第60話 毒親ラプソディ

「どうしたね」

「僕も、犯人について考えてるの」

「それはおすすめしないね」


 てっきり褒めてくれると思っていたが、黒猫は渋い顔をした。


「君はあの男と違って、手持ちの情報が少ない。そんな状況で推測しても、ろくな結果にはなるまいよ」


 黒猫が鼻を鳴らした。しかし、走り出したあきらの想像は止まらない。


 彼女はなぎの恋人のつもりだった。しかし彼にとってはたくさんの女友達の一人でしかなく、ついに愛が憎しみに……。


 そんなことをして時間を潰しているうちに、日が暮れてきた。


「人目がなくなる。今からが、一番危ないぞ」


 身を隠していた刑事たちがつぶやく。晶たちも息をのんで、ゴミ捨て場を見守った。


 すると、物陰から一人、黒パーカーの人間がゴミ捨て場に向かってやってきた。大きなリュックを背負ったそいつは、重そうに荷物を下ろす。そしてバッグの中から、小型のポリタンクを取り出した。


「!」


 黒パーカーは、タンクの中の液体を紙ゴミにぶちまける。それだけでは物足りなかったのか、駐輪場の自転車のサドルも切り裂いていく。


 たまたまそこにあった不運な自転車は、全て切り裂かれた。露出したスポンジに向かって、また液体をかける。


 準備が整ってから、おもむろに黒パーカーがライターを取り出した。炎がサドルをなめると、あっという間に赤い火が立つ。


 黒パーカーは火だるまになった駐輪場を見て一つうなずき、次にゴミ捨て場にも同じようにして着火した。炎が徐々に、マンションの外壁を焦がす。


 しかし、犯人の勝手もここまでだった。


「警察だ!」

「現住建造物放火の現行犯、確保! 手錠!」

「時間とれ!」

「消火急げよ!」


 刑事たちの怒号が響き渡った。黒パーカーが素早く身をひるがえし、晶たちの方へ駆けてくる。


「逃がすか!!」


 晶はとっさに、自転車置き場の横にあった箒を拾う。それを犯人の面に向かって、思い切り振り下ろした。


 がつん、と確かな手応えがある。鼻を押さえて、犯人がしゃがみこんだ。追いついてきた刑事たちがその体にのしかかり、手錠をかける。


 晶はほっと息をついた。まだ主犯は捕まっていないが、これで一歩前進だ。しかしそんな高揚した気分は、いくらも続かなかった。


「……おい、黒猫! 晶! いるんだろ。とっとと出てこい」


 眉をつりあげた凪が、ドスの聞いた声を出しながら周りをうろつく。これは下手にごまかすと、後が恐ろしいことになりそうだ。


 二人は相談の結果、あっさり白旗をあげた。目立たないようにマンションの裏側でトカゲを外し、しずしずと凪の前へ進み出る。


「黒猫。どうせてめえの差し金だろ」

「にゃーん?」

「都合の悪いときだけ、猫になってんじゃねえっ」


 凪が黒猫ににじり寄った。晶は止めに入る。


「ごめん。勝手に来たのは、ほんとに悪かった。でも僕も被害者なんだから、真実が知りたいんだよ」

「……知って面白いもんばっかでもないぞ」

「わかってる。でも、知らないと先に進めないんだ。たとえ、それがどんなに情け容赦なくても」


 晶は凪に食い下がった。絶対に引かないぞ、という気持ちをこめて両足を踏ん張る。やがて凪が、天を仰いだ。


辰巳たつみが生きてたら殺されるな、俺」

「父さんはそんなことしないよ」

「馬鹿、ああいうタイプが本気で怒った時が一番怖いんだ」

「それは相手が凪だったからじゃないの?」

「お前なっ」


 言い合いの最中で、目が合う。なんだか妙におかしくなって、二人同時に吹き出した。固くなっていた空気が、一気に動き出す。


「しゃあねえ、来いよ」


 凪が手を振る。晶が歩き出すと、黒猫もしれっとした顔でついてきた。犯人の近くまで行くと、力石が顔をしかめる。


「子供はあっち行ってろ」

「貴重な目撃者だぞ。犯人の確認くらいさせろよ」


 凪が晶を前に押し出す。改めて、凪は犯人の全身をまじまじ眺めた。


「あの時見た犯人と、そっくりです」

「今回現行犯だから、これだけでも立件できるがな。ま、とりあえず記録とっとくか。じゃあ、もういいだろ?」

「いやいや。話を聞くなら、もう一人外せない奴がいるぞ」


 凪が、自転車置き場を指さした。そこには、目を見開いて焼け跡を見つめる晴海はるみが立っている。


 放火犯は、現場に戻る。よく聞いていたが、本当だったのか。晶は息をのみ、じりじり彼女に近づいた。


「まさか、あなたが?」

「はい、全部私のせいなんです。本当に、すみません」


 彼女はそう言って、気の毒なくらい何度も晶に向かって頭を下げる。


 おかしいな、と晶は思った。放火をするような人間はもっとふてぶてしくて、人のことなど考えないものだろうに。彼女のこの塞ぎ方は、それにあてはまらない。それとも、自分は今、よっぽどの大悪党を目の当たりにしているのか?


 晶が悩んでいると、後ろから凪に思いっきり頭をはたかれた。いつもの冗談混じりのものと違って、本気で痛い。


「いて」

「失礼にも程があること、考えてるだろ。この事件……はじめから彼女は完全な被害者だ」

「え?」


 晶は、思わず依頼人と凪を交互に見つめた。


「あそこで今捕まってるのが、ですね?」


 凪が聞くと、依頼人がうなずいた。刑事たちが、一気に彼女に注目する。


「みんなにイチから説明した方がよさそうだな。そもそも、今回の事件の本当の始まりは、松阪さんが『逃げたい』と思ったところからだ。そうですね?」


 娘は迷っていたが、やがてこっくりとうなずいた。手錠をかけられた母親が、低いうなり声をあげる。


「逃げたいって、どこから?」

「自分の家から。……と言うより、とにかく自分を縛り付けたがる母親のいないところなら、どこでもよかった」

「どういうこと?」


 晶にはわからないことだらけで、矢継ぎ早に質問してしまう。凪が苦笑いをした。


「いい人生だったんだなあ。殴ったり蹴ったりする親もタチが悪いが、別のタイプの虐待ってのもある。『私はあなたのために、こんなに苦労してきたの』『だからこんなかわいそうな私を、見捨てたりなんてしないわよね?』……重たい親はだいたいこう言うもんですが、当たってますか?」


 凪が聞くと、娘は「そうです」と力なく答えた。


「そんなこと親が言うの? いい大人が? 気持ち悪っ」


 晶は思わず暴言を吐いた。すると、今までうつむいていた犯人……母親が、勢いよく顔を上げる。


「あんたにはわからないわよ。夫がいきなり『君とはもう無理だ』と言い出した時の私の気持ちなんて。今までさんざん働いてきたのに、最後に幸せなんかちっとも待っちゃいなかった」

「僕の父親は、朝起きたらいきなり心臓が止まって死んでました。ついでに遺産は三千円。叔父は僕の養育を完全放棄しましたけど」


 予想していなかった返しに、母親が一瞬口をつぐむ。


「僕もそれなりに不幸ですけど。だからって他の誰かにあたってもいいなんて思う人は心が卑しいと思います」


 晶が言い返すと、母親の顔が真っ赤になる。周りの刑事たちが、声をかみ殺して笑っているのが見えた。


「お前、ほんと人にトドメさすのうまいな」

「……思ってることを言ってるだけなんだけど」

「お前の言うとおり、こんな人間は一緒にいてもなんにもならん奴だ。旦那も子供も、だんだんそれがわかってきて、逃げようとする。ただ旦那は即失踪できても、子供はそうはいかない。生活できないからな。だから友達を作ったり、おしゃれをして自信をつけることで徐々に優位にたとうとする」


 母親が凪をにらみつけるが、それを無視して凪は続ける。


「しかし母親としてはそれが面白くない。娘はあくまで『自分よりちょっと不幸』で、『自分を支える忠実な僕』であってほしい」


 あけすけな、あまりに自分勝手な意見。力石が職分を忘れたのか、嫌悪の表情をあらわにした。

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