第31話 そして世界は今日も回る

美姫みきさん二十二・十八・十九点、悠里ゆうりさん四十八・四十一・四十五点。おおっと、ここで悠里さんが一気に巻き返しだ! 合計点数はこのようになりました!」


 予想通り、審査員たちは悠里のケーキに高得点をつけた。これで美姫が百八十九点、悠里が二百五十点。


 流れが悠里に来た。あとは、一般投票の結果を待つのみだ。


「さあ、これに一般審査員の票を加算します! 開票、どうぞ!」


 一般審査員の代表が、誇らしげな顔で投票を掲げる。美姫、わずか七票。残りの九十三票は、悠里のケーキに集まっていた。


「ついに最終結果が出ました! 美姫さん二百三点、対する悠里さんは四百三十六点! これは驚いた、ダブルスコアで悠里さんの圧勝です! おめでとうございます!」


 結果が表示された瞬間、会場がどっとわいた。美姫に呼ばれたはずの観客たちが、悠里に歓声を送っている。あきらなぎも、晴れ晴れとした気持ちでハイタッチをかわしあった。


 ステージ上では悠里が静かに喜びをかみしめている。彼女の手を、しっかり和也が握っていた。和也は悠里を見て、涙を浮かべながら何度もうなずいた。


 対して美姫たちの衝撃は激しかった。美姫の顔色は真っ青になり、骨と皮だけの体はがちがちにこわばっている。救いを求めるように美姫は五室いつむろに手を伸ばしたが、彼は般若のような形相で美姫の手を振り払った。


「では、審査委員長から総評を」


 敗者たちの惨状を横目で見ながら、司会者が穏やかに会を進行させていく。彼に呼ばれて、恰幅のよい男性が立ち上がった。


 視線だけでにらみ殺せそうなほどの美姫の殺気を受け流し、審査委員長は悠然と口を開く。


「今回は、映えある名店の後継者選びという大任を任せていただき、ありがとうございました。我々としては、正しい結果が出たと喜んでおります」


 男性は美姫に向き直った。


「美姫さんの作品は、ケーキとしての味も細工の緻密さも、余所の店より一段上だ。が、斬新さはない。あくまで、規制の枠の中でよくできている作品にとどまっている。

アイデアとデザイン性が評価されるこの勝負においては、賢い選択ではなかったと思います。ビジネスの世界では、相手が最も求める条件を満たさない商品が選ばれることはまずない。反省の上、再出発されることを期待します」


 審査員長の口調には優しさがこもっていたが、美姫には通じなかったようだ。彼女はしきりに「私がおじさんの娘だったら!」と言いながらステージを拳で叩き続けたが、審査委員長の反応は冷ややかだった。


「私は無条件に二代目を評価しているわけではありません。親の名前にあぐらをかいて、ふざけたケーキを出して来たら遠慮なく低得点を書いたでしょう。しかし悠里さんは、味では多少譲歩したものの、まさにデザインで審査員一同の度肝を抜いてくださった。美姫さん、あなたは今回負けたのです。

マリナーレは、悠里さんにお任せするのが最も良い道でしょう。悠里さん、これからも美味しい洋菓子を我々に食べさせて頂けるとありがたいですね」


 審査委員長が口を閉じて一礼すると、自然と拍手がわいた。まだのたうち回っている美姫だけを残して、ステージの上から人が消えていく。晶たちもこれ以上見苦しい女を見るのはこりごりだったので、早々に席を立った。


「あ、みなもとさんにお祝い言ってから帰る?」


 ロビーに出たところで、晶は立ち止まった。せっかく呼んでくれたのだから、悠里に一言挨拶しようと提案したが、凪は首を横に振る。


「今日はやめとこうぜ。あっちがそれどころじゃないだろ」


 凪の指さす先を見ると、すでに悠里と和也にインタビューをとろうと、記者たちが円陣を組んで待ち構えているのが見えた。人と機材とマイクがぶつかり合い、出口付近はものすごい密度だ。取材陣の中に割り込むのは無理だと判断した晶は、素直に凪と会場を後にした。



☆☆☆



「初仕事から二か月……まあ相も変わらずうちは暇だねえ」


 凪が全く困った様子のないのんびりした口調で言いながら、晶が入れてやった熱いコーヒーをすする。


「それより……僕の成績が結構悲惨なことに」

「そりゃ、ここしばらく勉強してないから……って、それでも真ん中より上だろ。気にするほどじゃねえよ」

「嫌なもんは嫌なの」


 今まで十位以内をキープしてきた身としては、真ん中近くという位置は嬉しくもなんともない。期末は取り返さないと、内申にも響いてくるだろう。


「仕方ねえなあ。精油と薬剤についてレポートでも書くか?」

「そういうのは求められてないの」


 高校生でその内容はひねり過ぎだ。そして晶が苦手なのは、化学でなく国語である。


「じゃあ凪、これわかる? 試験で解けなかったやつなんだけど」

「任せとけ。俺は万能だぞ」


 凪は意気込んで、テスト用紙を抱えた。そして奥の部屋に消えていく。


「ここで解けばいいのに」


 晶はしばし待った。三十分経っても、まだ音沙汰がない。


「どうしたの? 死んでない?」


 父親のこともあり、晶は心配になって声をかけてみる。すると扉の下から、そっと紙が出てきた。「ごめん」とだけ書いてある。


「分からなかったんだ」


 晶がつぶやくと、肩をいからせた凪が出てきた。


「俺は実践派だからな」


 冷や汗を流してまで言うことではないと思う。


「作者の考えてることなんて、本人に聞けばいいんだ。なんで赤の他人が類推してやる必要がある」


 凪はそれからずっと、現代教育の矛盾について説いていた。本当に、口だけはよく回る。その調子で、仕事もとってきてほしいのだが。晶がそう指摘すると、凪は顔をそむけた。


「ねえ、源さんがメディアにうちのことを話していいって言ってたじゃない。今からでも頼めば?」

「嫌だ。俺は口コミで勝負したい」


 晶は雇い主のこだわりを聞き、ため息をつく。香ばしいメイプルクッキーをかじりながら、悠里が笑顔で表紙を飾る雑誌を持ち上げた。


 結局あの後、悠里には会えずじまいだった。若き天才パティシエとして持ち上げられ、二か月たった今でも、彼女の放課後のスケジュールは店の仕事と取材で埋まっているらしい。


 ただ、一度だけ彼女から手紙が届いた。それは、和也の訃報だった。


 あの勝負から一ヶ月もたたずに和也はこの世を去った。早い死を悼む声があがっているが、自分はもう心の整理がついた、と悠里は書いていた。


『父の最期は、笑顔でした』


 悠里から来た礼状には、くどくどと詳しい様子は書いてはいなかった。が、手紙のこの一文が全てだと晶は思った。今回晶たちが走り回ったことは表沙汰にはできないものの、手紙を見返す度に晶は達成感で胸が熱くなる。


「……楽しそうじゃのう。その女子はよかったろうが、従姉妹とあのタヌキはどうなった」


 室内にふわふわ浮かんでいたカタリナが聞いてきた。晶はかいつまんで説明してやる。


 あの勝負以来、悠里の叔父たちはすっかりおとなしくなってしまったらしい。だが、悠里は油断していないという。ほとぼりが冷めたらすり寄ってくるつもりでしょうから、それまでに対策をしたいと書いてあったので、晶は高橋たかはしを紹介しておいた。


 もっと短絡的な行動に出たのが五室だ。なんと、あろうことか悠里の父親の葬式にのこのこ出て行ったのだという。当然、怒り狂った悠里と職人たちに即たたきだされた。それでもしつこく外で大声でわめいているので、悠里が呼んだ警察に連行されていったという。その後は悠里も知らないと言うが、まあ幸せな余生は望めまい。


「そうか……良かったの」


 いつもは厳しい顔をしているカタリナの顔が、ふっとゆるんだ。カタリナも、彼女なりに悠里のことは気にかけていたらしい。


「そうそう。できたら、今度からもうちょっと協力してくれたりしない?」

「調子に乗るな」


 晶が冗談っぽく言うと、情け容赦のない罵声がカタリナから飛んできた。カタリナはそのまま晶に背を向け、ふいっと室内からいなくなる。晶はうなり声を漏らした。


「相変わらずだなあ……」


 ぽかんとしている晶の背中に向かって、凪が声をかけてきた。


「あれであいつも柔らかくなってるんだよ」


 凪は立ち上がって、晶の耳元でささやく。


「これから話すこと、絶対本人には言うなよ。ばれたら間違いなく八つ裂きだ」


 凪がいつになく真剣な顔で言うので、晶も無言でうなずいた。


「実はな、この調剤室と下の面談室には超小型のレコーダーと監視カメラがとりつけてある」


 晶は顔をしかめた。


「カタリナさんどころか、僕も聞いてませんけど? 必要なんですか?」

「タチの悪い客が来ると面倒なんでな。自衛は必要だ。で、一日の終わりに俺がこっそり回収してデータをパソコンに移すわけだが……」


 その日も、凪がいつものように作業をしていると、聞き慣れない老婆の声が耳に飛び込んできた。客など一人も来なかったので、泥棒だろうかと思って聞き耳をたてていると、カタリナの声が老婆の話に割り込んできた。


 凪は同時に再生しているカメラの画像に目をやる。カタリナの前に、ひどく腰が曲がったしわだらけの老婆が憤然とした表情で立っている。老婆もカタリナと同じような白いローブに杖の姿だったが、こちらの方が数段豪華な装飾だった。


「そこで、番人同士の会話だろうなと思ったわけだ。もちろん、ばあさんの方が位が上」


 興味を引かれた凪は、カタリナたちの話に聞き入った。二人は、晶の行為が異世界の法を犯しているのでは、と顔をつきあわせて話し合っていたという。


「ばあさんの方がえらい剣幕でな。『ただ来るだけでなく、異邦人が領主の交代に力を貸すなど法を越えている。即刻始末しろ』とまで言いやがって」

「そそそそそれはどうなって」

「まあ落ち着け」


 凪になだめられても、晶はそわそわとソファの上で体を動かした。確かに言われてみれば、地方領主とはいえ権力者を倒してしまえば、余計な干渉だと言われても仕方がない。晶など直接アルトワの首筋をブッ飛ばしまでしているのだ。


「しかし、カタリナが引かなくてな。『もともとあの領主は人望も施政能力もなく、反乱軍が立った時点で負けは決まっていたようなもの。異邦人たちによって少しそれが早まっただけで、処分まではいらない』と言い張った。しまいには『どうしても罰するというなら番人をやめるから、他の娘を連れてこい』とまでダダこねて、ようやくばばあが折れた」


 凪は楽しそうに笑った。


「……そこまでして」

「あいつなりに、今回の俺たちの頑張りを認めてるってことだ。本人はおくびにも出さんから、礼も言えんが。だから、あんまりきつく当たるなよ」

「わかった。次はカタリナさんに迷惑かけないよう、気をつけないとね」

「お前、また異世界に行く気か。あれだけ死ぬような思いしといて」


 晶ははっと口をつぐんだ。凪が笑いながら、「うまくやったようだし、また行きたいんなら止めないが」と言ってくるので、晶は首を横にふる。


「さっきのは凪が気をつけてよって意味。それに今回はたまたまうまくいっただけだし」

「たまたまねえ。この前、俺がゴルディアに行ったときは大変だったぞ。レオが背後霊みたいに後をついてきて、なぜ晶はこんのかと百万回はいわれた」


 相変わらずなレオの様子に、晶は首をすくめた。


「いいねえ、好かれて」

「凪、しばらくゴルディアに行くのはやめてよ。そのうちレオ様も忘れるから」

「そううまくいくかねえ」


 凪がうまくはぐらかしたところで、カタリナが戻ってきた。


「お帰りなさい」

「ニヤニヤ笑うな、気持ち悪い」


 晶はさりげなく感謝をこめて言ったつもりだったが、顔に出ていたようだ。カタリナはふんと顔をそむける。凪が苦笑いしながら、口を開いた。


「……タイミングがいいな。ちょうど、マリナーレの新作ケーキを食べようと思ってたところだ。たまたま図らずも思いがけず偶発的に、三個残っている」

「何が言いたいんじゃ」


 カタリナが凪にかみついた。


「お前も食え。番人っても、幽霊みたいに体がないわけじゃないんだろ」

「いらん」

「この洋なしのタルトがいらんと? 『カスタードとキャラメルの風味はもはや芸術』とまで言われた、今では並ばないと買えない秋の新作を体験せずして、真に異文化を理解したなどと言うのは百年早い。昔から甘味はご婦人たちを魅了し、砂糖は世界の歴史を変えた。その一端を体験せずして、番人といえるのかね? そもそも砂糖は」

「ああ分かったわうっとうしい! 相変わらずよう回る舌じゃのう!」


 凪の長広舌に切れたカタリナが、不満そうではあるが首を縦に振る。晶はカタリナの気が変わらないうちに、新しいお茶を入れに行った。



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