第39話 さよなら重力

 すると案の定、なぎは腕組みをしながら口を開く。


「……バッカだなあ、お前」

「うう」

「だが、厄介なことに、俺はバカが嫌いじゃない」


 凪はそう言いながら、ナイフで青年の縄を切った。そしてじっと彼を見つめる。


「お前の計画、詳しく聞かせろ。一人で必死に考えたんだろうが、いかんせんそれじゃ限界がある。三人いれば、そのボロも減るだろ」


 おお、これぞ王道の台詞。いつもひねくれている凪が、ここまで言うとは思わなかった。あきらは内心で拍手する。しかし、青年の方はなぜか居心地が悪そうに、体をくねくねさせていた。


「いや……実は……計画とか……ないし」


 晶は本当に腰を抜かすかと思った。


「えっ、いろんな人から話を聞いたんでしょ? それを分析して」

「聞いたは聞いたさ。けど、お偉いさんの知り合いなんていないからね! 儀式がある祈りの場のことなんて、さっぱりさ!!」


 こいつ、開き直りやがった。晶は青年を、宇宙人を見るような目で射すくめる。


「そんなフワッフワの考えで、おそらく衛兵が何百人もいるであろうところに行こうとしてたの……?」

「そういうところって、絶対に抜け道があるだろう!? 昔からお偉いさんがよく利用する施設だから、絶対どこかにあるって」


 ここでとうとう、凪が動き出した。全く無駄のない動きで、手刀を青年の喉元にたたきこむ。あっという間に昏倒した彼を、凪が地獄の鬼のような顔で見下ろしていた。


「よし晶。足を持て」

「必要が無い人殺しはやめようよ」

「うるさい。こんな奴のために、俺はあんな格好つけた台詞を吐いたんだぞ。思い出すだけで、舌噛んで死にたくなるわ」


 凪はべっと舌を出した。晶はまあまあ、と彼をいさめる。


「気持ちは分かるけどさあ」

「そもそもこんな状態で他人を巻き込もうとするなんて太い野郎だ」

「お主には負けるがの」


 突然、頭上から聞き慣れた女の声がして、凪が肩をすくめる。晶も慌てて、声がした方を見る。


「カタリナ」


 番人が空中から、腕組みのポーズで三人を見下ろしている。


「一体どうしたの」

「それはこっちの台詞じゃ。いきなりうろうろ動きおってからに」

「好きでやってるんじゃないよ。……そうだ、店はどうなったの!?」

「ああ……一応全部焼け落ちる前に、赤い車が来て鎮火していったぞ。しかし、内装は入れ替えねば使い物になるまい」


 カタリナはさらっと言い放つ。分かってはいたが、厳しい現実に晶は顔をしかめた。


「地図は?」

「そこまでは知らん。人が集まっておって、近づいてもよう見えんかった」

「そう……」

「下らぬ人間の手に渡っても厄介じゃから、探しはしておるがな」


 一番知りたかったことも、分からないままだ。知った顔が出てきても、なかなかことはすっきりしない。


「それよりお主ら、今たいそうなことをしようとしておらんかったか」

「それはこいつだぞ」


 凪が素早く、青年を指さした。彼はいきなり空中に向かって会話を始めた晶たちを見て、本気で怯えている。


「元々この世界にいる人間は勝手にするであろう。お主らが動きかけたことが問題なのじゃ」


 話をすりかえようとしても、カタリナはひっかからない。凪は小さく舌打ちをした。


「……自分の立場をよく理解せいよ。前のアルトワの時とは違うぞ」


 カタリナが低い声で言った。


「人質の娘は、それなりの位の人物じゃ。彼女の生死は、歴史に関わる可能性がある。お前らの介入で、戦の結果が変わるようなことがあれば――私も黙ってはいられぬぞ」


 にらんでくるカタリナに、晶はどう対応しようか迷っていた。一旦は協力を決めたものの、青年のうかつさでそれは白紙に戻ろうとしているからだ。


「随分と強気なことを言うようになったなあ、カタリナ」


 この場ににつかわしくない、テノール歌手のような張りのある声が聞こえてきた。しかも、晶のすぐ右下から。


 ありえない。さっきまでそこには、誰もいなかったはずだ。


「別に取って食ったりしないから大丈夫だよ」


 晶の足下に、すらっとした細身の……黒猫が一匹いた。短い毛はつやつやと光り、よく手入れされていることがうかがえる。しかし、この猫、しゃべりおった。


「面白い子供だなあ」


 後ずさった晶を見て、黒猫が大口を開けて笑う。その猫を見て、カタリナは今にも噛みつきそうな顔をした。


「……何をしに来た、『黒猫』」

「もちろん、お前の間違いを正しに来た。この前から『白猫』が勝手をしすぎると、他の面子から声があがっている」


 黒猫が淡々と言う。すると、あれだけ強気な態度だったカタリナが黙り込んでしまった。どうやらこの猫、カタリナの上司と同格の存在らしい。


「他の……面子?」

「ああ、カタリナはまだ説明もしてなかったのか。私たちは――」


 黒猫が言いかけて、ぴくっと髭を動かした。凪が一拍遅れて、刀に手をかける。しかし、岩がきしむ音を聞いた晶は、凪に向かって叫んだ。


「よけて!」


 凪が慣れた様子で横へ飛び退くのと同時に、上から大きな石が落ちてきた。石が地を叩く音が響くと同時に、テンゲルの青年がへなへなと崩れ落ちる。失神したようだ。

「ちっ、頼りねえ!」

「しょうがないよ、デリケートなんだから……」

「またお前か!? 運の悪い奴だなあ」


 ひどくざらついた、耳に不快な声が崖の上から聞こえてきた。顔の半分が髭で埋まった大男が、ガラの悪そうな子分たちを引き連れて立っている。典型的な山賊一味だ。彼らはどうやら、凪を知っている様子である。


「ずいぶんガラの悪いお友達じゃないか」


 黒猫が凪に声をかけた。


「知り合いじゃない。俺が一緒にいた商隊を、あいつらが襲ったってだけだ」

「ほう」


 凪の話を聞いた黒猫の目が、一瞬緑色に光った。


「よく無事だったね。他の人たちは?」

「……たまたま運が良かっただけだ。その時もこんな風に石を落とされて、崖の近くにいた十数人はあっという間にあの世行き。隊長含めてな」


 凪が悔しそうに言う。それを聞いた髭の男が大笑いした。


「頭の上から狙われると、人ってのは弱いモンだな。崖道なら逃げ場もねえし」


 得意そうなところをみると、彼らお決まりの手口なのだろう。男たちは一様に、下品な笑みを浮かべている。


「荷を持ってないのが残念だが……そっちの小僧はそこそこの値で売れるかもな」


 笑えない冗談に、晶は顔をしかめる。すると、黒猫がすたすたと崖の下まで歩いてきた。全く無防備な姿を見て、男たちは目配せをする。


 猫に向かって、石が落ちてきた。とっさにかばうには、間に合わない。死体を見るのが心苦しくて、晶は目をそむけた。


「あー、君。大丈夫だよ」


 黒猫がまたしゃべった。晶がおそるおそる目を開けると、空中でぴたりと静止している石が見える。


「え?」


 崖上の男たちも異変に気づき、口々に騒ぎ出した。


「どうなってるんだ!?」

「あの小僧がやったのか」


 混乱を極める彼らを、凪が面白そうに見ている。その時、晶は凪の横に、もう一人男が立っているのに気づく。


 年齢は初老。五~六十代といったところか。目尻の皺や髭はあるものの、若い頃はさぞかしモテたであろうと思わせる整った顔立ちだった。


 カタリナと同じ刺繍の服を着ているが、男の服は黒地に金糸のしつらえである。さらっと羽織った長いマントが、背の高い男にとても似合っていた。


 ……しかし、この男、一体何者?

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