第40話 世界を知る猫

「黒猫以外の姿になるのは久しぶりだねえ」


 初老の男がつぶやくのを聞いて、あきらはぎょっとした。さっきしゃべっていた黒猫と、全く同じ声だ。ということはこの男、さっきまで化けていたのか。


 晶が疑問をぶつけるより先に、男が腕を振り上げた。すると、下から上に向かってどっと風が吹き上がる。突き上げられた石が、一気に崖の上まで戻った。


「こんなものをもらっても、嬉しくもなんともないからねえ。君たちにお返しするとしよう」


 男がつぶやくと、さらに石が高く上がる。石は山賊たちの真上までするすると移動し、そこで急に支えを失ったように落下し始めた。


 崖の上の山賊たちが、悲鳴をあげた。もはや強奪どころではなく、這々の体で逃げていく。


「ふー」


 山賊たちがいなくなったのを確認し、男はだらんと両腕を下ろす。するとようやく、吹いていた風がやんだ。


 そして変化がもう一つ。初老の男がみるみる縮んだかと思うと、また黒猫の姿に戻っていったのだ。さすが異世界、何でもありか。


「……七賢人おん自ら、山賊退治か」


 黒猫に向かって、カタリナが露骨に嫌味を言った。しかし、猫はこたえた様子もなくけろっと言い返す。


「賢人にはなったが、聖人になったつもりはないからねえ。ああいう手合いを放置するのも気分が悪いし」


 カタリナが黙り込んだところで、黒猫はけけけと笑う。いつも強気なカタリナが言い負かされるのを見て、なぎがこぼした。


「全く、またとんでもねえのが来やがった。……詳しく話を聞くしかないな」


 晶も同意を示す。それから傍らで気絶している青年を、ようやく助け起こしに走った。



☆☆☆



「さて、今から山を降りれば日没に間に合う。ちょうど山下に街があるから、そこで宿をとりたまえ」

「なんでお前が仕切るんだよ」


 凪は不満そうであったが、他に行く当てもない。しかもこの世界の夜道は、現代とは比較にならないくらい危険だ。結局凪は黒猫の指示に従うことにする。


「……あいつ、何をぶつぶつしゃべってるんだい?」


 かわいそうなのは、一人だけ全く事態が飲み込めていない青年である。まさか猫がしゃべっているとは思いつかないようだ。


 今のところは適当にごまかしておいたほうがよさそうな気がする。青年に話しかけようとして、晶ははたと気づいた。そう言えば、今まで彼に名前すら聞いていない。


「えっと……」

「ああ、僕の名はブテーフ。ブテーフ様とかブテーフ帝とか麗しのブテーフとか、好きに呼ぶといいよ」

「ただのブテーフさんの質問に答えますが。あっちの美男は時々神様が降りるときがあるんです。放っとけば治りますから」

「……なんだって……何故僕にはこないのだ……」


 ブテーフはなにやら勝手に悩み始めた。晶は彼に背を向けて、ため息をつく。街までの道が、とんでもなく長く感じられた。


 ようやくたどり着いた街は、ぽつりぽつりと家が建ち並ぶつくりだった。テンゲル人に似た肌の浅黒い人たちが多いが、ここの住民は山を行き交う旅人相手に商売しているため、定住生活を送っているようだ。


 宿は、思っていたよりしっかりした石造りの建物だった。聞いてみると、幸いなことに広めな部屋が空いていると答えが返ってくる。


 凪が前金をはずんで部屋を確保すると、宿の主人は満面の笑みを浮かべた。


「では間違いなく。男の方ばかりですから、夜の娯楽もご用意いたしましょうか」

「……俺一人なら十人でも百人でも相手してやるが、子供と童貞が一緒なんでな。今回はなしだ」


 童貞呼ばわりされたブテーフが抗議の声をあげたが、凪は無視する。正直夜中に女性が来ても困るので、晶としてはありがたかったが。


「……それでしたら、そちらの猫ちゃんに餌でもいかがですか。鶏肉をほぐしたくらいなら、すぐご用意できますが」


 宿の主人が申し出ると、床にいた黒猫が「うにゃー」ととってつけたように鳴いた。


 凪の血管、切れないかな。これみよがしに媚びたようなウインクをしてくる黒猫を見て、晶はため息をつく。


 媚びる黒猫を見て、カタリナからなにか一言あるかと思ったが、彼女は頑として姿を現さなかった。



☆☆☆



 さんざん猫とじゃれていたブテーフがようやく寝てから、凪と晶は黒猫を部屋の隅に追い詰めた。


「さ、話を聞かせてもらおうか。まず、七賢人とはなんだ?」

「七賢人とは、失われた古代の魔法技術に独学でたどり着いたものの総称だよ。とても賢い上に強いので、以前はどの国の王とも交渉を絶ち、独自に研究をしていた。番人と同じく姿を隠す魔法を使うので、こっちの人間は見つけられない」

「……本当に?」

「疑いの目をするな、少年。なかなかこれでも、民からは信頼されていたのだぞ」


 面倒くさいことになるので政府関係者とは一切接触しなかったが、一般市民の願いは時々こっそり叶えてやっていたらしい。


「そもそも魔法ってどういうものなんですか?」


 晶は気になって、黒猫に聞いてみた。元いた世界では、小説や映画でよく見るが、こちらではどういう位置づけなのだろう。


「世界には空があり、海があり、森がある。様々な自然の力は、ある特定の軌道を移動していてね。それを捕らえられるものだけが、魔法と呼ばれる特殊能力を使える」


 黒猫は大きく伸びをしながら言った。


「要は学問なのだよ。論を理解できれば誰でも使える。ただ、肝心な理論そのものが難しいのだがね」


 ふーん、とつぶやきながら、晶は足を組み替えた。思っていたより、この世界の魔法は現実的な感じだ。


「それなら理論を整理して広めてみようか、と思ったことはないの?」

「ないね。絶対に悪用されてしまうのが目に見えている。そういう話が出たのは、過去に一度だけさ。その時も、結局実行されなかったし」


 黒猫は遠い目をしながら、話を先に進めた。


 七賢人は独立性を乱されると、魔法を使って本気で戦った。彼らに関わると面倒なので、各国首脳も特にうるさいことは言わず放置していたが、状況が変化したのだという。


「ある時から、存在自体が不愉快だと言われてしまってねえ。猫の姿になる呪縛までかけられてしまった」

「七賢人全員ですか?」

「うむ。実に不便だよ」

「そうでもなさそうだけどな」


 凪が皮肉を言った。確かに、黒猫の性格なら別の体になっても、それなりに楽しく生きていけそうである。


「不便だよ。まず、この姿の時は魔法が使えない。都合が悪いときに消えることすらできない、一般人からも丸見えだ」


 さっきブテーフが普通に黒猫をいじっていたことを思い出して、晶はうなずいた。


「しかも全裸。全裸だよ、君。紳士には信じがたい痴態だ。恥部を丸出しにするなんて」

「動物はそういうもんだよ。けどお前、さっき魔法使ってたじゃないか」


 凪が言うと、黒猫は口元をつり上げた。


「長い時間をかけて、呪いを研究してな。なんとか、自分に危険が迫ったときだけ、元の姿に戻ることができるようにしたのだ」

「さすが研究者」

「ま、その調子で頑張れや。助けてっつっても俺らには無理だし」

「かつて一度だけ、君らの世界に助けを求めたことがあるのだがね。少年を呼んだ。君と同じくらいだったか」


 自分たちと同じように、異世界から呼ばれた人間がいる。その事実に、晶は目を丸くした。


「実は、君らに渡した地図は『二枚目』なのだよ。一枚目は、最初の少年が使っていた。もう消失したがね。その時の少年は、精力的に動いて世界を変えようとしていたよ」

「そんなことが……」


 今の自分たちとは全く条件が違う。晶はじっと黒猫を見つめた。


「そもそもカタリナのように、異世界に手出しするなとしつこく言うくらいなら、と思ったことはないか? 昔は、こちらが介入を望んでいたのだよ」


 全然考えたこともなかったが、言われてみればその通りだ。凪も、ごくりと喉を鳴らす。

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