへたりこむ。初穂は彼を完全に無視して、自分のバッグを探り始めた。


「……ああ、これだ。あげるわ」


 初穂はぞんざいな手つきで、美沙に紙片を差し出す。美沙はそれを受け取った。


「これ、名刺?」

「そう。私の整形をやった医者のね。この辺じゃ、けっこう有名人らしいわ。無理にそこに行けとは言わないけど、選択肢のひとつとして差し上げるの」


 さらっと初穂が言う。晶と美沙は、そろって驚いた。


「お姉さんは、整形したんですか」

「そうよ。昔は、今のあんたが可愛く見えるくらいブスだったわ。でもこうなると、今まで私を踏みにじってた連中が、頭を下げてくるのよ」

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