第44話 イトグチ・キッカケ
七賢人にも選ばれた彼がここまで怖がるとは。何があったのだろう。
「とりあえず、
「なんだ。もう帰ってきたのか」
晶は口を開けて、凪を見つめた。さっきまで飲みまくっていたのに、凪はしれっとした顔をしている。
「え、酔ってたのに」
「この程度のアルコールで酔わねえよ。黒猫が戻ってきたときに、こいつがいたら突っ込んだ話がしにくいだろ」
完全に潰れているブテーフを指さしながら、凪が言う。未だに、この人が何を考えているかはさっぱり読めない。
「おい、おっさん。なに震えてんだ。中年過ぎたら、男の価値は肝っ玉だぞ」
凪にからかわれると、黒猫はようやく体を起こした。
「君には分かるまい。私が体験した、おぞましき園のことなど」
「じゃあそれをとっとと話せ」
黒猫の髭が、ぴんと伸びた。
「私はまず、闇にまぎれこんで施設の中に入った。人ほどかさばらぬから、たやすいことだったよ」
黒猫は施設の内部構造を語りだす。晶は慌てて、紙を取り出して書き取った。
彼の言うことを要約するとこうなる。ここの宗教施設は独立しておらず、領主が所有している。ゆえに、領主の居住館も近接して建っている。
まず、晶たちが今日行った施設。その周りを囲むように、コの字形の別館がある。
別館の左側には台所、風呂、召使いたちの部屋など、生活のための場が集まっていた。そして右側は高官や執事たちの執務室。そして別館の右からは、回廊が延びている。そこを抜けると大広間と、位の高い女性たちの暮らす塔、主の居室を擁する本館となる。
大雑把ではあるが、これが領主館の全体図だった。
「短い間にこれだけ回ったのか。大したもんだ」
凪が素直に褒め言葉を口にする。黒猫は一瞬笑ったが、すぐ真面目な顔に戻った。
「始めに行ったのは、この別館だよ。台所から入り込んで、人がいなくなった隙に抜け出した」
それから、兵士の目をかいくぐって館の中を探索した。灯りの油は貴重なので、別館の左側は暗い。黒猫は自在に動くことができた。
「まあ、それも召使いたちの部屋までだったが」
流石に高官たちの執務室前までくると、灯りがこうこうとつき、見張りの兵の数も段違いになったと黒猫は語る。
「私は廊下をうろついていたのだが、これは分が悪いな、と思った。で、引き返そうとした」
黒猫が低くうなった。
「しかし、知らず知らずの間に、兵士ばかりに目がいっていたのだろうな。迫り来る、恐ろしいものに気がつかなかった」
「それは何?」
「女の手だ」
「……女だあ?」
「ああ、全部の太い指に、がちがち音がするほど指輪をはめている。その上、十歩離れたところでもわかるくらいのきつい香水。……あれをご婦人とは呼びたくない。紳士失格だがね」
「まあそこんとこはどうでもいい。身分の高い女に、うっかり見つかったんだな?」
落ち込んでいる黒猫を無視して、凪が無理矢理先に話を進めた。
「そうだ。そやつは私を見るなり、『んまあ!』と百歩先まで届くような声で叫んでな。『なんてきれいな目なんでしょう、こんな猫見たことがないわ』ときた。それから先は聞いてないね」
「なんで?」
「あの声をまともに聞くと気を失うよ。その分、目はしっかり外に向けていたがね」
黒猫が戦果をあげられたのもそこまでだった。社交場へ入れられてしまったのだ。金糸の華やかな垂れ幕と、豪華な料理がちらりと見えたのを最後に、黒猫はご婦人たちに取り囲まれる。
「女が集まると、とにかくまあかしましいこと。七賢人は男の方が多いから、しばらく忘れていたよ」
耐えきれなくなった黒猫は、なんとかご婦人たちの手を逃れて、外へ出た。茂みの中をジグザグに走り、不審がる兵たちに追い回されつつも、足は絶対に止めなかった。
気がついたら、宿の前で晶に発見されていたのだ――黒猫は、身を震わせながらそう締めくくった。
「……まあ、なんというか、お疲れ」
「本当に疲れたよ。明日からどう動くのかは、君たちに任せる」
晶は黒猫の背中をなでながら考えてみた。
「ねえ、凪。侵入するには、やっぱり僕たちだけじゃ無理だよね」
「お前もそこにたどりついたか。流石うちの従業員だ」
二人は顔をつきあわせて笑った。それからそろって、黒猫を見つめる。
「にゃあ……」
不穏な空気を察した黒猫が、か細い声をあげた。
☆☆☆
翌朝、晶たちは部屋で簡単な朝食をとりながら、作戦会議を開いた。
「晶。今日これからやることは分かってるな」
「うん。身分の高いご婦人たちに黒猫がうけるのなら、彼を餌にして入り込むんでしょ。商人のまねでもして」
食物、衣服、宝石などはすでに顔なじみの商人がいるだろう。動物の売買なら、今まで取引していなかった奴が入り込む隙があるのではないか。
……しかし、この案にも問題があった。
「売り物がこいつ一匹だけってのがな、弱いけど」
「確かにね……でも、野良猫捕まえても仕方無いし」
「今回は一匹だけしかいいのがいなくて、と押し切るしかないか。しかしそれだと、長居はできんな」
今の晶たちには、情報が少なすぎる。チャンスは月一回の儀式の時だけ、今度のそれを逃したらテンゲルから軍が出発してしまう。失敗は許されないのであれば、じっくり下調べをした方がいいに決まっている。
「ねえ、君たち。僕の話を聞かないか」
ひそひそと話をしている晶たちに、ブテーフが声をかけてきた。酔いつぶれていたが、二日酔いなどはしていなさそうだ。
「僕も何かしなきゃと思ってさ」
格好つけて前髪をかき上げているが、ブテーフの顔は強ばっていた。今までずっと、置いてきぼりをくっていたのが歯がゆかったのだろう。
「テルーダに再度、連絡をとったんだ。寺院のことをもっと聞かせてくれたまえ、ってね。どうだい、この鮮やかな手並み」
ブテーフは胸を張る。しかし、凪は声を低くした。
「間違いじゃねえがな。お前、そいつをどこまで引っ張り込むつもりだ?」
「え」
「そいつはここの商人なんだろう。人質奪還はテンゲルにとっちゃいいことだが、ルゼブルクに対しては裏切り行為だぞ」
凪がブテーフをにらんだ。しかし、今度はブテーフも負けじと言い返す。
「そんなことは僕だってわかっているよ。人質のことは聞いてない。ただ、寺院建築に興味がある人がいる、としか言ってないさ」
思ったよりブテーフが冷静で、晶はほっとした。姫さえ無事なら他はどうなってもいいと思うほど、自分勝手にはなっていない。
「せっかくだから話だけでも聞くか」
「おーい。テルーダ」
「もう来てんのかよ」
凪のつっこみを背に受けながら、ブテーフは駆け出す。間もなく彼は、一人の青年を連れて戻ってきた。テルーダは痩せ型の青年だが、全身に筋肉がついている。どういう商いをしているのだろう、と晶は考えた。
「寺院建築、って言っても、難しいことはわかりませんよ」
頭をかいているテルーダに向かって、凪が椅子をすすめた。
「いや、わかるところだけでいい。今日は悪かったな。とっといてくれ」
凪が銀貨を差し出す。テルーダが、それを見て目を白黒させた。
「そこまでしてもらわなくても」
「いや、仕事の時間をとってるんだ。これくらいさせてくれ。今日も色々聞くしな」
凪が言うと、テルーダは銀貨を胸元にしまった。
「で、具体的には君はなんの仕事をしてるんだ?」
「ブテーフから聞いてないの。あいつ、相変わらずぼーっとしてるなあ」
テルーダは笑いながら頭をかいた。
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