第41話 帰るべき地
「しかもね、その最初の地図を作ったのは、カタリナの上役、白猫だよ」
黒猫の話を聞いて、
「白猫は始め、異世界から来た人間にとても好意的だった。今では想像もつかないがね」
その時カタリナに会っていれば、とても優しくしてもらえたのだろうか。想像するだけで、晶は面白くなってきた。
「しかし、結局その計画は大失敗、世界はさらに歪んだ。一番割を食ったのは、先頭切って異世界に頼った白猫だったな」
「その失敗はどうして? 世界の歪みって何ですか? ひどく失敗したのに、何故僕らをまた呼んだのですか?」
晶は黒猫を持ち上げ、矢継ぎ早に質問を飛ばした。返答がわりに黒猫のきれいな猫パンチが頬にくいこむ。
「それは話せない。今は」
「えらく勿体つけやがる」
「まだ君たちがどんな人間か分からないのでね。平たく言えば、信用していないということだ。君たちだって、今の私に大事なことを話そうとは思わんだろ」
「まあ、それは確かに……」
「とにかく、この世界は一度『間違えた』。それによって白猫は侵入者に厳しくなった。それだけ分かっていれば十分だ」
二回目の猫パンチ――今度はだいぶ手加減されていたが――をくらいながら、晶はうなずいた。
「じゃあ、二枚目の地図を作ったのは誰なの?」
今までの話を聞いていると、白猫ではなさそうだ。
「私だよ」
鼻を膨らませて、黒猫が得意げに言う。
「七賢人同士で、そんなことして揉めないの?」
「揉めたさ。しかし、二人以上人間が集まれば、揉めるのは必然。それを怖がっていてはなにもできないね」
「……あんたは一回ひどい目にあっても、学習しなかったってことだな」
凪が言った。言葉にトゲがある。しかし、黒猫も負けていない。
「そうだ。私は元から、もう一度異世界から使者を招くべきだと主張していてね。結局、白猫だけは最後まで反対したが、他の五人が同意したので押し切った」
「……それを、父さんがもらった、と」
「そういうわけだ。というわけで、私としては君たちに活躍してほしいと思っている。とてもやりがいがあって、世の中のためになることだからね」
黒猫が、ブラック企業の社長のようなことをのたまった。
「そうすりゃ、お前の得になるからな」
「そういうこと。君たちだってこの世界から利益を得てるんだから、同じ事だろう」
「確かに」
「納得してもらえたところで、今回のテンゲルの動きについて話し合おう。このままあの国を放置しておくと、過度な虐殺を引き起こす。三国もつれ合いの長期戦になり、どの国も疲弊する」
晶の脳裏に、ちらっとオットーやレオの顔が浮かんだ。
「それを避けるには、今回人質になっている女性が重要な役割を担っているのだよ」
「つまり、あの間抜けの手伝いをして、人質のお姫様をさらってこいということか」
いびきをかいているブテーフを指さしながら、凪が言った。
「しかりしかり」
黒猫は満足げにしているが、凪は機嫌が悪い。
「俺が欲しいのはボラグ茸なんだよな……」
「ほう、ご婦人にでも贈るのかね。女性はふくよかなのも魅力的だよ」
「仕事で必要なんでな。しかし、茸採りに来て、敵がひしめく塔に侵入ってのは、割が合わない話だ」
凪が黒猫の横腹を、ぐりぐりと拳でいじる。黒猫はわざとらしく「にゃ」と鳴いたあと、おもむろに口を開いた。
「それではこういうのはどうだ? もし姫の救出が成功したら、君たちを元の世界に帰してあげよう」
晶と凪は、そろって目を見合わせた。
「どうせ地図がどこにあるのかすら、見当もついていないのだろう? 私に任せた方が、迅速かつ確実だよ。そこから帰るも留まるも、君ら次第だ。どうだね」
黒猫の表情は、嘘をついているようには見えない。晶は凪に向かって、小声で聞いてみた。
「凪は、帰りたいと思ってるよね」
「当たり前だ。白米と味噌汁が出てこない国に、骨を埋めるつもりはない」
「僕だって。この世界じゃ、大学なんて貴族じゃなきゃ入れてくれないだろうし」
「決まりだな」
「お互い、頑張りすぎない程度にね」
二人の話はまとまった。それを聞いていた黒猫が、すっかり上機嫌な様子で手をたたく。
「いや、素晴らしい。それでは私も同行して、君たちの働きぶりを見守るとしよう」
「……ついて来る気かよ」
「言っただろう、まだ信用しきったわけではないと。あまりに格差がありすぎる技術を持ち込んだりしないとも限らないしね」
黒猫も、そこだけは白猫と意見が一致しているらしい。
「まあ、しっかり世界のために働いてくれたまえ。ははは」
うそぶく黒猫の首に、そこで凪が手をかけた。
「勘違いするなよ。今回の件はお前らのためじゃねえ、あくまで自分のためだ。もし最後の最後で『やっぱり地図はありませんでした』なんて抜かしやがったら、どんな手段を使ってもお前を鍋にして食ってやるからな」
「うにゅあ……」
凪の殺気立った表情を見て、黒猫が初めて情けない声をあげた。
☆☆☆
結局一行は来た道を引き返し、ルゼブルグの首都を目指すことになった。しかし、山道をてくてく歩いていては、貴重な準備時間を浪費してしまう。
すると、黒猫が一同に意外な提案をした。
「このまま北に向かう方が良いだろうね」
「え?」
「時間がないんだよ!! 逆走してどうするっていうんだ、考えたまえ!!」
「いや、そっちの方がいいな」
晶とブテーフが呆れていると、凪が待ったをかけてきた。
「舟で行くんだろ?」
「ご明察。そこの存在感の薄い顔の彼が、馬でも連れてきていたら話は違ったのだがね。ルゼブルグへの船便は数多い。徒歩より遥かに速いだろう」
かくして抵抗は露と消え、あっさり舟での旅が決まった。
凪が隠し持った腕時計を見ながら、晶たちは一定のペースで歩く。宿を出て、およそ二時間。ブテーフの足腰が心配されたが、なんとか全員で港町までたどり着いた。
小さな港ゆえ舟も少なく、すぐに出発したいというと露骨に嫌がられた。しかし、ここでも凪がためこんでいた金子の力がものを言う。
なんとか次に出航する舟に乗せてもらえることになり、晶は胸をなでおろした。
「じゃあ、準備ができたら鐘を鳴らすからな。三回鳴るまでにそろわなかったら、置いてくぞ」
よく日に焼けた舟乗りが、そう言い残して去って行く。ブテーフが地面に腹をつけたまま、うめいた。
「鐘が三回……だいたいどのくらいだい……」
「今からだと日が一番高く昇ったころだな。ちょっと市場を回るくらいはできるが、遠出は無理だ。俺は仕事で市へ出てくるが、あんまりうろつくなよ」
凪はそう言うと、あっという間に街の中へ消えていった。残されたブテーフがつぶやく。
「じゃあ……ここで僕が……番をしていてあげよう……気遣いに感謝したま……」
ブテーフはそこで動かなくなった。
「惜しい人を亡くした」
「死んでない死んでない」
晶がつぶやくと、黒猫が首を横に振る。ブテーフは見てやるから、好きにしろと黒猫は寛大なことを言った。それなら、凪を追った方が面白そうだ。背後に走り寄って声をかけると、凪がわずかに眉を上げる。
「なんだ、晶か。来たからには荷物持ちをしてもらうぞ」
「ええっ」
「事前に通知したのに来たということは、働く意思があったとみなす」
こうなったら抵抗しても無駄である。晶は肩をすくめた。
「わかったよ、諦める。で、何を買うの?」
「しばらく自由に動けなさそうだから、あっちの依頼を先に済ませとく。キナ臭い嬢ちゃんではあったが、今のところは客だ」
晶は全身黒ずくめの依頼人を思い出し、思わず立ち止まった。
「今のところは?」
「彼女がうちにきてからすぐ放火された。犯人だったら、しかるべき対応をしないとな」
凪は悪魔的な笑みを浮かべているが、晶は違うなと思った。まず体型が全く違う。
それに、依頼に来た時の彼女は真剣だった。目的のモノも手に入れていないのに、店ごと葬っても仕方ないだろう。
疑えばキリがない。とりあえず今は、彼女のために考えを巡らせることにした。
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