第53話 狩れ、走れ
「なんだ、そこのえらく太った女は……ええっ!?」
軽い気持ちで台車をのぞき込んだであろう騎兵が、声をあげた。姫が、自分の服に入った紋章を見せている。これだけで彼らには、ことの重大さがわかったのだろう。
「ぞ、族長の紋。ということは……」
「はい。このような姿になりましたが、ハワルです。こちらの方々のお力で、逃げ出して参りました」
ハワルがきっぱり言い放つと、男たちが口々にわめきだした。一方は姫が生きていたことを喜ぶ声、もう一方では「まさかお前が」という驚きの声。
そのどちらであっても、ブテーフは喜んでいた。仲間に肩をたたかれ、輪の中に入っていく。騎馬民族の中では、実力のないものは鼻にもひっかけられない。しかし裏を返せば、何かを成せば認めてもらえるということでもあるのだ。
ブテーフの顔を見ていると、
「喜んでいるところをすまんがね」
晶の横から、黒猫がぬっと顔を出してささやく。
「な、なに?」
「早く姫を頭と引き合わせた方が良いよ。騎馬民族と定住民族は、昔から仲が悪い。街が火だるまになる前に、話をつけたまえ」
「な、
話を聞いていた凪が、しっかりうなずいた。
「頭がいる本隊へ。姫をいつまでもここに置いておくのはよくないぞ」
「よし、一緒に行こう」
話を承諾した男たちの動きは、実に素早いものだった。晶と凪には馬が与えられる。ハワルとブテーフ、それに黒猫が乗った台車は、あっという間にずんぐりした輓馬につながれた。そして、逃げだそうとする市民たちでごった返す門付近を、するすると駆け抜けていく。
門を出ると、平地が見える。そこに、色とりどりの旗をかかげた騎馬兵たちが隊列を組んでいた。ハワルの服と同じ紋章旗をかかげる部隊へ、男たちはまっすぐに進んでいく。
「止まれ! その車はなんだ?」
さすがに頭がいる場所である。味方だというのに、呼び止められてしまった。たじろぐ晶たちをよそに、ハワルが吠える。
「早急に、兄に話があります。ここを通してください!」
「誰だ……って、は、ハワルさま!?」
姿はすっかり変わっていても、服の紋章と凜とした声がものを言った。兵たちが慌てて、頭を呼びに走る。すぐに、一際大きな黒馬に乗った頭がやってきた。
「ハワル!!」
「お兄様!」
「よく生きて戻ってきた!」
目にもとまらぬ速さで、頭が馬から飛び降りた。兄妹はしっかり抱き合い、喜びを分かち合う。周りの男たちからどっと声があがった。
「客人、本当に世話になった。情報収集どころか、こんなことまで成してしまうとは」
「まあ俺らは成り行きに乗っただけだ。褒めてやるのは未来の婿だけで十分だろ」
「婿だと」
頭が歯をむき出しにした。しかし、荷台の上でにこにこ見つめ合う二人を眺め、全てを察したようだ。
「ブテーフ」
「はいいいいい!?」
頭に呼ばれたブテーフがすくみ上がる。地獄の鬼が優しく見えそうな形相で、頭が声をしぼり出した。
「泣かせたら承知せんからな」
「いたしませんッ!」
「なら、よし。村に帰ったら祝言をあげてやる!!」
とりあえず、若い二人に関してはこれで大丈夫そうだ。やれやれ、と晶は息をつく。残りは一つ、この街がどうなるかである。晶は、なんだかさみしげな背中をしている頭をつかまえ、聞いてみた。
「……攻めこむんですか」
「ここまで来て、タダで帰る奴はいるまい」
頭の顔から、兄らしい表情がさっと消えた。頭の切り替えが実に素早い。
「燃やすのか?」
凪が正面から聞いた。すると、頭は意外なことに、首を横に振る。
「ここの領主が刃向かうならば、街全てを灰にするつもりだったが。あいつら、戦う前にいなくなってしまってな。どうしたものかと思っていたのだ」
「しかし、あいつらになんの罰もないというのは、あまりに……」
「ブテーフっ」
ハワルが慌てて服の裾を引いたが、もう遅い。頭はブテーフに詰め寄り、ハワルに貴族たちがした仕打ちの一切合切を白状させられた。
頭の顔が、また変わった。今度は、怒りもなにもかも通り越し、のっぺらぼうのようになる。今までで一番不気味だった。話が全て終わると、頭はどしんと大地を踏み鳴らす。
「全ての部隊に伝えろ。性根の腐った貴族共を、まとめて血祭りにあげる。街そのものも、灰にして大地に返してくれるわ」
周りを圧倒するほどの迫力に、男たちがたじろぐ。しかし、凪だけは「ちょっと待った」と平気で手を上げた。
「何だ。貴様も、あの城にへばりつくしか能の無い連中の味方か」
「いや、別にここの連中に義理はない。ただ、あの寺や領主館がとても気に入っていてな。狭いように見えて、いろいろなところに仕掛けがあり、飽きがこない……ってことで、街は燃やさず俺たちにくれ」
凪は欲丸出しで、頭に子供じみたおねだりをした。騎馬民族の男たちが、心底あきれた顔になる。
「土地に執着するとは」
「お前なら、どこへ行ったってやっていけるだろう」
「一つところにしがみつかないと生きていけない、ひ弱な農奴と同じになりたいのか」
次々にあがる声。それを聞いた凪は首を横に振った。
「同じになりたいわけじゃないし、ずっとここに住む気もねえ。ただ欲しいだけだ。……悪いか?」
頭と凪が、しばらくにらみあった。しばらくしてから、ようやく頭が口の端をつり上げる。
「いや、結構だ。なら、火を放つのはやめておこう。しかし、貴族連中の処遇はこちらに任せてもらうぞ」
「煮ようが焼こうが、お好きにどうぞ」
凪がそう返事をすると、頭が馬に飛び乗った。
「それでは、今から奴らを追跡する。人質として差し出したとはいえ、他国の姫を粗雑に扱うとは、奴らの性根が知れるというもの。……相応の報いが必要だ。行くぞ」
頭の声に、男たちが答える。晶もその場のノリで、適当に拳をつき上げた。すると、晶たちの前にもよく手入れされた馬が連れてこられる。
「え?」
戸惑う晶に、頭が言う。
「お前らも来い」
「……何のために?」
「語り部として役に立ってもらう。あの気に食わぬ貴族どもを、我らが蹴散らす様をとくと見よ。それを各地で広め、恐怖をあおる。すると、こちらは後がやりやすくなる」
「そこまでご奉仕しなきゃいかんのかねえ」
凪が皮肉ったが、頭は動じない。
「領主館と街をやったろう」
「お姫様でチャラにならんのか」
「こちらは二つやった。お前らは一つだ。公平じゃなかろう?」
そう言われてしまうと、凪も言い返せない。お互い自分に都合がいいようにワガママをこねているのは変わらないのだが、今回は頭が勝ったようだ。
「はっはっはっ、乗りかかった舟というやつだね。こうなったら最後までがんばりたまえ」
絶対に自分はなにもする気がないであろう黒猫が、にやにや笑いながら言う。さっき忘れられていたことを、まだ根に持っているに違いなかった。
☆☆☆
まっ平らな地で戦うのか、と思いきや、男たちが勝負の地に選んだのは山の近くの一地点だった。それも丘のレベルではなく、左手にかなり高い山肌がそびえている場所だ。
(頭、一体なにを考えてるんだろ)
晶はだんだん不安になってきた。騎馬隊の命は、なんといっても馬の足の速さだ。そしてそれは、障害物のない平地でこそ最大の力を発揮する。
しかし、左側がまるまる山で埋まったこの状況では、迂回路を半分捨てていることになる。そこまでして、ここで仕掛ける必要があるのだろうか。考えてみたが、納得のいく答えは出なかった。
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