第54話 ○○のない騎馬兵
その間に、先頭集団は早くも行動を始めている。ぐんぐんスピードを上げ、前を逃げていく貴族と騎士たちに追いついた。
目にも留まらぬ早さで、矢が騎士たちに降り注ぐ。運悪く鎧の隙間に矢が飛び込んだものたちが、次々と落馬した。
手綱のない馬の上でバランスをとりながら、
「ああ、やっぱり。頭、なにも考えてないんじゃ……」
「おい、そこの坊主」
不穏なことを言った直後に、野太い声の男に話しかけられた。晶は馬から落ちそうになり、必死で目の前の馬首にしがみつく。
「……本当に馬の扱いが下手だな。いい年の男がみっともない。ちゃんと練習しないとブテーフみたいになるぞ」
「だって手綱がないなんて思わなかったし」
馬との一体感が得られる手綱があるとないとでは、大違いだ。晶は抗議したが、男は聞く耳を持たない。
「両手がふさがった状態で、どうやって弓を使うんだ。そんなことを言っているから、平地の人間は弱いんだ」
……いや、どっちかというとおかしいのはあなたたちの方なんですけどね……。
晶の喉元までこの台詞がせり上がってきたが、なんとか我慢した。
「馬に乗って弓が引けないのなら、いても仕方ないな。お前は俺たちと一緒に来い」
きっぱりとした命令であった。晶に拒否権はなさそうだ。
☆☆☆
それにしても、見ず知らずの相手から殺気をぶつけられ続けるというのは、なんともいえず退屈だ。昔を思い出す。
「くあ」
凪はあくびをした。
「いい度胸だな」
横で見ていた頭が、肩をすくめる。
「別に油断してるわけじゃねえぞ」
弁解する凪に向かって、頭はうなずいた。
「わかってる。俺でも、体が固くなった時にはよくやっている」
「そんならいいや」
凪は安心して、たて続けに三つほどあくびをした。その間も、周りでは激しい戦闘が続いている。
「……かかり過ぎじゃねえの?」
凪は素直に、思ったことを口にした。
「ん?」
「騎馬民族の戦にしちゃ、展開が遅い。相手が強いか」
「まあまあだな。仮にも貴族の護衛だ。だからこそ、犠牲を最小限にするための手をうっている」
頭がそう言うのと同時に、山の方からどっと馬が戻ってきた。しかし、その背に乗っているべき男たちの姿はない。
「あんたもやるなあ」
無人の馬を見て、凪はしみじみとつぶやいた。頭は笑いながら、陣形変化の合図を出す。突撃の陣だ。
凪が弓を手にする。それと同時に、山の方から怒号があがった。樹木の間に、次々とテンゲル氏族の旗が現れる。決して敵が来ない、と思っていた方から殴りつけられることになった騎士たちは、あわてふためいた。指揮官は立て直そうとするが、もはや命令伝達も困難だ。
「想像もしてなかったろうなあ。騎馬兵が、馬を捨てるとは」
あまりにも強烈に染み着いた、テンゲル=騎馬兵という図式。しかし、彼らはちゃんと地上で戦う訓練もしているのだ。今回だって馬を捨てた歩兵たちが山を登り、騎士たちの背後をついた。完全に相手の裏をかくことに成功している。
「全軍、行け!」
頭が叫んだ。後方の兵站部隊以外の騎馬が、一斉に駆け出す。凪も弓をしぼった。他の兵と、呼吸をあわせる。
「放て!」
号令がかかった。矢が敵めがけて飛んでいく。たちまち、敵の前線が総崩れになった。それを見て、部隊の両端が飛び出す。横一列だった隊がくの字に折れ曲がり、完全に敵を囲い込んだ。
頭が前に出る。愛用の三日月刀を抜き、立派な鎧の男に襲いかかった。
「おのれっ」
鎧の男も、応戦の構えだ。剣を抜き、先に一撃を加えようとする。
「ふん」
ただし、男の反応は完全に頭に読まれていた。頭は相手の剣とまともに組み合わず、三日月刀の切っ先を後ろに倒す。鎧男の剣が、空を切った。
その隙を見逃さず、頭が馬を動かす。人馬一体となって、相手との間合いをつめた。ガラ空きになっていた男の顔に、三日月刀の柄頭がめりこんだ。鎧がない眉間に鉄の塊をたたきこまれ、男が苦悶の声をあげる。
頭はさらに、すれ違いざまに男の後頭部めがけて刀を振り下ろした。その一撃で男は致命傷を負い、馬から転げ落ちる。
「討ち取ったり!」
頭の声が大きく響く。それと同時に、甲高い悲鳴があがった。凪が声の方に目をやると、女たちがぎっしり乗った馬車があった。最も騒がしいのは、黒猫を買った第一夫人だ。
「おい。あそこの太った女が、妹をいじめてた主犯格だぞ」
「そうか、それはいいことを聞いた」
頭はそれを聞くなり、女たちに向かってつっこんでいった。今ここで、たまりにたまった怒りをぶちまけるのだろう。
凪が首をすくめていると、馬車の近くから一頭の馬が飛び出した。よく見ると、豪華な着物をまとった男である。逃がすな、と凪の本能がささやいた。馬を駆って、男の前に回り込む。
「そ、そこをどけ!! 我は、我は領主であるぞ!!」
「そうかい、お初にお目にかかるね領主様。しかし情けねえんじゃねえの。囲ってる女を置いて、自分だけ逃げ出すとは」
凪が言うと、領主は剣を抜いた。
「そこをどけ!」
反省の色、なし。とれる手はもっとあったはずなのに、楽な方楽な方へ流れ続けた。その性根は、ここにきても全く変わる様子がない。
領主は必死の形相で、凪に切りかかってくる。凪は手首を返して、それを受けた。
「言ってもわかんねえなら、多少痛い目みてもらうぜ」
凪は手首を元の位置に戻す。凪をとらえていた領主の剣先が、横に大きくずれた。
「くそっ!」
動揺する領主をよそに、凪は刀を振り下ろす。刀の先は、領主の太股を切り裂いた。
「ぎゃあっ」
悲鳴をあげて、領主が馬から転がり落ちる。凪の周りにいた騎馬兵たちが、素早く彼を取り囲んだ。そこへ、頭が戻ってくる。彼は馬上から、領主の足下へ丸い物を投げ込んだ。
「ひいいいいっ」
丸い物を正面から見た領主がすくみあがる。それは、夫人たちの生首だった。血塗れの首をよけようとして、彼が派手に転ぶ。その姿を見た頭が、低く笑い声をあげた。
「別に怖がることもあるまい? 貴様もすぐ同じ姿になるのだから」
馬から下りた頭が、領主に近づく。頭の刀が、横に振られた。次の瞬間、領主の首が飛ぶ。彼が倒れ込んだ大地が、大量の血液を吸い込んだ。
「……これで一区切り、か」
「ぐずぐずしている暇はない。まだ街に残っている奴らを、どうするか決めていなかった」
決めていない、とは言いつつも、頭の顔は厳しいままだ。彼の中では、九割方殺す方に傾いているのだろう。放っておいたら、反乱を起こしかねないからだ。
(しかしなあ……それはちょっと、やり過ぎじゃねえの)
戦争に負けた場合、支配階級が入れ替わるのはよくある話だ。しかし市民まで根こそぎにしてしまっては、それこそ後味が悪い。黒猫だって、こういう事態になることを懸念していた。
だが、あくまで「よそもの」の凪が、頭に強く言うことはできない。凪は最初に、軽くジャブを放った。
「そんなに急がず、じっくり考えろよ」
「我らは草原の民だ。即断即決こそ、生きるための秘策だと考えている。今回の問題は、特に難しいものではない」
凪の言葉をものともせず、頭が胸を張る。ああこりゃダメかもなあ、と凪は内心でうめいた。
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