第57話 そして現代へ

「ねえ、なぎ。よかったね」


 この喜びを凪とも分かち合いたくて、あきらは声をあげる。だが、あいにく彼はそれどころではなかった。


「てめえ、薄々分かってて、黙ってやがったな!!」


 凪はテンゲルの頭からもらった弓に矢をつがえ、黒猫に向かって放ち続けている。


「だって面白そうだったからね」


 しれっとした態度を崩さない黒猫に、さらに矢の雨が降る。しかし、黒猫は凪が乗っている馬の真下に入り込んで、なんなくそれをかわした。


「黒猫は、だいぶカタリナとは感じが違うね」


 晶が小さくつぶやくと、カタリナが心底嫌そうな顔をした。


「あの男が軽すぎるのじゃ。十年前に痛い目をみたばかりだというのにな」

「十年前?」

「お主に詳しい話はせんぞ。……大事なところを人任せにして、楽をしようとした。そしたら、ひどい目にあった。それだけの話じゃ。今回のルゼブルクのようにな」


 晶はじっとカタリナを見つめた。白猫の失敗のことだろう。カタリナの顔には隠しようがないほど、はっきり後悔の色がにじみ出ている。


「晶。今や、七賢人すら一枚岩ではない。貴様らがあえてここに来るというのであれば、困難なことは山とあるだろう。しかし、人にどうにかしてもらおうなどと思うでないぞ」

「うん」


 自分の運命は、自分で決める。凪に頼りがちな自分を戒めるように、晶は何度も心の中で同じ事をつぶやいた。


「……見えてきたぞ。やれやれ、運の強い奴め」


 辺りはすでに日が落ちて、薄暗くなってきている。カタリナが指さす先に、ぼんやりと金色の光が見えてきた。




☆☆☆



 魔方陣をくぐって帰ってきた晶たちがはじめに見たのは、なかなか悲しい光景だった。全く掃除がされていないほこりっぽい部屋の中で、男が一人背中を丸めてゲームをしている。


 台所の流しに目をやると、カップラーメンの容器が山と積まれ、コンロの脇にまで及んでいた。


「わー……」

「小汚い部屋じゃの」

「美しくない。一体誰の部屋だろうね」


 黒猫とカタリナがそろって手厳しい意見を述べる。晶はため息をついた。


「そもそもここ、店でもうちでもないよ。地図、誰が持ってるんだろ」


 晶がぼやくと同時に、部屋の奥からばたんばたんと派手な音が聞こえた。扉を開け、何かを無理矢理押し込んでいるらしい。


「しまった」


 大声でしゃべり過ぎた。この部屋の主が、晶たちに気づいたのだ。凪が手近にあった小鍋を手に取る。晶はちょっと迷ったが、菜箸を持った。武器がないよりマシだ。


「おい、そこにいるのは誰だっ」


 リビングの方から、だみ声とともに男が顔を出す。……それは、この前会ったばかりの力石りきいしだった。


「ああああああああ! お、お前ら、なんでここにっ」

「にゃー」

「黒猫、力石さんを噛まないで。凪、鍋下ろして!」

「今殴ったら借金の記憶も消えるかも……」

「邪悪なことを考えるではないわ」


 力石は混乱し、凪と黒猫は余計なことを企み、晶はそれを止めに入る。カタリナは何もしない。


 ようやく全員が座って同じテーブルを囲むようになるまで、数十分の時間を要した。


「……で、これはどういうことなのか教えてもらおうか。お前ら、なんで突然うちに現われた」


 まず部屋の主である力石が、当たり前の質問をしてきた。しかし、凪が何食わぬ顔で受け流す。


「力石、変な地図を拾わなかったか」

「お前の店の近くで、捜査帰りに見つけた。高そうなんで、持って帰ってきた」

「盗むつもりで?」

「遺失物の届けが出てないか調べるつもりだったんだ。貴様と一緒にするな」

「短い間に、ゴリラに二回も借りを作ることになるとは」


 凪が悔しそうにつぶやいた。こんな時くらい素直に礼を言えばいいのに。


「地図がどうした」

「……実はですね、僕たちはその地図から出てきたんです。違う世界に行ってて」


 他に言いようがないので、晶はストレートに言ってみた。力石は一つうなずいた後、晶の肩に手をかける。


「ヤクはやめないと命取りになるぞ」

「気は確かです」


 とんでもない疑惑をもたれた。


「晶の言ってることが真実だ。受け入れろ、力石。そうでもなきゃ、いきなりこの人数が部屋の中にわいて出てきた説明がつかんだろ」


 凪はそう言いながら、地図を広げて片足をつっこむ。凪の足が丸々平面に吸い込まれたのを見て、力石は息をのんだ。


 それからしばらく彼は唸っていたが、ようやく受け入れてくれた。


「全く、なんて日だ。死んだと思ってた知り合いが、いきなり違う世界から帰ってきただあ? ゲームかよ」

「お前、都合の良い設定は慣れてるだろ。さっきしまった恋愛ゲームで」

「なんでソレを知ってる!!」

「まあ、それはどうでもいいや。店はどうなった?」


 凪が聞くと、黒猫を抱いた力石が渋々答えた。


「幸い、発見が早くて焼け落ちはしなかった。が、中は真っ黒だ。あれは直すのに相当かかるぞ」

「うわ」


 カタリナは嘘をついていなかった。凪が顔を覆う。損失額が、頭をよぎったのだろう。晶は、力石におそるおそる聞いてみた。


「犯人は捕まったんですか」

「まだだ。目撃証言もないしな」


 晶はここで初めて、自分が見た犯人像を力石に伝えた。彼はうなずきながら、熱心にメモをとる。


「黒パーカーに、痩せ型。男女の区別はついたか?」

「そこまでは。ただ、男性ならかなり華奢な人ですね」

「他に情報は?」

「いや、はっきり顔までは見えませんでした」

「悪いけど、それだけじゃ絞れねえなあ」


 力石が顎をなでた。確かに、これだけだと容疑者が日本中に何人いるのかわからない。


「何で燃やされた?」

「オーソドックスに灯油だよ。油まいてから木製品に火をつけてる。一応、近所で灯油を買った奴がいないか聞き込みは進めてる」


 逃げる犯人がどこかに映っているかもしれない、とコンビニの防犯カメラもチェックしたという。それも晶の情報を元に、再度検証すると力石は約束してくれた。


「放火は再犯率が高いからな。またどこかでやるかもしれんから、逮捕まで気が抜けない」

「しっかり仕事しろよ、公僕」

「うるせえ」


 力石は顔をしかめた。お前に言われたくない、とそこに書いてある。


「そういえば、二階に置いてた俺の携帯、どうなった」


 凪がふと思い出したようにつぶやいた。


「二階は残ったからな。署で預かってると思うぞ」

「明日取りに行く」


 珍しく、凪の腰が軽い。晶は興味本位で聞いてみた。


「誰に連絡するの? 家族?」

「身内はいねえ。依頼人に報告したいけど、いちいち番号覚えてないだけだ」


 凪がそっけなく言う。やっと持って帰ってきた茸を見ながら、晶はうなずいた。

 確かに彼女も早く痩せたいだろうし、凪も店を直すための金が欲しいだろう。両者の利が一致していた。


「うちが焼けてるから、どっかのカフェで待ち合わせるわ。お前も来るか?」


 晶も行きたいと言うと、凪は了承する。仕事の話が終わると話題がなくなり、場に沈黙が漂った。


「今日は俺、ここに泊まる。いいよな」


 凪がごろりと床に転がった。ダメと言われても、居座る気満々だ。力石が凪をにらむ。


「一泊五万な」

「この汚い部屋でか」

「イヤなら外で段ボールでも拾え」


 きゃんきゃん言いつつも、二人はゴミの中で仲良くゲームを始めた。晶は自分の家に帰ろうと、身支度を始める。


「ここはごめんこうむる。我が輩も晶の家がいい」


 黒猫はそう言いながら、すかさず晶の足に体をすりつけてきた。


「……今日は料理したくないから、キャットフードでいい?」

「そのようなありあわせは断固として拒否する」


 黒猫のワガママは筋金入りだ。晶はため息をつきながら、彼を抱いて立ち上がった。


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