第29話 主役は遅れてもなお笑う

 左右の舞台袖から一つずつ、大きな銀色のカートが運ばれてきた。どちらのカートにも、白い覆いがかかった容器が一つのっている。


「さあ、先攻は挑戦者からのたっての希望により、狩野美姫かのうみきさんからとなっております。彼女が腕を振るっているのは、テレビや雑誌にも出た新進気鋭のパティスリー、『MIKI』。

このたび、マリナーレのチーフ、五室義人いつむろよしとさんとタッグを組んで、老舗の看板を背負うために名乗りをあげられました。それでは、どうぞ!」


 司会者の威勢のいいかけ声とともに、美姫がはらりとケーキにかかっていた幕を下ろす。スクリーンをじっと見つめていた観衆から、どよめきがあがった。


「これは美しい! テーマは古き良きジャズといったところでしょうか」


 現れたケーキは、高さ数センチの四角形の土台と、その上に乗っている装飾の二層構造になっていた。土台にはマリナーレが得意とするなめらかなビターチョコレートのグラサージュがされていたが、さして珍しい物ではない。しかし、その上に乗っている装飾が審査員たちの目を引いている。


 ジャズでよく使われる楽器が、溢れださんばかりにケーキの上を埋めている。しかもただ形だけつくろっているだけではなく、ピアノにはきちんと鍵盤があり、金管の細かい管やベースの弦まで完璧に再現されている。本物をそのまま縮小したような出来映えに、周りの客が息をのむ音が聞こえた。バイトで来たはずの彼らからも、純粋な賛辞が飛ぶ。


 しかし、晶と凪は驚きも感心もしなかった。


「そりゃそうだろうな。あの経営者に、斬新なケーキを思い付くほどの頭はない。職人引き抜いた時から、アイデアもまるまるパクるつもりだったんだろうよ。細工も五室だろうし、あの女実際どれだけ働いたのやら」

「……そうだとしたら、みなもとさんがケーキを変更しなかったら、かぶっちゃうよ」

「その可能性も考えてたろうが、先に出して自分のとこを印象づけとけば問題ないと思ったんだろ。万一アイデアがかぶったら細工の腕と味で勝負になる。さっきの職人、気に食わねえ奴だが、細工に対しちゃ凄腕だ。細部勝負になったら、不利になるのは悠里さんの方だ」

「確かに。そうじゃなきゃ、わざわざ不利な先攻を指定しないよね」


 ケーキ自体に罪はないが、土台のアイデアが悠里ゆうりに聞かせてもらっていたものとそっくり同じだった時点で、二人の中での評価はゼロだ。感心するかわりに、堂々とインタビューに答える五室のたぬき顔をそろってにらみつける。


 二人の恨みがましい視線をよそに、ステージ上の五室は顔をほころばせて、美姫にマイクを譲る。美姫は熱っぽい口調で、観客に語りかけていた。


「このケーキのモチーフはジャズ! テーマをこちらに決めた理由は三つです。一つ、誰よりも尊敬すべきマリナーレの創業者、叔父の和也さんがジャズを愛しておられること」


 美姫はわざとらしく人差し指をたてた。


「二つ、ジャズの根底にある熱き情熱が、これから店を背負うべき若い私の心の内と見事に一致している、ということ」


 晶は美姫に舌を出して無言の反論をしたが、当の本人は気づかずに話し続けている。


「そして最後の三つ目は、この街に深くジャズが根付いているということ。私は地域に根差したケーキ店を目指しています。新生マリナーレがジャズのように皆さんに受け入れられるように願って、今回のケーキを制作いたしました。

製菓的な細かいテクニックもたくさん使っていますが、それを説明しなくとも、この作品の素晴らしさは十分に伝わるものと考えております。もちろん、個人のお客さま用にオーダーも可能です」


 美姫は最後までそつなく答えた。それが終わるとケーキが切り分けられ、審査員の試食が始まる。


「ケーキの中はチョコムースとラズベリーのソース。定番ですね。目新しさがないのは残念ですが、安定感は抜群です」

「そうですね。マリナーレのチョコは、いつまでもくどくどと後を引かないさわやかさが持ち味。それがきちんと今日も出ていると思います。この圧倒的な強みがあるので、へたに冒険しないのも正解でしょう」

「底のカリカリしたのはヘーゼルナッツですね。食感の違いも感じられます」


 審査員たちが口々にコメントを述べる。彼らの口から褒め言葉だけが出てくるので、晶は眉をひそめた。


「では、味の評価に参りましょうか」


 司会者の号令で、審査員たちは一斉に手元のフリップに点数を記入する。全員が書き終わったところで、フリップがひっくり返された。


「おおっと、これは高いぞ」


 審査員のあげた点数は、四十二・四十五・四十一。悠里の登場を踏まえて点数はやや控えめだが、いずれも高得点だ。凪がぼそりとつぶやく。


「まあ、あのおっさんがいるんだ。口出しもしてるだろうから、味で大コケはさせんだろ」


 フリップに書かれた点数の合計が、電光掲示板に反映される。合計百二十八点。これを抜くのは、悠里でも難しそうだ。


「さあ、今度は外観デザイン・アイデア部門の採点が始まります」


 味の審査員たちが下がり、外観担当の審査員が進み出てくる。一般審査員は遠巻きに見ているが、プロの面々は近くに寄ったり、逆に数歩引いてみたりと、観客がじりじりするほど細かくケーキの出来映えを見ていた。


 めいめい満足するまでケーキを見た審査員たちがステージの奥へ戻っていく。再び、司会者がステージ中央に戻り、声をはりあげた。


「さーて、勝負を決める肝心の外観の評価点ですが、各審査員の点数はたった今出そろいました。が、一般の方の投票に影響があるといけませんので、この時点では非公開といたします。いいですか皆さん、何者にも頼らず、自分の目でどちらのケーキがいいか決めてくださいね!」


 司会者が拳を握りながら熱く語りかけると、一般審査員たちが硬い表情でうなずいた。


「それでは後攻、和也かずやさんの愛娘、悠里さんの登場です! 彼女は幼少時から偉大なパティシエである父の背中を見て、その薫陶くんとうを受けてこられました。まだ若い彼女ですが、才能と努力にかけては人一倍だ、とお父様は太鼓判を押しておられます。

チーフパティシエとの別れを経て、彼女が何を作り上げたか? 皆様、その目でしっかりお確かめください!」


 観客席からまばらな拍手があがる中、悠里がステージ中央へ進み出る。その後ろから、ゆっくりとケーキをのせたカートがついていく。しかし、悠里はにこにこ笑うが、一向に覆いを取ろうとしない。


 とうとうしびれを切らした司会者が、悠里に話をふった。


「えーと、ケーキの説明をしていただけます?」

「はい、後ほど。ですが、今は皆さん他のことが気になっておられるのでは?」

「と、いいますと?」


 首をかしげた司会者に向かって、悠里はゆったりした口調で言った。


「なぜチーフパティシエと直前でたもとを分かったか、聞かれないのですか?」


 いたずらっぽく笑う悠里とは逆に、司会者の目が丸くなった。


「……お聞きしてもよろしいのでしょうか?」

「ええ。困ることはありませんもの。マリナーレ側から言い出したことではありませんが、美姫さんの下で働いた方が、今後のかてになると五室さんはお考えになったようです。残念ですね」

「そうでしょうとも。長くお付き合いをされた職人さんですからねえ。さみしい思いもされたでしょう」

「あら、私が残念なのはそこではありませんよ?」


 感情をこめて司会者は同情の言葉を口にしたが、悠里はばっさり即答した。


のに、あちらに賭けられるとは。五室さんの目も曇ってしまわれたかと思うと残念で。これではもう一緒に働くわけにはいきませんね」


 会場がどよめき、司会者の口からぐえ、とつぶれたカエルのような声が漏れた。周囲の混乱をよそに、晶と凪だけは爆笑したいのを必死にこらえる。


「……これは言いますねえ! そこまで言ったからには、単なるパフォーマンスでないことを祈りますよ。では、覆いをとってください!」

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