第51話 脱走、脱走、大脱走

 よく見ると、扉下の床に不自然なつぎ目がある。そこに手をかけると、床板の一部がきれいに外れた。しかし、隙間は腕が入る程度で、大人がくぐり抜けるのは不可能だ。


「こっちも外せるぞ」


 なぎが、あきらの向かい側の床板を引っ張る。まず晶がとった方の板を動かさないと、こちらはあかないようになっている。しかし、二枚目が外れると、穴が一気に大きくなった。そして、穴の先には比較的ゆるやかな階段が伸びている。


「ここなら安全そうじゃないか」


 ブテーフが嬉しそうに言った。姫に苦行を強いなくてもいいのが、嬉しくてたまらない様子だ。しかし、そんなにうまい話があるだろうか。晶は首をひねった。


「でも、この蓋、鍵もなにもついてないよ。こっちが簡単に進めるってことは、敵だってそうだよね。姫を連れてる時に、外から一気に来られたらまずくない?」


 姫を連れて入ったはいいが、通路で待ち伏せされてぐさりではあまりにも格好悪い。しかし、井戸になると姫が速やかに移動できない。……どっちもどっちだ。


 結局晶は答えが出せず、ついに匙を投げた。


「凪、どう思う? 明日は、どっちの道から逃げようか」


 凪もこの問いには、悩むに違いない。……晶はそう思っていた。だが、凪は全く間をあけずに淡々と言い放つ。


「よし、こっちの道でいくぞ」

「即答!?」


 晶はちょっとショックを受けた。自分の考えが、まだ甘いということか。


「決まった決まった。じゃあ、本番に備えて体力つけとくか。今日は帰ってさっさと寝るぞ」


 凪が大あくびをしながら、下の館へ降りていこうとする。晶はあわてて、その背中に飛びついた。


「な、なんでこっちって決めたの? 鍵もなにもなくて、外から入り放題だよ」


 凪は晶をちらっと見て、口元をつり上げた。


「お前の慎重さにはいつも助かってるが、今回ばかりはそれが災いしてるな。部分じゃなく、全体を見ろ。そしたら俺が決めた理由もわかるはずだ」

「全体……?」

「よおし、今度こそ話は終いだ」


 まだ首をひねっている晶をおいて、凪はさっさと歩き出す。晶はブテーフと一緒に、あわてて後を追った。




☆☆☆



 都の守備隊長は、運命の日の朝、中央門にいた。煉瓦を積み上げて作った味わい深い柱にもたれかかり、気に入った部下と雑談をするのがいつもの楽しみだ。


 本日は儀式が行われることもあり、各地から人が集まってきている。観光客に粗雑な土産を売りつけようとする商人も多数おり、街中はいつもよりかなりごった返していた。


「怪しげな輩がいたら、必ず声をかけるのだぞ」


 隊長は口を酸っぱくして言うのだが、兵士の顔はどうにも締まりが無い。


(くそっ。あんな騎馬民族どもに頼りっきりだから、こんなことになるのだ)


 苦々しい思いを抱きながら、隊長は地面の小石を蹴った。その時、血相を変えた若い兵がやってくる。


「た、大変です!」

「何事だ」

「賊が、中央寺院に侵入しました! テンゲルの人質を拉致して、なおも逃走中です!」

「姫の警備兵はどうした!?」

「執務室付近の奴らは全員たたきのめされました。賊はすでに隠し階段の存在を知っていて、そこから侵入したものと思われます」


 部下の報告に、隊長の脇から嫌な汗が噴き出した。一体、どこから情報が漏れたのか。うっかりしゃべった奴がいたのでは……。


 愚痴りたくなったのを、隊長はこらえた。今は賊を捕まえる方が先だ。


「出口はふさいだか」

「領主館の方はすでに」


 それなら一応、賊の動きは封じている。隊長の嫌な汗が止まった。人質の姫もひどく太った娘で、一人ではどこにも行けまい。賊を始末してから、ゆっくり探せば済む。


「ん」


 何か大事なことを忘れているような気がして、隊長は顔をしかめた。しかし、それを思い出す前に、また部下が駆け込んでくる。


「賊が囲みを破りました。姫を連れて、外へ向かっています!」

「出口を封鎖したのではなかったのか!?」


 隊長は口から唾を飛ばして怒った。


「もう一つ、隠し扉がありまして……そこを使われたようです」

「貴様らの防衛意識はどうなっておるのだっ」

「申し訳ございません。入り口がうまく戸口のところに隠してありまして……」


 部下の稚拙な言い訳を聞いて、隊長は血管が切れそうになった。


「入り口がわかりにくかったとしても、出口で捕らえれば済む話であろうが。庭に穴があいているのに、今までなんとも思わんかったのかっ」


 鬼の形相になった隊長につめ寄られた部下が、声を震わせながら答える。


「じ、実は。前から大きな通路があることは報告にあがっておりました」

「三つ数えろ。それが貴様の寿命だ」

「は、話を聞いてくださいっ」


 腰の刀を抜いた隊長を、部下が必死に押しとどめる。


「ですが、その通路は行き止まりだったのです。これは昔の人が、何か作りかけてやめたものであろうという話になって、結局そのまま……」

「ならば賊がどうしてそこから逃げ出した! お前らに見落としがあったに決まっている! あんな太った姫を連れた相手に――」


 今度は、さっきより強い違和感が隊長を襲う。人質にとっていた姫を、テンゲルがわざわざ取り戻しに来たということは……。


「まさか」


 さっきまでとは比べものにならない、最悪の予想が隊長の頭の中を駆け抜けた。


「はは、そんなことが」


 あまりのことに、隊長は頭を振った。馬鹿げた妄想だ、と片付けてしまいたい。そう隊長が思ったと同時に、門の上の鐘が割れんばかりに打ち鳴らされた。


「何が起きたんでしょう」


 門の鐘は、非常の時にしか鳴らないものと決まっている。部下が様子を見ようと首を伸ばしたとき、矢が一本、煉瓦に突き刺さった。



☆☆☆




 ルゼブルクが運命の瞬間をむかえる少し前。晶たちも、正念場だった。


「よし、装備は全部持ったな」


 凪が最終チェックをかける。晶は自分の剣を握りながら、うなずいた。


「今日は立ち回りだからな。忘れ物しても取りに行けないぞ」


 腰につけた茸を確認しながら、凪が言った。晶もブテーフも、わかっていると返す。物理的には大丈夫なはずだが、晶はひとつ心に引っかかっていることがあった。


(やっぱり、凪の出した問題が分かってないからかな)


 すっきりはしないが、今は姫の身の方が優先だ。全て終わった後なら、さすがの凪も教えてくれるだろう。


 晶たちは覚悟を決め、そろって領主館に足を踏み入れた。この前と違い、物騒なものを持っている三人組を見て、兵士が目をむく。


「ごめんなさいっ」


 晶が最初に動いた。剣の峰で思いっきり手近な兵士を殴りつけ、一気に入り口を突破する。


 兵士の相手より、まずは姫のいる部屋までたどり着くことだ。晶は後ろの二人のために、率先して扉をあけていく。


 後ろから追いすがってきた兵たちは、凪が軒並み斬り倒す。ブテーフは弓を引き、十回に一回くらいは相手に当てていた。


 無事に囲みを突破した一同は、隠し階段になだれ込む。脇目もふらずに祈りの間を目指した。姫になにかあっては、全て台無しだ。


「くせ者だ……ぶべっ」


 廊下に出てきた兵士を、腰の入ったパンチで殴る。……なんだか段々、凪の戦い方に似てきた気がする。とてもとても不本意だが。


「くそっ、捕まえろ!」

「姫のためだ、邪魔するな!」


 室内の兵に向かって、ブテーフが矢を射かける。全く当たらないが、それでも威嚇の効果はあった。


 兵がひるんだところに凪が飛びかかって、室内はあっという間に制圧される。


「姫!」

「ここにおります!」


 邪魔にならないよう、床に伏せていた姫がのっそり起き上がった。すかさずブテーフが彼女の手を引く。


 凪が二人の護衛につき、晶は先行して部屋を飛び出した。一直線に、鍵のない引き戸へ向かう。戸を開け、床板を上げる。二つとも蓋を外したところで、晶は残りの三人を呼び寄せた。


 邪魔な床板を置こうとして、晶は板の角度を変えた。その時、晶の指が板に刻まれた溝をかすめた。


「あ」


 急に頭の中で、全てがつながった。昨日の凪の問いに、今ならはっきり答えられる。


「凪、わかった。なんでこっちを選んだか」

「おう」

「扉が重石なんだ」


 原則、階段の上の扉は閉まっている。だからロックがかかったのと同じ状態になるのだ。中から外は容易だが、逆はできない。これも単純ながら、奥が深かった。


 凪は薄く笑って、ブテーフと姫を隠し通路へ押し込んだ。それから晶、凪の順で階段をおりていく。


「追え! 逃がすな!」


 背後から、殺気立った兵士たちの声がする。晶は階段を駆け下りた。


「……あれ?」


 七段あった階段のうち、五段目だけ踏んだ感触が違う。これは、まさか。晶は凪に向かって言った。


「五段目」

「わかった」

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