第50話 かわらないもの

 人質の部屋にしては、調度はきちんと整えられている。清潔にされた部屋の中央に寝台があり、その布団がこんもり丸く盛り上がっていた。


「……あ、あの。姫?」

「わたくしはここにおります。こんな格好でお恥ずかしいですが、話には支障ないでしょう!?」


 姫、まさかの逆ギレであった。あきらとブテーフは、その剣幕に押されて「はい」とうなずくしかない。なぎだけが、わずかに顔を歪めながら口を開く。


「じゃあ、とっとと始めるか。姫様、近日あなたの兄上がここへ攻めいってきます。あなたが人質なことは、承知の上で」

「そうですか。いつかこんな日が来るのでは、と思っておりました。ここへ閉じこめられた時点で、覚悟はできています」


 最悪の事態になったことを聞いても、姫は模範のような受け答えをした。


「ご立派。しかしこのブテーフ君は、あなたが死ぬのはどうしても嫌だと言い張って、俺たちを仲間に引き入れようとした。それで、今まで一緒にいるわけですがね」

「まあ。ブテーフ、なんて危ないことを」

「へ、平気ですよっ」


 ブテーフが声をあげた。晶もそれに同意する。


「僕たちも彼と同じ考えです。罪のない人が死ぬのを黙って見ているのは、気分が良くない。なんとか脱出できる方法を考えますから、一緒にがんばっていただけませんか」


 しかし姫は、いっそう布団の奥へ潜り込んでしまった。ブテーフの目に、悲しみの色が浮かぶ。


「姫、みんな本音では『帰ってきてくれたらいいのに』と思っていますよ。ただじっとしていても死ぬのであれば、やってみても損はないのでは」


 ブテーフは必死に言葉を重ねるが、姫が出てくる気配はない。布団をかぶったまま、ごそごそ動くばかりだ。


「……今の私が帰ったところで、誰が喜びましょう」

「姫、そんなことおっしゃらずに。さあ」


 ブテーフが立ち上がった。姫が彼から遠ざかろうとして、反射的に身をよじる。次の瞬間、姫の体が寝台の端を越えていた。あっと声があがったが、もう修正はきかない。姫は布団から離れ、床に向かって落下した。


 どしん、と床が揺れる。うめき声の後、ゆっくりと姫が起きあがってきた。


「え……姫……か?」

「別人……?」


 晶と凪は、あっけにとられた。かつて見せてもらった姿絵の姫とは、全く似ても似つかない女性がそこにいる。


 馬にまたがった痩身の美女だったはずなのに、彼女は全身に肉がつき、体を起こすのも億劫そうだ。髪の色は姿絵と同じだが、正直他の共通点が見つからない。


「おや、風格が出ましたね」


 ブテーフだけは、嬉しそうに姫に接する。しかし姫は、生気を失った目で彼をにらんだ。


「わたくしは変わりました。変えられた、と言った方がより正しいでしょう。ここでは、わたくしだけが日に何度も食事をとらされます。いらないと言っても全く聞いてくれない。仕方なく日々を過ごしていたら、こんな体になってしまった。塔の女たちは、そんなわたくしを指さして笑うのです。……死んだほうが、ましでしょう」

「それは違います」


 姫に向かって、ブテーフがゆっくり首を横に振った。


「姫様は今でも、僕らのことを気にかけてくださる、お優しい心をお持ちではないですか。食って太ったのなら、食わずにいれば必ず元に戻ります。また馬に乗れるようになったら、昔のように速駆けを教えてください」


 ブテーフの言葉を聞いて、姫の目に涙が浮かぶ。


「望んで、いいの」


 ブテーフは何度もうなずいた。


「一緒に帰りましょう。テンゲルに」


 姫がついに、ここで首を縦に振った。子供のように、回らない舌で何度も「帰りたい」と繰り返す。ブテーフはその全てに、相づちをうっていた。


「……いいねえ、青い春」


 凪は、相変わらず余計なことだけ積極的にやりたがる。


「おっさん、いいところだから混ぜっ返さないで」

「ぼーっとしてると夜が明けるんだよ。どうやって逃げるか、その方法を詰めとかなきゃまずいだろうが。ってことで、そろそろいいかいご両人よ」


 凪が声をかけると、ハワルとブテーフがそろって顔を上げた。ブテーフはまだ半分夢の中だが、姫はもうしっかりした顔つきになっている。


「わかりました」

「俺たちは今まで、寺院の上にある隠し部屋をのぞいてきた。儀式当日、あんたがこもるところだな。あそこに井戸があるのは知ってるか?」


 ハワルは知らない、と答えた。


「いつもお祈りが終わると、さっさと出ろとせき立てられますので。じっくり見る暇などありませんでした」

「そうか。奥の階段の先にある井戸が、外につながっているんだが……問題が一つ。姫、立ってもらえるか」


 姫が周りの家具を支えにして、よたよたと立ち上がる。その動きは実にゆっくりで、じれったい。何も事情を知らない凪が見たら、「転がった方が速いな」とでものたまっただろう。


 ようやく姫が、完全に立った。凪はさらに、「部屋の隅まで走ってみてください」と指示を出す。姫はふうふう言いながら、足を動かす。しかしいくら頑張っても、その早さは常人の早歩き程度でしかなかった。


「これじゃ時間がかかり過ぎるぞ」


 凪がぼやく。晶も同意した。


「無事に通路まで行けたとしても、井戸の上り下りはロープ一本だからねえ……腕の力だけじゃどうにもならないよ」

「となると、あそこはダメだな。途中にあった引き戸はどうだ」


 凪に言われて、晶は扉の存在を思い出した。確かに、あそこは一度も見なかった。中の様子はどうなっているのだろう。


「カタリナ、あそこ見た?」


 晶は小声で、宙に向かって話しかける。しかし帰ってきたのは、「ふん」という鼻息だけだった。サービスタイムは終わったらしい。


「行くだけ行ってみようか」

「確かに。より安全に行けるならそれでよし、もしダメなら井戸下りだ。覚悟しとけよ」

「もちろん」


 話はまとまった。凪がハワルに向き直る。


「ということで。新しい通路を探しては見るが、最悪の場合は井戸から脱出になるんでよろしく」

「はい、かじりついてでも参ります」

「いざとなったら、僕が背負っていきますっ」


 今までのブテーフとはうってかわって、全身にやる気がみなぎっている。ハワルはその姿を、にこにこ笑いながら見つめていた。案外この二人、うまくいくんじゃないかな。晶はそんな希望を抱いた。


「よし、行くぞ。カタリナ、俺たちを魔法であの廊下まで連れて行け」


 男三人が立ち上がったところで、凪がカタリナに無茶ぶりをした。


「一回だけじゃ。そう言っておいたろう」

「晶が一回、俺がゼロじゃ不公平だろうが。こっちにもくれ」


 凪はまことに、自分の都合のいいように物事を解釈していた。カタリナの右手が、ぴくっと痙攣する。


「まあ、待て。ここで俺たちに力を貸しておくと、明日が大変面白くなる。囚われのお姫様が、囲みを破って大脱出。映画にでもなりそうだ」

「そのような俗なものはしばらく縁がないの」

「ここまで来たら見たいくせに。そもそも黒猫だって、姫を助けるのに賛成してたんだぞ。お前の上司と同格の男の意見、反故にしていいのかよ」

「ぐ……」


 カタリナは真っ赤になって、しばらく考え込んだ。そして唐突に、声を張り上げる。


「言っておくがな! ほんっとーにこれで最後じゃ!」

「ひゅーひゅー」

「そこの姫が生きるも死ぬも、貴様等次第じゃぞ!」

「わかってますわかってます」


 カタリナの視線を、凪が軽く受け流す。この男には言っても通じないと判断したカタリナは、黙って指を鳴らした。


 すると、晶たちの周りに無数の歯車が現れる。きりっ、きりっ、という、金属のこすれあう音が聞こえてきた。周りの音に耳をすませているうちに、晶の目の前が真っ暗になった。



☆☆☆



 再び気がついた時には、晶たちは寺院の隠し通路の中にいた。相変わらずがらんとして、人気がない。


「カタリナ、ありがとう」


 約束を守ってくれた番人に、晶は礼を言う。しかし今度こそ、彼女はきれいさっぱり姿を消していた。


「さあて」


 気を取り直して、晶は木戸に手をかけた。鍵はかかっておらず、からからと軽やかな音をたてて扉が開く。ところが、扉の向こうは四畳半ほどの物置になっていた。


「えええ……」


 ブテーフが落胆して声を漏らす。しかし、これだけ隠し通路だらけの寺院だ。ぱっと見だけであきらめるのはまだ早い。晶はしゃがみこみ、床板に目をやった。


「あった!」

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