第61話 別れ

「お前に近づいてくる結婚詐欺の女と一緒でな。ゲスい本音を、そのまま口に出したりしねえんだよ。そのかわり、『そんなあなたは、私嫌い』とか『私のそばにずっといてね?』とか、まあそういうオブラートにくるむわけだ」

「地獄に堕ちろ」

「まあせいぜい、そんな女には気をつけるこったな。……というわけで、本題に戻るぞ。母は成長してきた娘が気にくわない。だから、いろんな手で行動を制限しにかかる。さっきの言葉縛りもそうだが、だんだんもっと直接的な手段も使うようになる。例えば、食事の量を増やすとかな」

「それがなんで制限になるんだ?」


 ぽかんと口をあけている力石に、あきらは言った。


「……見た目の美しさがなくなれば、自信がなくなるでしょう? 劣等感を抱えた意地悪な人間は、己で上がっていこうとしない。人を引きずりおろす方を選ぶんですよ」


 あの宮廷の、狭い塔でひしめきあっていた夫人たちを思い出しながら、晶は話した。


 自分が持っていない物を、相手があっさり手に入れている悔しさ。それを素直に口にすることすらせず、ひたすら落とし穴を掘ろうとする馬鹿は、本当にどこにでもいるのだ。


「太れば、美しくなくなるだけでなく、動きも鈍くなる。そして、ますます家にいざるをえなくなる。途中までは、母の思い通りになったでしょう。しかし、娘はそれでも逃げ出す方を選んだ」


 凪は、娘を見つめた。


「ここ数日、あなたのことを調べさせてもらいました。アルバイトをいくつか受けてみられたようですね?」


 娘が無言でうなずき、肯定の意を示す。


「しかし、その頃にはあなたはすでに今の体型になっていた。健康状態も疑われるし、バイトにわざわざ制服を特注するとコストがかかる。まずは痩せてから来てほしい。残念だが、そう言って断ったとコンビニやカフェの店長が口をそろえて言っていました」


 娘がきつく手を握った。その時のことを、思い出したのだろう。


「あなたは困った。とにかく痩せないと、母のところを出て行くお金が貯まらない。しかし病院に行っても、行き続ければやがてバレる。食事は残す自由がない。運動したら、それこそ止められるでしょう」


 八方ふさがりとはこのことである。彼女に残された道は、怪しげな薬局に飛び込むことしかなかったのだ。


「しかし、最後の望みをかけて選んだ方法にも、母は感づいた。おそらく、何か普段と違うものがあったんでしょう。都合をつけて、外出する娘を尾行した。そして話を盗み聞きして、邪魔者を排除しにかかる」


 晶の口から、ため息が漏れた。そんな理由で店が焼かれたのかと思うと、情けなくて涙が出てくる。


「その作戦は、一旦成功し。店主たちはいなくなり、娘への連絡も途切れた。一回きりの犯行だから、まだ警察にもバレていない。全てうまくいった、はずだった」


 凪は芝居めいた仕草で、横を向く。


「なのに! しばらくして、またあの店主たちが戻ってきた。だから、放火を続けることにした。今度は従業員や知り合いを狙って」


 なぎ本人を脅しても効果がないとみて、今度は標的を変えたということだ。これを聞いた力石が肩をすくめた。


「俺も、後をつけられたってことか」

「まあ、そうだろうな。俺も彼女にそこまでは話してない。晶は店近辺で網をはればいいし、お前は初日に来た時に尾行されてたんだろ」


 凪に言われて、力石はがっくりと肩を落とした。本職が尾行に気付かなかったことを気にしているのだろう。しかし凪はなぐさめもそこそこに、話を再開する。


「ところが、何度も同じ事をすればこっちだって学習する。同じ曜日に活動してるから、美容師じゃないかと思った。しかも、晴海はるみさんのあの変わり様からみて、彼女に近しい人物なのは間違いない。

 そこで、彼女の近辺の美容師を探ったら、一発。なんせ母親だったからな。見張りをつけたら、このアパートに何回か足を運んで下見をしてることがわかった。そうと決まれば、あんたが次の月曜日にのこのこやって来た時に現行犯で捕まえればいい。ってわけで、今につながる」


 晶はようやく、全てに納得がいった。自分が頭の中でこね上げた説は、完全に間違いだったのだ。慌てて晴海に謝ろうとした時、いかにも哀れっぽい声が聞こえてきた。


 今ませに刑事たちに連行されようとしている母親が、娘に向かってまくしたてている。


「晴海ちゃん。わかってるでしょう。お母さんは全部、晴海ちゃんを守ろうとしてやったのよ。見る人が見れば、すぐに分かるわ。必ず、近いうちに戻ってくる。だからお母さんを待っててくれるわよね?」


 呼ばれた娘の喉が、ひくりと震えた。晶ならすぐに断るところだが、彼女は何も口にしない。そして、一歩母親に向かって踏み出した。


 行っちゃダメだ。晶の心が、そう叫ぶ。


 次の瞬間、もう足が動いていた。


「な、何よあんた」


 気付いたときには、晴海をかばうようにして、母親の正面に立っていた。


「晴海さん、もういいでしょう。こんな親に付き合わなくたって」

「え……」

「百万払ってでも逃げたかったんだから。これ以上、自分の気持ちに嘘をつくこともないと思います」


 晴海が返事をする前に、目の前の母親が晶に唾を飛ばしてくる。


「赤の他人が、いい加減なことを言わないでちょうだい! 今までずっと、親子二人でやってきたの。私はこの子がいないと生きていけない。娘も、私がいないとどこにも居場所なんて無いのよ!」


 般若のごとき顔になった女を見て、晶の足が一瞬すくむ。それでも全身の力をこめて、目の前の敵をにらみ返した。


「生きていけないのは、あんただけだろ。いつまでも、他の人間にしがみつくな」

「うちの娘よ!」

「娘だって他人だよ」


 晶は笑みを浮かべて言った。敵に、怯えた顔など見せない。その価値は、ない。


 自分の後ろで、晴海が泣いている。この人は、決して母親の所有物に成り下がってはいけないのだ。


「今までのことは、全部あんたの生き方が跳ね返ってきただけだ。それをいつまでも喚いて見苦しい。放火魔ごときが、指図するな。誰にもだ!」


 晶が怒鳴った。今まで誰も、晴海のために怒らなかったとしたら、その最初の一人になるのは自分だ。心から、そう思える。


 直立の姿勢のまま、晶が踏ん張っていると、凪が口を開いた。


「おい、ババア。いいことを教えてやろう。俺たちはお前が来るずーっと前から、ここで張ってた。つまり、自転車置き場に放火した時点で捕まえることもできたんだ。それなのに何故、わざわざマンションに火をつけるまで待ったと思う」


 確かにそうだ。自転車だけでも、まかれた油のせいで派手に燃え上がっていた。あのときに何故、誰も出てこなかったのか。


「放火の中でも、とった方法によって罪のランクは違う。最初にやった自転車への放火は『他人所有の、住居以外のものへの放火』だから、『建造物等以外放火罪』で下から二番目。一年以上十年以下の懲役の対象。

 これが住民がいるアパートへの放火になると、一気に一番上の『現住建造物放火罪』に跳ね上がる。罰則も『死刑または無期、五年以上の懲役』と素敵なラインナップだな。殺人より重いぞ」


 凪は悪魔のような笑みを浮かべた。


 ……母親がより重い罪になるように、わざと泳がせたのか。半分は、晴海から母を引き離すため。そしてもう半分は、自分の店を燃やされた仕返しのため。


「よおおく考えろ。一番軽くても、五年は食らうぞ。その間に娘は姓を変え、姿を変え、どこにだって行ける。それにひきかえお前ときたら。立場が同じだと、どの口が言う?」


 これから自分が受ける罰について、知らなかったのだろう。母親の全身が震え出す。凪らしい、派手な引導が終わった。


 その時、晶の肩を晴海がつつく。晶は大人しく退き、彼女に道を作った。


「お母さん」

「晴海ちゃん、この男の言うことは嘘よ。嘘よね?」


 母親が最後の望みとばかりに、娘に手を伸ばす。しかし、晴海はその手を振り払った。


「さよなら」


 一言だけ。しかし、明確に娘が母を拒絶した瞬間だった。母親が、涙混じりの目で晴海を見つめる。だが、彼女の口から一言も、謝罪の言葉は出なかった。


「おい、連れて行け」


 力石が低い声で号令をかける。彼も気付いているのだ。この母親は、全く反省していない。もう、芯まで腐ってしまっているのだ。


 彼女がパトカーに乗せられ、サイレンの音と共に遠ざかっていく。警察がいなくなるのを最後まで見守ってから、晶たちは円陣を組んだ。

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