第43話 げに恐ろしきは
「とりあえず、姫が出てくるっていう、祈りの場を見に行ってみるか。運が良ければ、一般市民も入らせてもらえるかもしれん」
市民に聞いてみると、施設の場所はすぐにわかった。教えられたままに進んでいくと、急にだだっ広い庭が目の前に広がる。
とても街中とは思えない。庭の端は、はるか遠くに見える白い壁。そこまでは延々、四角い花壇が規則正しく並んでいる。大人が数千人入れそうな広い庭なのに、地面にはごみ一つ落ちていない。所々に青と金の布をかぶせられた童子の像があり、花や菓子が供えられていた。
「宗教施設ひとつで、ここを維持してるのか。よっぽど金があるんだろうな」
思い切り欲にまみれたことを言う凪。それをたしなめながら、晶は正門に近づいた。
本殿の前にそびえる内壁は、不浄なものを拒むような深青をしていた。その奥には、大きな馬車が止まっている。入り口の横に、門番が立っているのが見えた。
晶は何も知らない観光客のふりをして、入り口に近づく。狙い通り、門番のほうから声をかけてきた。
「印はあるか」
「いえ、ないです」
「では、あそこで買ってきなさい」
初めての参拝客も多いので、慣れているのだろう。門番は内壁を入ってすぐのところにある、小屋を指さした。
「あ、わかりました」
「買うなら早いほうがいいですよ。次の祈りの儀が終わったら、今日は閉めてしまいますからね」
思ったより門番は親切だった。晶は礼を言い、凪のところへ戻る。
「よし、いい機会だ。行くか」
凪は上機嫌で返事をした。しかし、彼の格好を見た晶は顔をしかめる。
「ねえ、それ何?」
どこから持ってきたのか、凪は白い布で顔をぐるぐる巻きにしていた。たまたまその姿を見た一般市民が、遠回りをして避けていく。
「俺のこの美しい顔は、めったにないからな。顔を覚えられたらめんどくせえ」
確かに顔を覚えられるのはまずいが、もっと他の方法はなかったのだろうか。
「不審者じゃん。入れてもらえないかもよ?」
「宗教はそんなことで人を差別してはいかん」
「全くもう……一応ごまかしてはみるけど、危なくなったら勝手に逃げてよね」
善良な信徒たちに遠巻きにされながら、晶たちは印を買って門番のところへ赴いた。
「ああ、さっきの。もう儀ははじ……」
門番が、凪を見て固まる。罪悪感を抱きながら、晶はぼそぼそと話し出した。
「兄なんです。うつりはしない病なのですが、顔がやられてしまったので。しかし、それでも参りたいと……」
「そうですか、失礼をしました。もう儀式は始まっています。入ってまっすぐお進みなさい」
門番は心配そうな顔をして、晶たちを送り出してくれた。人の好意が心にしみる。彼が天国に行けますように。
「あー、あちい。しかし案外ちょろいな、
凪はいつか地獄に落ちますように。
「あのね、病気だから同情してくれたのにその言い方はないでしょ」
晶が言っても、凪はどこ吹く風だ。雇い主に呆れながらも、仕方なく後をついていく。
間もなく、大広間までやってきた。青と金で彩られた広間の中は、すでに座り込んだ信者で埋まっている。さすがに立っていると目立つので、晶たちも信者にならって平伏する。
同じ姿勢を続けて腰が痛くなってきたところで、ようやく儀式が終わった。信徒たちはぞろぞろと像の前に集まり、お香から漂ってくる煙をあびている。
「僕らも行く?」
晶が言っても、凪はぼんやり上を眺めて気のない返事をするばかりだ。晶も、凪が見ているあたりに視線をあわせる。すると、一カ所だけ広間上方部の壁が妙に出っ張っているのがわかった。
「なんだろう」
不自然な出っ張りを晶が見つめていると、ゆらりと黒い影がそこを通り過ぎた。それはあまりに一瞬で、注意していなければ見逃してしまったに違いない。晶はもっと詳しく見ようと、前のめりになった。
「やめとけ。それ以上近づくと、面倒なことになるぞ」
凪に止められて、晶は我に返った。壁際の衛兵たちが、さっきからこちらをちらちら見つめている。晶は慌てて方向転換し、正面の像に歩み寄った。
「とりあえず、人質が入りそうな場所はわかった。なんとか内部を探る手段を考えよう」
凪はそう言いながら、雑に頭を下げる。賽銭は一銭も出さなかったのを、晶はばっちり目撃した。
……茸で散財したからね。晶は納得しながら、広間を後にした。
宿で他の二人と合流し、晶たちは今日の成果を話す。
「ほう! 隠し部屋か!」
ブテーフが目を輝かせる。黒猫はその横で、淡々とミルクをなめていた。
「おそらく広間の上部に隠し部屋があって、姫はその中で祈りを捧げてるんだろう。一般人の中に混じらせるわけにはいかないからな」
隠し部屋は、低く見積もっても床から三~四メートルは浮いている。剣や槍も届かないし、窓もほとんどないので、弓で狙われても安全だ。
「助けられないだろうという、頭の読みも間違ってはない。馬で踏み込んだとしても、あそこにたどり着くには時間がかかるからな」
「じゃあ、中に入り込むしかないってことだな!」
ブテーフは勢いよく言って、顎に手を当てて考え始めた。姫のこととなると、流石に熱心だ。
「……頭痛がしてきた」
しかし、しばらくうなったあと、ブテーフは静かにつぶやいた。ブテーフが沈没したところで、凪が黒猫に話をふった。
「で、どうだ。御仁にゃ良い考えはあるか」
「諦めてしまうほどの案件でもないな」
黒猫が胸をたたいた。さっきの青年と違って、目がきらきらと輝いている。
「そっか。魔法が使えるんだったら、中に入ってお姫様を助けることなんか簡単だね」
「ははは、忘れたのかね。私が魔法を使えるのは、自分の身に危険が迫った時だけだよ。不法侵入くらいでは該当しないね」
「う……」
晶は恥ずかしくなって、頭をかいた。
「じゃあどうしようってんだ?」
凪が聞くと、黒猫はあいていた窓の側へ飛び上がった。
「猫の体だからこそ、できることがある。しばし別行動を許してくれ」
そう言うと、黒猫は窓から飛び出してしまった。何をするつもりなんだろう、と晶は首をひねる。その時、部屋の扉がノックされた。
「ご注文の猫ちゃんのミルク、追加を……あれ、いませんねえ」
人の良さそうな丸顔の主人が、室内を見わたして言った。凪が答える。
「猫だからなあ。どっかへ行っちまったよ。そこに置いといてくれ。そこらでネズミでも捕ったら、戻ってくるだろう」
「うちにネズミなんていませんよ。清潔にやってますから」
主人がむっとした顔で言い返してくる。凪はまあまあ、と手を振りながら、追加で酒を注文した。
凪がブテーフに酒を勧めると、酒盛りが始まった。ブテーフも、酒はそこそこ飲めるらしい。二人は盛り上がりまくったが、しだいに晶は他のことが気になってきた。
「帰ってこないなあ」
酒盛りをはじめてからだいぶ経つのに、出て行った黒猫がまだ帰ってこない。自分のしたいようにする猫なのは分かっていたが、ちょっと出て行ったにしては遅すぎる。
晶はこっそり席を立って、通りを見渡した。日本と違って、街灯はない。ところどころ営業している飲み屋や遊びどころの他は、全て黒色に沈んでいた。
「黒猫、見つけにくいな……」
黒に黒では、目印もなにもない。晶があきらめて店に戻ろうとした時、闇の中でちかっと何かが光った。
「ん?」
黄色と青の光。目が慣れてくると、猫の顔が浮かび上がった。
「黒猫、戻ってきてたの」
晶は安心して、黒いモフモフを抱き上げる。出て行く時はあんなに自信満々だった黒猫が、なぜか小刻みに震えていた。
「どうしたの?」
晶が声をかけると、黒猫が抱きついてくる。その体を触ってみると、ベルベットのような毛が逆立ったり、抜けたりしている。
「護衛の兵隊に見つかったの」
服の裾をかんでいる黒猫に、晶はなおも聞いた。黒猫はひとしきり晶の服でストレスを解消した後、ゆっくりと話し出した。
「兵隊なんかより……よっぽど恐ろしいものだよ」
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