第46話 ただしイケメンに限る

 扉が開くと、濡れないように屋根がついた石畳の道がある。そこを抜けると、大きな広間にたどり着いた。床には毛足の長い絨毯がひかれ、壁紙には花の文様が入っている。そして、華やかな装飾に負けずに着飾っている婦人たちが、あちこちで輪になって話をしていた。


 婦人たちの位の高さは、身につけているものの豪華さで大体知れる。宝石を多く身にまとい、きらびやかな婦人ほど輪の中心にいた。


「にゃ……」


 一人の婦人を見て、黒猫があからさまに怯えた。凪は黒猫の腹を軽くつつく。


「にゃおーん」


 黒猫が仕方なさそうに、長く鳴いた。おしゃべりで盛り上がっていた婦人たちが、ようやくこちらに気づく。


「あら、昨日の猫ちゃんじゃないこと」

「本当!」


 わっと婦人たちが声をあげた。次いで、営業モードのなぎを見て、彼女たちはさらに活気づく。


「まあ、貴方が飼い主?」

「猫ちゃんの毛と同じ、黒い目ね」

「素敵!」


 同じく黒い目をしているあきらとブテーフには触れもしない。二人はこっそり笑いを交わし合った。女の人の評価というのは、実に点が辛い。


「お兄さんはどこの人?」

「どこということもありませんねえ。綺麗な女性がいるところなら、どこへでも」


 凪の手垢がつきまくったような台詞にも、女性たちはきゃあきゃあ言いながら喜んでいる。


「今日はこの猫の飼い主になってくださる、心優しいご婦人を探しに来たのです」

「かわいいけど、血統はどうなのかしら」

「私も突然出会いましたので……ただ、彼は霊験あらたかな山の中で、祠を守っていたのです。飼えば御利益があるかもしれませんよ」


 凪がいけしゃあしゃあとついた嘘に、婦人たちが身を乗り出した。しかし、買いたいという声はあがらない。一番豪奢な格好の女の反応を気にしているのだ。


「まあ、そんないわれのある子なの」


 一番手の婦人は、満足げに黒猫を抱く。彼女の香水の匂いが、晶たちのところまで漂ってきた。この人が、昨日黒猫が語った〝恐怖の〟婦人だろう。


 残った婦人たちは、なんとなく面白くなさそうな顔で凪を見ている。序列に従った結果とはいえ、自分たちに何もない、というのはやはり面白くないのだろう。


「そうそう、ご事情で猫が飼えない方々にも、こういうものをお持ちしましたよ」


 凪が小さな人形を出すと、婦人たちは再び活気づいた。しかし、品物をよく見ると、途端につまらなさそうな顔になる。


「あら、こんな荒い彫り……」

「もう少し手のかかったものでないと、うちに飾れませんわ」


 やはり、身分の高い方々は目が肥えている。名も無い仏像作りの青年が、一日で造ったモノを珍重する相手ではなかった。しかし、凪は未だに笑っている。こういう反応をされることは予測していたようだ。


「すみません、これを造ったのは私でして。奥様たちのお側に置いていただきたい、と思いをこめて」


 歯の浮くような台詞。晶が言ったら笑われるだけだろう。だが、凪が色気を振りまきながら切々と語ると、ご婦人方の頬が赤くなる。


「ま、まあ……見ようによっては、そう悪くないかもね……」

「この耳のところなんて味がありますし」

「ちゃんと目の色も、両方で違っています」


 婦人たちが凪を持ち上げるに従って、ブテーフと衛兵たちの目には殺気が宿ってきた。……同じ男として、面白くないのは実によくわかる。


 凪はそんな視線をものともせず、大きく両手を広げた。


「しかし、皆様がおっしゃられた通り、品としてはまだまだです。もし差し支えなければ、お部屋の調度を拝見して、参考にさせていただきたい」

「図々しいぞ!」


 流石にこの一言には、衛兵から待ったがかかった。彼らの声には、だいぶトゲが混じっている。正しいのは、明らかに衛兵だ。しかし、婦人たちは一斉に男共にかみついた。


「あら、何よ」

「奥様方、このような男をそう簡単に信用なさっては困ります。万一のことがあれば、なんとなさるのですか!?」

「そのような事態を防ぐために、あなた方がいるのでしょう?」

「これだけいながら、たった一人の男相手に情けないこと」

「なにも寝室にまで入れるわけではありませんわ。全く、なんて無粋な」

「本当ね。単に焼き餅をやいているのかしら」


 女の集中砲火を受けては、衛兵たちなどひとたまりもない。今にも噛みつきそうな顔をしながら、彼らは引き下がった。


「さ、お兄さん。こちらよ」


 凪は女たちに取り囲まれたまま、大広間を出て行く。晶たちもそれを追った。


 大広間から塔へと、回廊が伸びている。凪はご婦人たちの相手で手一杯そうなので、晶は周りを観察することにした。開けっぴろげなように見えて、塔の周りにはあちこちに兵がいる。大きな木や花壇もなく、立ってさえいれば庭の隅々まで見通せそうだ。


 兵士たちが守っている真っ白な塔は、周りを威圧するように堂々とそびえている。

窓はあるが、細くて小さい。縦にはそこそこ長いのだが、とても大人一人はくぐれそうになかった。


 窓からロープで脱出、という手は使えなくなったな。そう晶が思っているうちに、塔の入り口まできていた。


 殺風景な外観に反して、入り口は華やかな花で飾られている。


「さ、こちらへ」


 第一婦人が手招きをする。彼女は塔の一階、右側の扉の前に立っていた。そこが私室なのだろう。


「一階に、身分の高い人の部屋?」


 マンションでも、最上階が一番いい部屋と決まっている。首をかしげる晶に向かって、ブテーフがつぶやく。


「あんな重いドレスを着てるんだよ。一階にいるのが楽に決まっているだろう」


 晶は納得した。エレベーターもエスカレーターもないこの世界では、一番上が特等席、とは限らない。見晴らしのために、日々の移動を犠牲にはしないということだ。ということは、人質など身分の低いものほど上の階にいるということになる。


(困ったな。連れ出すのが難しくなったぞ)


 部屋に入る前に、晶はちらっと階段を見た。石造りの階段の狭さは想像以上で、大人がすれ違うのがやっと。下から兵士が押し寄せてきたら、逃げ場はなくなってしまう。


(……やっぱり、儀式の時を狙うしかないか)


 晶はそう結論づけて、婦人の部屋に入る。凪は奥まで入室を許されたが、晶たちは戸口で待つよう言われた。


「はいはい」


 露骨な扱いの差に苦笑いしながら、晶は床に座った。衛兵たちに見られているので、ブテーフと話をするわけにもいかない。


 ぼんやり上を見つめていると、視界をふっと黒いものが横切る。何かと思えば、黒猫だ。晶と目が合うなり、黒猫はわざとらしくウインクをする。


(……下手)


 ウインクというより、くしゃみを無理に我慢しているような顔だ。しかし、それでも何かを伝えたいという意図は感じる。衛兵が凪に気を取られている間に、晶はこっそり部屋を抜け出した。


 入るときはよく見ている衛兵たちも、出て行く者に対してはチェックが甘い。晶は無事に、執務室前までたどり着いた。


「にゃ」


 黒猫は晶がついてきているのを確認すると、体をくねらせてあっという間に壁をよじ登る。わずかなくぼみを利用して、てっぺんまで上がっていった。


「あーあ……」


 呆れる晶を見て、廊下にいる文官たちが笑っている。


「坊主の猫か、あれは」

「さっきまでは。でももう売れてしまって。ふくよかで、指輪の好きなご婦人に」


 晶がそう言うなり、文官たちの顔がひきつった。


「ケーニギン様の猫か! それでは無理に下ろすわけにもいかんな。怪我でもさせたら、兵士の首の方が飛んでしまう」


 晶は慌てる彼らに声をかけた。


「お腹がすいたら、きっと降りてきますよ。僕が見てますから、お仕事に戻ってください」


 文官たちは目を見合わせて、少しほっとした顔で仕事に戻っていった。廊下の文机の上には、大量の書類が積み上がっている。


 部屋から部屋へ行き交う大人たちを、黒猫はじっと見ていた。もう自分の用は済んだ、と言いたげだ。彼がわざわざ晶をここに連れてきたからには、理由がある。見つけろ、と言っているのだろう。寺院の上階に通じる、隠し通路を。


 晶は猫をあやすふりをしながら、廊下や部屋を観察した。しかし、どこにも異変は見当たらない。

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