第49話 女装はお約束

 部屋に入るやいなや、たちこめる香のにおいにあきらは顔をしかめる。頭上にはなにやら家具があり、立つと頭をぶつけそうだ。這って外へ出ると、豪華な装身具が並ぶ鏡台が目に入る。


 晶たちが通ってきた通路は、天蓋つきの寝台の下にあったようだ。部屋は華やかな絨毯や照明が並び、身分の高い女性の部屋であることがうかがえる。


「……おいおい」


 部屋を一目見たなぎが、低くうなった。


「ここは、あの第一夫人の部屋だぞ」

「え!?」


 そういえば凪は中まで足を踏み入れている。彼は人気のない部屋をまっすぐ突っ切った。そして衣装箪笥を開け、中をばさばさかき回す。


「い、一体なにをしてるんだい!?」


 ブテーフに聞かれたが、晶にだってわかりはしない。戸惑っていると、凪が振り向いた。


「お前ら、しゃべる前にとっととドレスに着替えろ」

「はあ!?」

「いいから早く!」


 凪の剣幕に押されて、二人は仕方なく近くにあったドレスをひっつかんだ。幸い第一夫人はかなりふくよかな体型をしているので、着用には困らない。


 それから凪は、全員に顔を覆う装身具をつけさせ、部屋入り口付近の物入れに潜り込むよう指示を出した。わけがわからないまま、なんとか晶たちが腰を落ち着けた時、にわかに外が騒がしくなる。


「それでね、あの方がおっしゃったのよ」

「その前に、さっきのところをもっと詳しく言ってくださらなくっちゃ」

「来月お芝居がくるんですって。異国の一座らしいわよ」

「あら、どんな俳優がいるのかしら」


 物置の中からかろうじて聞き取れたのはそれくらいで、あとはきゃあきゃあと耳にくる高音ばかりだ。凪が苦笑いしながら、耳をふさいでいるのが見えた。女性たちが嵐のように去って行ってから、ブテーフが口を開いた。


「……彼女たちが戻ってくると、よくわかったね」

「そろそろ社交場が閉まる時間だからな。ただ、ご婦人たちの中には夜更かしがお好きな方もいてね」

「で、僕らはどうしたらいいんだい」

「もうしばらくしたら、あの中の誰かが帰ったような素振りでここを抜け出す。そして塔の上を目指すぞ」


 凪がはっきり言うと、ブテーフは緊張した面もちでうなずいた。


「ただし兵にからまれたら、その時点で計画は中止だ。さすがにしゃべったら男の声なんですぐわかるからな」

「賭だね」


 晶が肩をすくめると、凪は低くうなった。


「この計画そのものが賭だから仕方ないだろ」


 それを最後に、凪は黙り込む。晶も無駄口を慎み、彼が合図を出すのを待った。


 寝室から、女たちの声が高く響く。それと同時に、凪が立ち上がった。身振りで、晶たちについてこいと指示する。三人は固まって、できるだけ女に見えるようしずしずと歩いた。


 部屋の外にいた見張りが、ちらりとこちらを見てくる。晶は不自然に立ち止まりそうになるのをこらえた。


 女性への礼か、高価そうなドレスを見て安心したのか。兵士は一同を呼び止めなかった。彼の視界からはずれると、晶たちは足を速めて上の階へ急ぐ。


「おー、うまくいったうまくいった」

「……寿命が縮みそうになったけどね」

「でも、あとはハワル様までいっちょくくくく」

「そこの挙動不審な男は置いておいての。どうやって姫を見つける? 一部屋ずつ開けて回ろうとでも言うのか」


 いきなりカタリナの声が聞こえてきて、晶と凪はびたりと足を止めた。


「てめ、今までどこにいやがった」


 ブテーフは、まだ一人で思考を巡らせている。彼を置いといて、凪がカタリナに悪態をついた。


「秘密じゃ。そちらは何をしておった? どうせ魔法も使えぬ黒猫と貴様らでは、大したことはできまいよ。ケチくさいことをやっていたのであろう。そこで、一回だけ貴様等にわずかな慈悲をくれてやることにした」

「うっせえ」

「僕らだってがんばったんだよ」


 晶たちは抗議するが、カタリナはそれを鼻で笑う。さすがにこれには、凪もあからさまに苛立った。


「自分はなにもできねえのに、態度がでかいぞ。どの道お前にゃ頼らん。部屋を片っ端から探してみるまでだ」


 どうせ泣きつくと思っていたのだろう、凪のこの一言でカタリナが眉をあげた。


「そんなことをしたら、兵に気づかれてしまうかもしれんぞ」

「かまうか。俺たちはどうせただの人間だ、せこく地道にこつこつとやるしかねえ。行くぞ」


 凪は完全にカタリナに背を向けてしまった。晶はちらっと彼女の様子を見る。言い過ぎたと気づいているのか、カタリナは頬を膨らませて黙り込んでいた。


(ちょっとひねくれてるけど……悪い子じゃないんだよなあ)


 本当に何もしたくなければ、ただ黙っていればよかったのだ。わざわざ出てきたからには、なにか手助けしてくれるつもりだったに違いない。


 凪もそれに気づいてはいるが、自分から歩み寄るつもりはないようだ。カタリナがぐぬぬ、と唸って唇をかんだ。


 そろそろ自分が間に入るべきかな、と晶はため息をついた。二人とも妙に頑固なところがあって、誰かが緩衝材にならないと喧嘩が終わらないのだ。


「でも、一つ一つ調べてたら、部屋の主が帰ってきちゃうかもしれないよ」

「む」

「カタリナ、教えてくれると助かるなあ。僕たちにはわからないこと……たとえば姫の部屋とか……をつかんでるんでしょ」

「ぐ」

「ねえ、二人とも仲直りしようよ。時間がもったいないったら」


 凪とカタリナはしばらく猫のようにうなりあっていたが、ようやくふっと肩の力を抜いた。


「まあ、晶がここまで言ってることだし」

「そうじゃ。晶が泣いて頼むのだから仕方がないのう」


 困った大人たちである。晶ははいはい、とうなずきながら、この場をまとめにかかった。いろいろ言ってやりたいことはあるが、今は飲み込んでやることにしよう。


「で、カタリナ。姫様の部屋はどこ?」

「ついてまいれ」


 あっという間にいつもの調子に戻ったカタリナが、上階へ移動していく。凪がそれを早足で追う。


「行きましょう、ブテーフさん」


 完全に一人とり残されていたブテーフの背中を、晶が押した。


「……彼はまた、例の神様と会話したのかい? 今度は君も?」

「ええそーですそーです。もう病気みたいなもんです」

「何がなんだかさっぱりだよ」

「その方が幸せです」


 結局最上階まで、ブテーフは首をひねり続けていた。


 階段がとぎれると、ようやく全員がひと塊になる。それを確認してから、カタリナが一つの扉を指さした。さっそく、凪が飛び出して巡回の衛兵をぶちのめす。意識を失った彼から鍵を奪うと、扉の大きな錠をあけた。


 チャンスは今しかない。晶は怖じ気付くブテーフを、無理矢理扉の前へ引っ張り出した。


「もし……外で何かございましたか?」


 部屋の扉越しに、可憐な少女の声が聞こえてきた。ブテーフがさっきまでとはうって変わって、身を乗り出す。


「ひ、姫様。ブテーフです。覚えていらっしゃいますか」

「……まさか。でも、その声は……」

「大事なことをお伝えに参りました。ここを開けてもよろしゅうございますか?」

「え、それは……」


 姫の声が、一瞬で暗く沈んだ。さっきまではあんなに嬉しそうだったのに、どうしたのだろうと晶はいぶかしむ。


「こ、ここで。このまま、聞きましょう」


 姫は主張するが、塔脱出の話を廊下でさせるわけにはいかない。もっと押せ、と凪がブテーフの後ろでささやいた。


「ここでは本当に無理なんです。姫のお命に関わりますゆえ、どうか中に入れてください」

「……お姫様。今俺たちは、衛兵の目を盗んで会話してるんです。なかなか危険な状態なんでね、どうしてもダメってんならせめて理由を教えてもらえませんか」


 ブテーフと一緒に、凪も姫の説得にかかった。一拍の空白の後、部屋の扉が開く。晶たちは、遠慮しながらゆっくりそこへ足を踏み入れた。

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