第30話 逆転の発想

 司会者のかけ声とともに、会場が静まりかえる。痛いくらいの注目が悠里ゆうりに集まっているのが、あきらにもわかった。が、ここでも彼女は自分のペースを崩さなかった。


「あのう、その役目なんですが、父にお願いしてもよろしいでしょうか。さっきご紹介していただいた通り、今の私があるのは父のおかげです。最初に、一番近くで作品を見てほしいんです」

「ちょっと、それは規定にありませんよ!」


 悠里にむかって、美姫みきが声をはりあげた。その様子を見て、なぎがにやつく。


「あっちは和也かずやさんに出てきてほしくないわな。一般審査員に完全に感情を殺せと言っても無理な話だ。親子の情を強調されたら、多少同情票が動く可能性がある」


 ステージ上はしばらく騒然となった。あくまで公平にケーキで勝負すべきと言い張る美姫と、元は父の店なのだから、少しは出てくる権利があると語る悠里の主張は完全に平行線だ。審査員も巻き込んで協議し、ようやく話がまとまった。


「えー、今の悠里さんの主張ですが、和也さんがケーキの覆いを取るだけなら可能とします。しかし、その際悠里さんとの会話や、ケーキについて評価することは一切許されません。審査員の皆さんも、厳正なる判断をお願いいたします」


 司会者の許可を得て、和也が車椅子にのったままケーキの前へ進んでいく。娘の作品と向き合った彼の喉が大きく動くのが、晶たちからよく見えた。


「では、どうぞ!」


 威勢のいい声があがる。和也はそっと手を出し、覆いに手をかけた。彼の手がゆっくりと下に動く。会場にいる誰もが、じっとステージに見入った。


 が、覆いは外れなかった。


 和也の顔色が変わった。彼は何度かケーキに手を伸ばすが、結果は変わらない。和也は覆いをかぶったままのケーキの前で、左手で目を覆った。


「やっぱり皆さん、和也さんは体調が優れませんのでね……では、私が代わりにやらせていただきましょうか」


 ざわつき始めた会場をなだめるように、司会者が一歩進み出て覆いの端をつかむ。その途端、彼が絶句する。


「……ま、まさか。いや、これは……」


 司会者は実況を止め、まじまじとケーキに見いる。彼は、この時完全に自分の仕事を忘れていた。


「……皆さん。この至近距離でずっと見ていた私ですら見抜けませんでした。始めから悠里さんのケーキに布の覆いなどかかっていなかった。布の質感を完全にケーキで再現しきった、これこそが悠里さんの作品!」


 ようやく我に返った司会者が声を張り上げると、会場内が困惑に包まれた。まもなく、誰からともなく発せられたざわめきが会場を満たす。


「え、あれがケーキ?」

「嘘だろ、どう見たって……」

「あの子が作ったの? すごくね?」


 会場の空気が一気に変わったことも晶にはうれしかったが、それよりもっとほっとしたのは、和也の表情が柔らかくなっていることだった。


みなもとさんのお父さん、うれしそうだね」

「なんだかんだ言っても、娘のことは心配だったろうからな。だから、悠里さんは最初に和也さんに作品を見せた」


 お父さん、心配しないで。私はここまできたよ。今まで、ありがとう。


 悠里の思いをここで下手に口にすれば、同情をかうつもりだと糾弾されただろう。だから彼女は父をも欺く作品を作り上げることで、無言のメッセージを発した。それが確かに伝わったことは、和也の表情を見ていれば明らかだった。


 晶と凪が和也を見ているうちに、審査の時間になった。熱にうかされたように、デザイン部門の審査員たちが悠里のケーキに突進する。彼らはケーキにナイフを入れてみてようやく、全てが細工であることに納得し、悠里に向かって称賛をあびせる。


「これは素晴らしい。表面はホワイトチョコレートですか?」

「はい。しかし、チョコそのままでは限界まで布に似せることはできません。ですので、フォンダンという砂糖のペーストで表面を覆っています。しかし、全面こってりフォンダンにしてしまうと甘すぎて日本人の口には合わないので、使用量のバランス調整が大変でした」

「ほう、では中身は?」

「中はマリナーレ自慢のアプリコットとピスタチオ、チョコレートクリームの三重奏です。底にはザクザクした触感のチョコビスキュイ。外部が甘いので、少しビターなものや酸味のあるものでまとめました」


 悠里がいきいきと審査員たちのインタビューに答える。彼女の回りはあっという間に審査員たちで埋め尽くされ、黒山の人だかりとなった。取材に来たカメラマンたちも、さかんにシャッターを切っている。


「これはいけるんじゃないか?」


 凪が拳を握りながらつぶやいた。晶も、力強くうなずく。


「皆さん、まだケーキをご覧になりたい気持ちはわかりますが、一旦所定の位置にお戻りくださーい!」


 司会者の号令が飛び、ようやくステージ上が落ち着いた。デザイン部門の審査員と、一般審査員が審査をする間に、悠里のケーキの味の評価が発表された。


「三十八・三十七・四十一……味に関してはやや辛口な点数となりました」

「そうですね。配慮はされていましたが、やはり外側のコーティングの甘みがきつい」

「フォンダンは高級ケーキというよりは、駄菓子のような甘みですからね。中身のクリームとは正反対です」

「しかし、内部の完成度は素晴らしい。バランスを考えていなかったわけではなく、今回はデザイン性を優先するためにあえてフォンダンを使用されたのでしょう。いや、これ外が普通のクリームで食べてみたいなあ」


 味部門の審査員たちからやや辛口な評価が飛んだ。だが、これは悠里も予想していたのだろう、にっこりと笑うって如才なく「それは今後お見せしますね」と付け加えた。


 司会者が、ステージ上の電子得点板に悠里の点数を反映させる。


「ここでおさらいしましょう。味部門の点数の合計は、美姫さん百二八点、悠里さん百十六点。今のところ美姫さんのリードですが、その差はわずかです。では、勝負を決める運命のデザイン・アピール点を公開します。これは一気にまいりましょう!」


 審査員たちがすでに書いていたフリップが一斉に裏返る。

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