第27話 動け、さらば与えられん
「肝心のケーキ作りはどうするの? 作るものは決めてた?」
「はい。父がジャズが好きなので、楽器をテーマにしていました。ですが、
五室というのが、その裏切り者の名前なのだろう。晶は怒りとともに、その名前を記憶に叩き込んだ。
「じゃあ、忙しくなる前に俺たちは依頼を完遂するとしよう」
「これが、僕たちが作った薬だ。あまり時間がないから、きっちりこれから言うことを守って使ってほしい」
凪が念を押し、使い方を説明する。その方法はいたってシンプルだ。夜寝る前にオイルで髪をしっかりパックし、日中は手が空いたときにまめにスプレーを使うこと。これだけだ。
「万一使い切ったとしても、こちらに来ればすぐ新しいのを作ってあげる。とにかく、もう時間がない。ケーキ作りと並行して、きっちり髪のケアもしておいて」
真剣な顔で悠里がうなずいた。無事に依頼達成ということで、依頼金の支払いが終わり、領収書を晶が作る。
順調に一連の作業が終わった。しかし、悠里はまだソファーに腰を下ろしたままだ。晶が気になって声をかけると、おずおずと悠里が言い出した。
「あの、図々しいお願いなのですが、もう少し一緒に少しお話できますか? ケーキの造形について意見をいただきたいんです。追加で代金はお支払いしますから。私だけだと、見慣れてしまってるので……」
「僕はいいですよ」
「ケーキの定期配達一ヶ月分ただなら手をうちましょう」
この後の予定など何もない暇な店である。すぐに話はまとまった。一行は二階の調剤室に場所を移して、新たなケーキのアイデアを練り始める。
「とにかく、第一印象が大きいってのは間違いないよね」
「はい、覆いの布を外したときに、どれだけ驚いてもらえるかが勝負なんですが……」
勝負は、悠里の父も参加しやすいように、病院近くのホールで行われる。しかしそこには調理室がないため、あらかじめ作っておいたケーキを運び込み、勝負を決する形になった、と悠里が説明した。
「最近じゃ、ちょっとひねっただけのケーキはみんな見慣れてるからねえ。よっぽど緻密な細工をつけてみるとか」
「それは、正直分が悪いです……五室さんが、細工を最も得意とされていますから。アシスタントとはいっても、細工はほぼ彼が作るとみて間違いないですし」
「じゃあ、みんながびっくりするような形にするしかないってことか」
うむむ、と唸りながら、晶と悠里は顔を付き合わせて議論を交わす。
「球体とかは? 真ん丸に作るのって難しそうだし」
「比較的ありますよ……それに、安定性が悪いから輸送中が心配です。立方体とかどうでしょう。中にいろいろフルーツをつめて」
「それだと第一印象が地味だなあ……細かい飾り勝負になっちゃう。じゃあさ、いっそ低めの円柱とかどう? 安定性もあるし、そこそこデコレーションもできるし」
「なるほど。見た目の華やかさでは、いいかもしれませんね」
「切り分けるときも簡単だしね」
「わあ、すごい!」
「……低めの円柱って、普通のデコレーションケーキの形じゃねえの」
横から凪に冷静な声で言われて、二人ともはっと我に返った。どうやら議論のしすぎで、王道の形がやたら魅力的に見えていたらしい。
それから熱いコーヒー片手に話し合いを続けたものの、納得のいく案は出なかった。晶も悠里も店に泊まることにしてまで頑張ったが、どの案もよく見てみるとさほどいいものではない。凪に見せても、顔をゆがめられるだけだった。
「根つめて議論しすぎだ。もう十二時前だろ? 一旦寝ろ寝ろ」
しまいには、二人そろって凪にたしなめられてしまった。確かに、同じ体勢で話し続けた晶の肩腰はばきばきに固まっている。晶の向かいで、悠里も大きくあくびをした。
「じゃ、ちょっと休憩……」
晶は、着替えもせずにぱたんとソファに倒れこんだ。目の前の悠里は、律儀にオイルを髪にすりこんでいる。朝になったら起こして、と凪に頼もうとしたが、口を開く前に晶は眠りに落ちた。
☆☆☆
晶が起き上がると、もう外は明るくなっていた。慌てて飛び起き、壁に目をやる。時計は朝の八時半を指していた。
「寝過ごした!」
数時間眠って起きるはずだったのに、結局いつもと同じくらい寝てしまっている。悠里はすでに起きていた。ノート片手に、朝の光が差し込む窓際でぼんやりたたずんでいる。
晶は半分寝ぼけたまま、いつもの癖で窓をあけに走った。早朝の風が店の中に入り込み、空気の洗礼をうけたレースのカーテンがぱたぱたとはためいた。それと一緒に、悠里の髪が風をうけて軽やかに揺れる。
「!」
悠里の変化に、ようやく晶は気づいた。ぐしゃぐしゃのちりちりだった彼女の髪が、ゆるいウェーブがかかった程度まで整っている。たった一晩でこんなに違うとは思わなかった、と晶は素直に凪を見直した。
「
晶が声をかけると、悠里はゆっくりと晶に近づき、感謝のこもった顔でうなずいた。
「自分じゃないみたい。でも、とっても素敵です」
晶が凪にも知らせようとして振り返ったとき、ドアが開いて当の本人が現れた。
「お、起きたな坊主ども」
どんぶりの載った盆を持った凪が室内に入ってきた。あっという間に部屋中に香ばしい臭いが漂い、晶と悠里の腹がなる。
「凪の手作り?」
恐る恐る晶が聞いた。なぜか自慢げに凪が胸を張りながら答える。
「んなわけあるか。出前だよ、中華粥。髪はいい感じだが、肝心のケーキのアイデアがまだなんだろ? 脳に糖分が必要だ」
そうだった、と晶はあわてて卓についた。が、悠里にはなぜか慌てた様子が全くない。よそわれたお粥をきれいにたいらげると、悠里は荷物をまとめて立ち上がった。
「……実は、もう思いついちゃいました。ケーキ」
「え?」
「晶さんのおかげです」
「僕なにかしました?」
本気で心当たりのない晶は目を丸くして聞いた。しかし、悠里は問いには答えずに、そわそわしながら凪に話しかける。
「すみません、ケーキのアイデアについてアシスタントさんたちと相談してきていいですか?」
いてもたってもいられない、といった様子で悠里が言う。凪が苦笑いしながら首を縦にふった。
そのとたん、悠里はまさに飛ぶような勢いで店を出ていった。わけがわからないまま取り残された晶は、ぽかんと開いたままのドアを見つめる。
「……本当に思い付いたんでしょうか」
「あの様子だと本気だな。勝ってほしいもんだが、こればっかりは明日まで待ちだ」
凪は呟きながら、無遠慮に器に残った粥をがばっとすくった。晶は慌てて声をあげる。
「あっこら、肉のとこばっかり」
「早い者勝ちだバカめ」
晶はため息をついたが、悠里ができるというのなら、部外者の自分は彼女を信じるしかない。気持ちを切り替えて、晶は肉のほとんど残っていない粥をすすった。
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