第47話 いざ潜入

 あきらは猫をあやすふりをしながら、廊下や部屋を観察した。しかし、どこにも異変は見当たらない。


(まさか忍者屋敷みたいに壁が回転……)


 そんな考えも浮かんだが、晶は却下した。残っているのは出入り口の扉くらいだが、あれを使ったところで寺院の入り口に出るだけだ。


「おい、主に言って、餌でももらってきたらどうだ?」


 ずっと立ちっぱなしの晶を見た文官が、再度声をかけてきた。長くいすぎたようだし、戻るか。しゃあない、という雰囲気を漂わせながら、黒猫が器用に降りてくる。


「お、やっと来たな」

「いい気なもんですね。ありがとうございました」

「ぶにゃー」

「しかし坊主は真面目だなあ。きっと出世するぞ」


 気のよさそうな文官はにこにこしていたが、晶の腹の内を知ったらきっと腰を抜かすだろう。罪悪感を抱えながら、晶はあいまいに笑った。



 ☆☆☆



「全く、急にいなくなるから驚いたぞ」


 宿に戻ると、成果の報告会が始まった。今日は珍しく、晶の方がなぎに怒られる。


「しかし、あの猫は王宮でちゃんとやってるのかねえ」


 やりとりを聞いていたブテーフがぼそっとつぶやいた。彼の目線の先には、黒猫が寝ていた形のままくぼんでいる毛布がある。黒猫は無事お買い上げいただいて金までもらっていたので、塔に置いてこざるをえなかった。


 彼は今、死ぬほど嫌っている第一婦人と濃密な時間を過ごしているに違いない。……早く助け出してあげないと。


「凪、何か聞き出せた?」

「いや、寺の構造については全然。ご婦人たちがどうやって生活してるかくらいだ」

「聞かせて」

「昼間は身分によっててんでばらばら。ただ、夜はみんな付き合いで大広間に集まる。第一・第二婦人が集まり好きなんで、仕方無くって感じだな」


 凪が眉をかすかに上げる。


「連れ出すまではできなくても、その時を狙えば接触くらいはできるかもな」

「それいいね」


 晶はうなずいた。何も知らない姫をいきなり連れ出すより、自発的に逃げる気になってくれていた方がやりやすい。できればハワル姫と、一度会っておきたかった。


「姫様と、せせせせせ接触」


 急にブテーフが興奮しだした。あらぬ妄想をたくましくしないで欲しい。


「なんだ、口あけて。そんなことしてても、入ってくるのはハエだけだぞ」


 凪に混ぜ返されて、ブテーフは耳まで真っ赤になった。


「凪」


 晶がたしなめると、凪はようやく笑うのをやめて真顔になる。


「俺の方はそんなところだ。ご婦人の機嫌を損ねたら一発アウトで退場なんで、あんまり突っ込んだ話もできなくてな」

「ああ、難しそうね」

「明日も来ていいとは言ってもらったんで、とりあえず足を運んでみるわ」


 凪の話はそこで終わりだった。二人が期待のこもった目で、晶を見つめてくる。居心地の悪さを感じながら、晶は口を開いた。


「黒猫の後を追っかけたんだけど」


 晶はざっと、執務室前廊下の様子を説明した。そして、隠し通路の類いはなかったことも報告する。


「そうか。位置を考えるとあの執務室付近しかないと思ってたんだが……」


 館の左手から中央にかけては、召使いたちの生活の場。そんなところを身分の高い女性がうろうろするはずはない、と凪は言う。


「そもそも隠し部屋なんて、どうして造ったんだろうね」


 ブテーフがのってきた。


「ご婦人情報によるとだな。あそこは昔、ここの領主も熱心に通っていた施設だったそうだ」


 しかし、いくらなんでも領主を一般庶民と同じところで参拝させるわけにはいかない。暗殺のリスクがあるからだ。そこで苦肉の策として考え出されたのが、あの隠し部屋だという。


「ま、今の領主は通うこともあまりないから、あそこは姫しか使ってないようだが」


 脱線していた話は、そこで元に戻った。実際に部屋がある以上、絶対に入り口はどこかにある。なんとかして、それを見つけ出したい。


「もっと詳しく調べられないのかね!」


 ブテーフがやけくそ気味につぶやいた。その時、晶の頭に一つ考えがひらめく。


「成功するかは、わからないけど」


 晶は声をひそめて、今思いついたばかりの計画を打ち明けた。



☆☆☆



 次の日の深夜。寺へ向かってぞろぞろ進む、むさくるしい男たちの集団がいた。皆、動きやすいゆったりした上着とズボンをまとい、口元と髪を布で覆っている。


 彼らは、寺の像の保全を行うために雇われた日雇いの若者たちだった。腕利きの職人もいるのだが、単純にものを動かしたりゴミを捨てるための人員が必要なのだ。


「そこの新入り共。不用意に像に近づくんじゃねえぞ」

「へーい」


 丸太のような腕をした親方がすごむと、日雇いの若者たちはそろって気の抜けた返事をした。どうせ大した責任はないし、とたかをくくっているのだ。しかしその中で三人だけ、やけに真剣な目をしている若者がいることには、さすがの頭も気づかなかったようだ。


「混じってしまえば、意外とバレないもんだな」


 寺の入り口付近で、作業のまねごとをしながら凪がつぶやいた。


「あれだけ初対面の人がいればね。思ったより目立たなくてよかった」


 晶も胸をなでおろす。


「そそそそうだね」


 ブテーフだけが、一人転びそうになっている。顔色は真っ青だ。しかし凪に、


「お姫様が待ってるぞ」


 と言われると、みるみる顔がしゃっきりしてきた。恋の力は偉大である。


 ようやく三人とも息が整ってきた。そろそろと忍び足で移動を開始する。寺から離れるほど、言い訳がしにくくなり危険が増す。はじめはゆっくり、最後は一気に駆け抜けた。


 領主館の右側、衛兵が近くにいない窓までたどり着くと、凪が伸び上がってガラス窓の中をのぞき込む。廊下側にも兵がいないのを確認してから、凪は小さく窓を叩いた。


 するとすぐに、上からするすると黒猫が降りてくる。黒猫は器用に前足を使い、窓の鍵をあけた。


 まずはじめに、何でもできる凪が室内にすべりこむ。衛兵の死角になる柱の陰で、素早くだぶだぶの上着とズボンを脱ぎ捨てた。すると、すっかり見回りの兵と同じ見た目になる。目立つ顔も、暗がりでちょうどよく隠れていた。


 凪は上着を適当な隙間に押し込むと、いかにも疲れた様子で床にへたりこむ。そして、周りに聞こえるような声で悪態をついた。


「おい、どうした」


 何も知らない見張りが、凪に近づく。凪は顔を伏せ、息を弾ませながら答えた。


「ちくしょう、あの猫……」

「猫?」


 ちょうどこのタイミングで、黒猫が「にゃおおおおおん」と長く鳴いた。それがいかにも人を小馬鹿にしたような声だったので、晶は思わず笑いそうになる。


「あれか。どっかの野良か?」

「いや、第一夫人が新しくお買いになった猫で……」

「あのブタ夫人かよ」


 今度はブテーフが吹きそうになったので、晶はあわてて彼の口を押さえる。


「飼い主に似ず、すばしっこい……追いかけ続けて、このざまだ」

「逃がすと厄介なことになりそうだな」


 衛兵たちが顔を見合わせた瞬間、黒猫がまたひらりと飛んだ。三人がかりでとり囲んでも、その間をすいすいとくぐり抜けていく。


「おいこら、待てっ!」


 衛兵が黒猫を追う。廊下に誰もいなくなったところで、凪が中から手招きをした。晶は自力で、ブテーフは凪に力を貸してもらって、屋敷の中へ入り込む。


「いいか、同じ手は二度と使えない。今のうちに、怪しいところを全部調べろ」


 凪がさっきとは全く違う、しっかりした声で言った。二人はうなずき、部屋や扉を片っ端から調べ始める。壁、大きなタンス、床。手当たりしだい探ってみたが、人が通れそうなところはどこにもない。


「おい、そこのタンス。ちゃんと閉めとけよ」


 凪に言われて、晶は振り返った。彼の言うとおり、タンスの扉が開けっ放しになっている。なかなか見つからない焦りから、動きが雑になっていたようだ。


「ごめん」

「何かあったか」

「いや、ダメ。何もない」


 そこへ、ブテーフもひいひい言いながら戻ってくる。


「そっちは」


 凪が問いかけると、ブテーフは首を横に振る。探索は全員戦果なし、という悲しい結果に終わった。


「まずいな。しかしここにいつまでもいると、見回りが帰ってくるぞ」

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