罪人を愛す木偶人形

第32話 店主はキリギリス(ただし丈夫)

 季節が夏になり、太陽が照りつけるようになった。バイトを始めてからも、成績はいつも通り。通知表を見て、あきらは胸をなで下ろした。


 自分の後見人である高橋にそれを見せてから、晶は自転車をこいで反対方向へ向かった。今から、バイトの時間だ。


 腕時計を見る。ギリギリ間に合いそうだ。


 自転車が細い路地にさしかかる。その中程に見えている白壁の家が、晶のバイト先「天香国色てんこうこくしょく」だ。


なぎ、来たよー」

「よう。アイス食うか」


 晶の声に応えて、白Tシャツにジーンズという、働く気がない様子の男が片手をあげた。彼の口元には、合成着色料をてんこもりに使ったピンクのアイスがくわえられている。


「……僕はいいや。凪、それ何個目?」


 晶が聞くと、ようやくアイスを全部かじった男が顔をあげた。


 人形のような二重のまぶたに、黒い瞳。すっと伸びた鼻筋に、形の良い口元。現実感のない美形である上に、これで四十路というのだから、つくづく規格外な人だ。


「五個目かな」

「お腹壊すよ。太るよ」


 晶は冷たく言って、雇い主をにらんだ。なにせここは美容薬局なのだ。店主が下痢したふとましい男では、話にならないではないか。


 しかし、怒られた凪は気にした様子がない。花が咲くような笑みとともに、言い返してくる。


「大丈夫大丈夫。俺、どれだけ食べてもなんともねえから」

「もう四十でしょ。油断してると、お腹に脂肪がついて狸みたいになるんだ」

「失礼なことを言うな。俺は夜中にラーメン三杯食おうが、翌日には消化しきってる」


 世の女性が聞いたら歯ぎしりして悔しがりそうなことを言ってから、凪は胸を張った。晶はため息をつく。


「いつか僕の言うことを聞いていればよかった、と思う時がくるよ。凪、全てにおいてこの調子なんだもの」


 料理を作れば何かが余計で、部屋はいつも紙くずであふれ、店として必要な届け出はしょっちゅう忘れている。


 魅力はあるし地頭は決して悪くないが、そもそも社会人に向いてない人なのだ。昔助けてもらった恩がなければ、晶だって他のバイトをしていたかもしれない。


「ほんと、アリとキリギリスでいったら、凪はキリギリスだよね」

「俺は冬でも生き残るタイプのキリギリスだから」


 いっそ本気で痛い目にあえばいい。晶がそんな邪なことを考えたと同時に、玄関の扉が開いた。


「いらっしゃいま……」


 せ、まで言えずに、晶は固まった。身長二メートルはあろうかという大男が、顔を真っ赤にして玄関に立っている。


 男は一応スーツ姿だが、ズボンに折り目はないし、シャツは皺がつきまくっていた。とてもまともな勤め人には見えない。


「おう」


 鬼瓦を思わせる四角い顔に見つめられて、晶はすくみあがった。


 ヤのつく稼業の人だ。


 凪は手を出してはいけないところまでいってしまったに違いない。


「なんだよ、力石りきいし。似合わない花まで持って」


 凪の言葉を聞いて、晶は力石と呼ばれた男の右手を見た。確かに似合わないにもほどがある、白い花ばかりの可憐なブーケが握られている。


「……持ってちゃ悪いか」


 地獄の番人のようなドスのきいた声で、力石が吐き捨てた。本人も、持ちたくて持っているのではないらしい。それを見透かした凪が、軽口をたたく。


「愛の告白でもしてくれるのか? 俺は男色の趣味はないぞ」


 力石が、無言で凪の胸ぐらをねじり上げた。晶はどうしたものかと思って、空中に浮いた雇い主を見つめる。


「おう、相変わらずデカい顔だな。蜂の巣でもいじったか」


 まだ余裕そうだ。


 晶は放っておくことにして、奥へ茶を取りに行った。あれだけ元気なら、自分でなんとかするだろう。


 晶が冷たい麦茶をグラスに入れて戻ってくると、雇い主がソファの上で咳き込んでいた。力石の方は、怖い顔をますます怖くして、凪の向かいに座っている。


 みんなに麦茶を配りながら、晶は力石に話しかけた。


「凪とはお知り合いですか?」


 力石はひとつうなずいて、冷えた麦茶を飲み干した。それから、おもむろに口を開く。


「……高校で、同級生だった。これ、ありがとな」

「いえいえ」


 力石からコップを受け取った晶は、なんでもない風をよそおう。しかし内心はかなり動揺していた。


 凪とこの男が、同級生。


 当時のクラスメイトは、いったいどんな思いで二人を見ていたのだろう。


「やー、まいったまいった。馬鹿力め」

「お前が下らんことを言うからだ」

「小粋なジョークだろうが」

「面白くもねえ。せっかく来てやったのに、なんて扱いだ」

「うちじゃ金持ってこない客はこんなもんだ。……で、何しに来た」


 凪が切り出すと、力石は分厚い手を差し出した。


「この前の五万、返せ」


 凪の顔から感情が消えた。男はそれでも、手を出し続ける。暑くもないのに、凪が何度も汗をぬぐった。


「そんなことは忘れたな」

「そのツラは覚えてる顔だ」

「…………」

「凪、もう諦めなよ」


 晶がとりなすと、凪はへたりこみ、テーブルに頬をくっつけた。完全降伏、スリーアウトである。


「なんで五万も借りたの」

「生活費」

「店、そんなにうまくいってないの?」

「を全額、鎧購入につぎこんだ」

「心配して損したよ」


 晶はまだ伏したままの凪の頭を、思いっきりテーブルに押しつけてやった。下からぐえとうめき声が聞こえてきたが幻聴だ。


「今、返しますね」


 凪を気が済むまでこらしめてから、晶は二階へ上がった。売り上げがまだ少し残っていたはずだ。


 晶が金庫を開け、札を持って出ようとすると、部屋の天井付近から女の声がした。


「ついに持ち逃げか、小僧」


 晶はむっとして顔を上げた。空中に、長い銀髪の女が浮いている。凪はどんなに常識外れでも人間だが、この子はそうかどうかも疑わしい。


「違うよ。僕がそんなことするように見える?」

「見えはせんが、大体そういう奴が犯人じゃ」

「カタリナ、また僕のミステリー小説勝手に読んだでしょ」


 晶が問いかけると、カタリナは音もなく姿を消した。答えたくない時は、いつもこうだ。晶は肩をすくめて、階段を降りる。


「はい、どうぞ」


 力石は大きな手で、差し出された札を丁寧に数える。


「確かに。ああ、これ飾っといてくれ。開店祝い、一応な」

「ありがとうございます。綺麗ですね」


 力石が差し出した花を見て、晶はお世辞なしで言った。アイボリーで品良くまとめられていて、どこに置いても悪目立ちしない。


「どこのお店のですか?」

「妹が買ったもんだから、俺にはよくわかんねえな」

「やっぱり。お前が買ったにしてはセンスがいいと思った」


 混ぜ返す凪を、力石がにらんだ。


「……俺だってやればできる」

「結婚詐欺に三回もひっかかった男が何を言う」


 凪がぼそっと言い放った。力石の太い眉が、上下に動く。


「詐欺は誰だってかかる可能性がある」

「刑事がかかってりゃ意味ないだろ。学生時代、俺がさんざんおねーちゃんとの遊びに誘ってやったのに、ついてこないからこんなことになる」

「……凪、もうその辺で」


 晶は話をさえぎった。ただでさえ、凪の商売は得体が知れない。力石が刑事だというなら、痛い腹を探られたくなかった。


 晶の顔を、力石が見た。そしておもむろに、スーツの胸ポケットへ手をつっこむ。


 拳銃ですか。拳銃なんですね。


 晶は思わず、身構える。しかし、力石が出してきたのはただの名刺だった。


「坊主、このバカに困ったらここに連絡しろ」


 名刺には、「力石剛りきいし たけし」という名前と共に、携帯の電話番号が載っている。


 何かで世話になることもあるかもしれない。晶はありがたく、名刺をおしいただいた。すると凪が、ふらっと立ち上がって便所へ行った。その隙に力石は声を落としてつぶやく。


「今は何か困ってねえか」


 意外と面倒見がいいタイプらしい。晶も、小声で返事をした。


「大丈夫ですよ」

「本当かよ。どうもあいつ、昔から博打うちの気があってな。まともに商売してるとは思えねえんだが」

「その心配、あながちハズレでもないの。こちらの世界では、違法スレスレじゃ」


 力石の頭上で、カタリナがつぶやいた。


 そう、凪と晶は、こっそり違う世界に赴いて、そこで仕入れた素材を使って薬を作っている。


 現実世界では異世界に関する法律はないが、薬事法を完璧に守っているかと言われると自信がない。そして、異世界の方でも、晶たちを手放しに歓迎してはいない。侵入者に対して、門番のカタリナがいつも目を光らせているのだ。


 ……ただ、カタリナは晶たちを救ってくれたこともあり、決して悪い子ではない。今のところは、うまくやっている方だと思う。


「ほう、こっちの世界にも大きな猿がおるの」


 しかし全ての美点を、この毒舌が台無しにするのだが。


 晶が頭を抱えているのを見たカタリナは、面白そうに笑ったまま姿を消した。


「なんだ、女の声がしたぞ? テレビか?」


 力石が辺りを見回す。どうごまかそうか晶が迷っていると、天の助け、入り口の扉が開く音がした。よかった、これでなんとか切り抜けられる。


「いらっしゃいませ」

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