第56話 種明かし
「誰かここに残せばいいじゃないですか。あなたたちが信頼している人間を。その人に全権を与え、税のとりまとめと見張りを同時にやらせるんです」
「少数で敵の中に残すのか? それではそいつが危険ではないか」
今度は、さっきとは違う男が口を開く。いいぞ、乗ってきた。
「常に本国と連絡をとりあい、本人からの通信が途切れたらすぐに軍が出動する。そうすれば、不測の事態は防げると思います」
晶から見ても、テンゲルの伝令システムは完成度が高い。旗や篝火を持った騎手たちが、あっという間にリレーで各所をつなぐ。一旦ルートさえ固定してしまえば、電話もメールもないこの世界では、彼らより早く行動できる人間はそうそういない。
「しかし……」
「あまりにも話が飛躍していないか」
晶が説得しても、部隊長たちはなかなか首を縦に振らない。知らないことに二の足を踏むのは当たり前だが、今回は承諾してもらわなければ困るのだ。
「反乱なら心配ないんじゃないですか? すでにこんなに怯えてるし」
晶が軽く民衆の方を振り向くと、それだけで悲鳴が上がった。
「この人たちがまた来るって分かってるのに、余計なことしませんよね?」
民衆がそろって、首の骨が折れるんじゃないかと思うほどの勢いでうなずく。彼らの必死の形相を見て、部隊長たちが顔を寄せ合った。晶は最後に、部隊長たちに向かって頭を下げる。
「これから、もっとこの軍は大きくなるはずです。安定して税が取れれば、必ずそれは力になる。一度だけでも、やってみてもらえませんか」
沈黙が流れる。永遠にも思える時間の後に、黒肌の部隊長が口を開いた。
「異国の商人風情が。また、どこぞへいなくなるものが勝手なことを」
「それについては、何も反論できないです」
「……しかし、貴様の言うことにも一理ある」
「え?」
「我らは平地のことなど知らん。しかし、学ばぬわけではない。幸い、ここの領主の首は取ったと聞いている。まあ、体裁はつくだろう」
「あ……ありがとうございます!」
「後は誰をここに置くか、か。頭とご相談の上、決定する」
部隊長たちが立ち上がると、一番後ろで聞いていた頭がおもむろに進み出た。彼も反対はしない様子で、馬上からにやりと晶に笑いかける。
晶はようやく肩の荷が下りた思いだった。腰が抜けたのか、足がふらつく。晶はその場に座り込んだ。
「ご立派でした」
歩み寄ってきたハワルが、晶の肩をたたく。晶は照れて、頭をかいた。
「あくまで、暫定的な方法です。正直、うまくいくかもわかりません」
その時は、また再び血が流れることになる。しかも、今回とは比べものにならないほどの量が。最悪の事態を想像して顔を伏せる晶に対して、ハワルは空を見上げた。
「……今は、うまくいかせるために力を尽くしましょう。何事も、やってみてからの話です。私の救出も、最初は無理なように思えたのだから」
ハワルは流れていく雲を見てから、晶に向き直った。
「あなたには、本当にお世話になりました。狼の魂のご加護があらんことを」
「そちらもお元気で、ハワル姫」
姫が手を差し出す。晶は彼女の手を握り返した。心につっかえていたものが、溶けていく。そんな気がした。
「これからどちらへ行かれるのですか? よろしければ騎馬隊に送らせますよ」
ハワルに言われて、晶は大事なことを思い出した。
「い、いえ。僕たち、他にやらなきゃいけないことがありますから」
「舟ですか? それならせめて港まで」
「だ、大丈夫です。本当に、お気遣いなく……」
しどろもどろになっている晶の首元を、誰かがつかむ。後ろから、凪の声がした。
「途中まではかっこよかったのに、最後の最後で締まらんな」
「だって、地図がどうなったか黒猫に聞かなきゃ」
「そのことについては問題ない。カタリナと黒猫が、地図のありかまで連れて行ってくれる。馬を借りろとさっきからうるさいぞ」
「え」
凪が近くの建物を指さす。その指先を見ると、見慣れた番人とその上司が、退屈そうに窓際に腰掛けていた。
彼らは本当に知っているのだろうか。いぶかる晶の前に、茶毛の美しい馬が引き出されてきた。
☆☆☆
「で、どこへ連れていってくれるの? 地図はどうなったの?」
黒猫の言うままに馬を走らせながら、晶はぼやいた。そしてカタリナの端正な顔を見上げる。すると、冷笑がふってきた。
「よく考えれば分かる話じゃ」
「はいはい。教える気がないのはいつものことだよね」
馬はいつの間にか、じめじめとした湿地帯を歩いている。周りには人気も無く、ひたすら背の低い草と水たまりがあるばかり。本当にこんなところに地図があるのか。晶は疑惑の念でいっぱいだった。
「おうおう、不満そうじゃの」
カタリナが飛んできて、晶の横に並んだ。その顔は、とてもとても楽しそうだ。
……全く、比べる対象がいないくらいの美少女なのに、本当に意地が悪い。
「ヒントだけでもちょうだいよ」
「お主、本当にまだ気づいておらんのか」
晶が言うと、カタリナは鼻を鳴らした。
「よう考えてみい。この世界に来た時のことを。違和感がなかったか?」
晶は頭をひねる。隣で馬にゆられている凪からの、視線を感じた。
「……ダメだ」
ここ数日、色々ありすぎてすっかり記憶が飛んでしまっている。凪と一緒に来ていないので、聞くこともできない。お手上げだ。
「カタリナ、降参」
晶はあっさり白旗をあげた。カタリナが長く息を吐く。
「お主の身の回りをよく見ていれば、すぐ分かったのじゃがな」
「え?」
晶は自分の後ろを見た。馬の背に乗っている袋の中に、元々着ていた服がまとめて放り込んである。特に変わったことはない、と思っていた。しかし、それは大間違いだったようだ。
「お主、こっちに来てから腕時計を見たか?」
カタリナに言われて、晶ははじかれたように顔を上げた。確かにそうだ。職場に行く前。確かに自分は腕時計で、時間を見た。その後、外した覚えは全くない。
「おかしいと思わんかったか。ベルトの細工一つであんなに盛り上がったテンゲル人が、時計については何も言わんかった。あれが見つかったら、騒ぎはあんなものでは済まなかったぞ」
カタリナの言う通りだった。未知のものにあれだけ興味を示した彼らが、時計だけ見逃すわけがない。
と、したら。彼らと会った時には、最初から時計など持っていなかったことになる。
「それにな、靴じゃ」
「靴?」
「なぜあんなに泥汚れがついていたと思う。草原の土は、乾燥していた。払えばすぐに落ち、染みるまではいかん」
カタリナがくくくっと低く笑う。今度こそ、晶は全てを悟った。
「……もしかして、僕がはじめに落ちたところって、あの草原じゃなかったの?」
晶が言うと、カタリナは面白くなさそうに首を縦に振った。
「ふん、ようやっと気づきおったか。お主は最初、ここの北にある湿地帯に落下した」
「うん」
「そこでたまたま大蛇に出くわし、何も持たずに飛ぶように逃げていった」
「へ、蛇?」
「よっぽど恐ろしかったのじゃろうな、記憶が飛んでいるところをみると。とにかくお主は走りに走り、ようやく草原にたどり着いた時に気を失った。……それから後は、ちゃんと覚えているじゃろ」
カタリナの嫌味も、気にならない。元の世界へ帰る魔方陣が、まだ無事にある可能性が出てきたのだ。それが、晶の気持ちを軽くする。
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