第64話 爆弾を放る女
「
カタリナはくすくす笑いながら動き出した。
「いらないって!! 待ってカタリナさん!!」
晶があわてて止めたが、彼女はするっと壁を抜けてしまう。その直後、扉の向こうで派手な音が鳴った。
「ああああ……」
「そう落ち込まずとも。あれでも白猫直属の部下であり、世界の番人だ。凪の秘密を明かすような真似はしまいよ」
落ち込む晶を、黒猫がなぐさめる。
「あんな変な女が出てきたら、あの客も帰るだろうし。
「それもそうか」
少し気が楽になった晶は、扉越しに居間の様子をうかがう。なにやらぼそぼそ会話する声が聞こえてきた。次第にそれは大きくなっていく。
「ねえ、黒猫」
「ん?」
「なんか会話が盛り上がりすぎてるというか……これ、喧嘩じゃない? 全然うまくいってないよ」
「うにゃーん」
このオッサン、都合が悪くなると猫に戻ってしまう。のそのそと奥に引きこもり、香箱座りをして高みの見物の構えだ。
晶は困惑したが、給料をもらっている以上、見て見ぬ振りはできない。意を決して、居間に続く扉を開けた。
「もう一回言ってみろ!」
「へー、こんなにはっきり言ったのに聞こえなかったんだ。加齢だね、おっさん」
晶は目の前の光景が信じられなくて、何度もまばたきをした。
客と喧嘩をしているのは、カタリナではない。彼女はふわふわとドアの近くに浮いていた。
「何があったの」
「黙って見ておれ」
つぶやく晶に、カタリナが耳打ちする。
見たこともない女だった。決して若くはないが、モデルのようにすらりとした体で、特に足の長さは日本人離れしている。
着る人を選びまくるであろうゴシックロック調のシャツとパンツをまとい、青い口紅とカラーコンタクトをしていたが、彫りの深い顔立ちの彼女にはよく似合っていた。
「じゃ、もう一回言ってあげる。あんたの娘さん、化粧してなんとかなるタイプのブスじゃないわよ」
いきなり何してくれてやがりますか、この人。っていうか、誰。
晶は驚愕し、顎が外れるほど大きく口を開いた。その間にも、目の前の喧嘩はノンストップでますます紛糾していく。
「お前は誰なんだっ。いきなり入ってきて、でたらめ言いやがって」
「私は、ここの店主の腐れ縁。留守の間は様子見てくれって頼まれたから来たのよ」
女は客に向かい合い、見せびらかすように長い足を組む。
晶はぎょっとした。凪の知り合いと聞けば不思議ではないが、なんて女に店番を頼んでいるんだ。異論を唱えるにも、言い方ってものがあるだろうに。
「あと、でたらめって言うのやめてもらえる? ちゃんと根拠のあることなんだから」
「調子に乗るなッ」
「最後まで聞かずに議論すら放棄するなら、とっとと出て行きなさい。負け犬」
女は言葉を切る。
まずい。これは本当にまずい。
狼狽した晶は反射的に床を蹴り、丈治を取り押さえようとした。しかしそれより先に、客の方から待ったがかかる。
「黙って、お父さん。……ちゃんと聞いたら、教えてくれるの?」
美沙が、ゴス女に聞いた。
「そうよ。あんた、名前は?」
「美沙……
「私は
初穂と名乗った女は、客の顔をじっと見た。美沙はそうされるのに慣れていないのか、視線をさまよわせる。
晶は戦々恐々としていたが、会話の行方を見守った。
「……だったら分かってるでしょ? その父親とそっくりな鼻と顎のこと」
初穂が言うと、かわいそうなくらい美沙の顔が歪んだ。図星をつかれた時、人間はこんな表情になる。
「メイクでどうにかなる子って、目だけが小さいとか一重で地味とか、そのレベルよ。動画とか見たことあるでしょ?」
初穂が言うと、美沙がようやくうなずいた。
「悪いけど、化粧でその上向きで丸い鼻とホームベースみたいな顎は隠せないわ。ずっとマスクしてるってなら別だけど」
美沙はちらっと丈治を見た。親子の顔パーツは、コピーして貼り付けたようにそっくり同じだった。恨みのこもった視線に耐えきれないのか、丈治が顔をそらす。
「……わかってます。こんな顎も鼻も、大嫌い」
「全く、なんで似てほしくないとこばっかり似るのかねえ。まあ、親は選べないからさ」
「人に責任をなすりつけるな!」
初穂は険悪な雰囲気の親子をよそに、のんびり言った。
「ま、今から胎児に戻るわけにもいかないから──いっそ整形したら?」
「え……」
美沙はその言葉を聞いて絶句したが、初穂は実に楽しそうだ。
「いい時代になったわよね。金と腕のある医者さえあれば、顔だって変えられるんだもん」
「ちょっと待て」
ここでようやく、丈治が戦線に復帰した。
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