第52話 忘れてましたで済まされぬ
まだ階段の上で、敵に向かって手製のまきびしを投げていた
すると、床板が完全に外れた。凪はそれを暗がりに放り投げ、
「おのれ、小賢しい!」
ようやくまきびし地獄を抜けた兵士たちが、足音高く階段を降りてくる。しかし、彼らの勢いもそこまでだった。
「うわあっ」
「ぎゃあっ」
悲鳴が響く。先頭の兵たちの姿が、いきなりかき消えた。後に続く者たちも急には止まれず、次々に同じ運命をたどる。
「い、一体何をしたのですか?」
先を歩いていた姫が、息をはずませながら聞いてきた。
「階段の板が外れると、落とし穴になってるんです」
「まあ」
目を丸くする姫に向かって、晶は笑った。
「相当深い穴みたいだから、しばらく上がってこられないでしょう。ここを造った人はすごい」
「本当ね」
荒い息を吐きながらも、ハワルが笑った。
「姫様、もうすぐ出口です」
先行していたブテーフが叫んだ。ハワルはぐっと歯を食いしばる。
「さ、もうひと頑張りね」
「その意気です」
姫は凪に任せて、晶はブテーフのところまで走った。平坦な通路が終わり、上り階段が見えてくる。階段のてっぺんには取っ手のついた蓋がある。晶とブテーフは片方ずつそれを持ち、一気に開けた。きしみながら、蓋が開く。
外に人の気配がないのを確認してから、晶は外へ滑り出た。
「今のうちに!」
晶は残りの全員に向かって言った。しかし、その時一人の兵士が、晶に気づく。
「侵入者だ!」
凪が素早く飛びかかって、兵士を殴り倒す。その間に、晶は荷車を一台見つけてきた。姫をそれに乗せ、ブテーフに引かせる。
移動を始めたが、鋭い笛の音があちこちから聞こえる。兵士たちが集まってきた。一行は壁に身を寄せ、背中を守る。
「ごめん、見つかった」
「……過ぎたことはしょうがねえ」
凪がつぶやいた。その声をかき消すように、兵士たちが大音量で驚いている。
「信じられん」
「あの〝どこにも行けない道〟から現われたぞ」
「悪霊の力を借りたのか?」
あんたらの調べが甘いだけだ、と晶は思ったが、口には出さなかった。
「とにかく、姫以外は死んでも構わん。決して逃がすな!」
兵士はすでに、数十人に達していた。ブテーフは台車をひいているので、こちらの戦力は晶と凪だけだ。明らかに見下した顔つきで、兵士たちがじりじりと輪を狭める。
しかしこの状況でも、凪は笑う。剣を片手に、兵士たちへの挑発を始めた。
「来いよ、ザコが。あの程度の仕掛けがわからなかった連中に、誰が負けるか」
「このっ」
剣を振りかぶり、三人の兵士が一斉に凪に襲いかかった。だが、凪は落ち着いている。
「おんなじ方向から来るなよ、バカ」
まず一人を蹴り飛ばす。するとその体が、後ろの二人にぶつかる。結局三人固まったまま、転がっていった。
「ろくに鍛えてないだろ、お前ら。体幹グラグラじゃねえか」
凪がせせら笑う。そして、今度は自分から斬りかかった。慌てて兵士が剣で受ける。相手の手が高く上がったのを見て、凪の口が笑った。
同じポーズのまま、凪が右足を軸にしてくるっと回る。すると、上向きだった剣が、下から突き上げるような形に変わった。完全に上しか見ていなかった兵士の腹が、ガラ空きになっている。そこへ、凪の剣が突き刺さった。
あまりに鮮やかに技が決まったからか、はたで見ていた兵士たちの動きが止まる。凪が剣を抜くと、ぱっと血が飛び散る。青い顔をした兵士たちを見て、凪は顔をしかめた。
「お前ら戦いが本職だろ。これぐらいで顔色変えてどうすんだ。人に頼り切って、何もかもやってもらおうとするからそんなザマになる」
今や、兵士たちは完全に凪に気圧されていた。人数差はもはや、ハンデにすらならない。凪が一歩足を踏み出す。すると、兵士たちが逆にじりっと後ずさった。
もうしばらく、凪が好きに暴れるのかな。でも今回は逃げるのが目的なんだから、適当なところで切り上げてもらわなくちゃ。
……晶のそんな思いは、意外な形で実現することになる。
「君たち、私を放っておいて、一体何をやっているのかね」
よく通る、バリトンの声。それを聞くなり、晶の口からつぶやきが漏れた。
「く、黒猫……」
「そうです、私です」
黒猫の声は、はっきりと怒気を含んでいる。しかも、周りの兵士に聞こえるほど声が大きい。
「ね、猫がしゃべった!?」
「こ、こいつも化け物だ!!」
兵士たちは、思わぬ出来事に対して平静さを失った。黒猫めがけて剣を振ったり、足で蹴りつけたりする。その全てをかわした黒猫が、不敵に笑う。彼の本気を妨げる枷が、たった今取り払われた。
「よおく覚えておきなさい。完全無敵な七賢人の長、黒猫とは私のことだよ!」
彼の声を聞いた晶は、叫んだ。
「まずい、みんな伏せて!!」
それとほぼ同時に、風がごうっとうなる。伏せた晶の頭上を、空気の塊が通り抜けていった。 間もなく、風の音に混じって兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。
「はーははは、散々私を追い回してくれたことを後悔するがいい!!」
黒猫はこの上なく楽しそうだった。今まで溜まりに溜ったストレスを、ここで発散しているのだろう。
凪と黒猫、この人外ふたりに挟まれて、戦おうと思うような猛者はいなかった。まだ立てる兵士が、泡を食って逃げ出す。また囲まれないうちに、晶たちは移動を始める。寺を抜け、大通りに入って一行はようやく息をついた。
「……あのさ」
「皆に一言、いえ二言三言、言いたいことがあるんだが」
黒猫がおもむろに口を開いた。晶をはじめとした男三人が、背筋を伸ばす。
「もしやとは思うが、君たちは私のことをきれいさっぱり忘れてはいなかったかい?」
その通りです。……とは言えず、あいまいに笑う晶。
猫がしゃべるのを今の今まで知らず、目を白黒させるブテーフ。
「あ、忘れてた。すまんな」
そして、素直に本音をぶちまけてしまう凪。
三者三様の反応だったが、どれも黒猫にとって不本意だったのは間違いない。厳しい顔で、じりじりと距離をつめてきた。
「……姫を取り戻せたのは、誰のおかげだい?」
「そりゃもちろん、お前のおかげだよ」
「山賊から助けてあげたのは、誰だったっけ?」
「黒猫さんです」
「それなのに、私を忘れていたと?」
「……ごめんなさい」
「このツケは高くつくよ」
黒猫がさらに何か言おうとした。しかし、その言葉は突如鳴り響いた鐘の音にかき消される。全員が言い争うのをやめて、はっと顔を上げる。鐘に混じって、馬が大地を駆ける音が聞こえてきた。
「て、テンゲルの奴らだ!!」
「門が破られたのか!?」
テンゲルの急襲が、ついに始まったのだ。市民どころか、兵士たちまでどよめいている。
「つくづく、情けねえな」
「仕方無かろう」
凪がまた鼻で笑う。それを黒猫がいさめた。さっき言い散らしたら、少し気が済んだらしい。
「この辺で戦と言えば、ほとんどが城にこもっての防衛線だった。門を突破されてしまった場合の戦い方は知らんのだよ」
しかし、運命はそんな背景などものともしない。逃げ惑う兵士たちの上に、すさまじい勢いで矢がふってきた。たちまち、死体の山ができる。それを踏み越えて、茶色の馬たちが大通りになだれこんできた。
市民たちは持ち物をできる限り捨て、あちらこちらへ逃げ惑う。その流れに逆らって、晶たちは騎馬のもとへ向かった。馬上のテンゲル人たちが、めざとくそれを見つける。
「ブテーフ!?」
「貴様、おじけづいて逃げたのではなかったのか!」
「この前の商人と子供もいるぞ」
騎兵たちは口々に言いながら、晶たちを取り囲んだ。
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