死の病の名は

第63話 長居する客、店の敵

 あきらは目の前に座る客たちをちらっと見て、ため息をついた。


 困った。これは困ったぞ。ああ、困った。


 首をかしげて三段活用で困ってみたものの、問題が消えてなくなるわけではない。


 店主がいない時に、深刻そうな客がやってきてしまった。とても晶の手には負えそうにない。


「……店主は本当にいつ戻るか分かりませんので、よかったら外で時間を潰されませんか。戻ったら、携帯にお電話しますので」


 しかし残念なことに、目前の客──中年男性とその娘──は、そろって首を横に振った。


「……構わない」

「大丈夫です。お気遣いなく」


 ずーっとここで待ってられる方が嫌なんだけど。心の中でそうつぶやいたが、その不快感を相手は察してくれないようだ。晶は肩をすくめた。


 すると、台所からカチャカチャ食器が揺れる音がする。晶は慌てたが、台所にいる人物を思い出してすぐに冷静になった。


「店主さんがそちらにいるの?」


 娘が立ち上がろうとするのを、晶はあわてて制した。


「いや、店主なら表から来るはずです。うちで飼ってる猫でしょう……叱ってやらないと」


 渡りに船、バックヤードへ引っ込む理由が出来た。晶は早足で台所に赴く。


 扉を閉め、振り向くと、卓の上にすらりとした黒猫がいるのが見えた。彼は退屈そうに自分の皿をもて遊んでいたが、晶に気付くと口元を歪める。


「役に立ったかね?」


 猫は素晴らしいバリトンボイスで、人間の言葉を話した。しかし晶は驚かない。この生物、本当は猫などではないからだ。


「黒猫、ありがとう。ちょうどいい口実になったよ」

「それは喜ばしい。居候としての役目を果たせた」


 猫はそう言ってから、上目遣いで晶を見た。


「今日の夕食はサービスしてくれよ。賢人の知恵は、タダではないからね」


 そう、本人の言う通り。この猫、元は人なのである。呪いで普段は猫になっているが、己の身に危険が迫った時だけ、元の姿に戻れる。……悪いことをすぐ覚えるのが、玉に瑕だ。


「……分かったよ。今日は秋刀魚ね、旬で安いし」

「甘鯛」

「それはダメ」


 晶はそっけなく言った。この猫、高い食材ばかり要求してくる。にゃあにゃあ鳴かれても、財布に諭吉がいないので無理だ。


「黒猫よ。知性をかなぐり捨てて、食欲に走るか? 情けないの」


 その時、冷たい声が、天井から降ってきた。長い銀髪を腰まで伸ばした少女が、空中に浮いている。当然だがこの少女も普通の人間ではない。黒猫と同じく七賢人に数えられている、「白猫」という人物の部下にあたる。


 彼女は腕組みをして、黒猫をねめつけた。


「七賢人筆頭の座、白猫様に戻した方がよいのでは?」

「絶対嫌だ。晶、私は秋刀魚にも甘鯛にも興味はない。好きにしたまえ」


 黒猫も怒ったのだろう、きつい視線を返した。


「また始まった……」


 晶はため息をついた。この二人は元々仲が悪い上に、今日は来客のせいでうろうろできずストレスがたまっているのである。晶はにらみあう二人を見つめた。


「まだお客さんがいるから、静かにしててね」


 それを聞いたカタリナは、目を丸くした。


「なんじゃ。えらく流行っておるの」

「……朝からずっと同じ人がいるだけだよ」


 それを聞いたカタリナは、すぐに掌を返した。


「何、まだおるのかあいつら。なぎはいないと言えばいいのに」

「言ったよ。帰ってすぐ話がしたいから、ここで待つって聞かないんだって」


 晶が眉を八の字にしていると、黒猫が笑った。


「いない理由を正直には言えないね。店主は、だから」


 晶はうなずいた。店主かつ、雇い主である不死川凪しなずがわ なぎには秘密がある。それは決して、公にできないものだった。


「晶が対応すれば良い。あいつらがいると窮屈で敵わん」


 カタリナが髪をもてあそびながら、適当なことを言う。晶は顔をしかめた。


「ダメだよ。僕はただのバイトだし、女性の化粧品のことなんて分からない」


 そう、今ソファに陣取っている娘は、メイク用品を求めているのだ。ここは美容専門の薬局。彼女はどこからか口コミを聞きつけてきたという。


 彼女の名前は高口美沙たかぐち みさ。傍らで異常に怖い顔をしている父親は、丈治じょうじと名乗った。


 始まりは、美沙がある男にこっぴどくふられたことだった。彼女が、綺麗になって見返してやりたいという気持ちはまだ分かる。


 困ったのは父親だ。娘の化粧に全面的に反対しており、ちゃらちゃらした娘を店主と共に説得すると言って聞かない。せめて外でやってくれ。


 晶がため息をつくと、カタリナが腕を組みながら言った。


「何を悩む。あの娘のご面相を見れば、言うべきことは明らかではないか。はっきり言え、ブテーフとかいう若者には容赦なかったのに」

「あれはたまたまだよ」


 晶は重い息を吐く。異世界の同年代にならともかく、現実世界の異性、しかもお金が絡んだ相手にははっきり言いにくいのだ。


「だったらカタリナ、相手してくれる?」

「ほう。我の力を借りたいとな。どうしても借りたい、土下座してでも借りたいとな?」

「いや、誰もそこまでは……」


 いつもは面倒くさがりのカタリナが、妙に乗り気だ。絶対に悪い意味で楽しんでいる。晶は悪い予感がしてきた。

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