第25話 本業に戻るとき

 それから広間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。アルトワに縄をかける者あり、レオの手当をしに走る者あり、どさくさにまぎれて自作の紋章旗を量産しようとするなぎあり、もう用は終わったから帰りたいと言い出す獣人たちあり。


 全ての采配を行うオットーは、悟った高僧のような顔で淡々と仕事をこなしていた。この事態と濃すぎる助っ人たちを前にしては、自然とそういう態度になってしまうのだろう。あきらは心から同情した。


「よくやってくれた。ようやく片付いたよ」


 まだ少し首筋から血を流しながら、レオが晶に話しかけてきた。気丈にはしているが、やはり怖かったのだろう。レオの顔は若干青ざめていた。


「ええ、これからのことはご兄弟にお任せしますよ。お元気で」


 領主が変わったことで多少ごたつきはあると思うが、この二人とクロエがいれば悪い方向にはいかないだろう。


 晶はここで完全に頭を切り換え、レオに別れの挨拶を言って、凪のところへ走り出した。しかしなぜか、レオも必死の形相で晶を追いかけてくる。


「晶、お手柄だったなあ」

「うん」


 とりあえずレオのことはおいておいて、凪がわっしわっしと晶の頭をかき回す。くすぐったさに顔をしかめながら、晶はラヴェンドラが詰まったずだ袋を凪に向かって差し出した。


「それよりラヴェンドラの油ってどうやってとれるの。もうみなもとさんの勝負まで時間がないよ」

「わかってる、精製のための器具を今用意してもらってるところだ」


 ここで、話についていけないレオが割り込んできた。


「少しはゆっくりしないか? 依頼というのはそんなに急ぐのかな」


 お気遣いはありがたいですが、と前置きして凪は首を横に振る。


「期限まであと二日しかないんですよ。約束は守らないと商売が成り立たないんでねえ」


 凪にはっきり言われてもなお、レオは納得しきれない表情で晶の袖を引く。


「アキラ、なかなか難しい生業をしているのだなあ」

「まあこれを専門にしてるってわけじゃないですけど……」


 晶が口を濁すと、レオは途端に前のめりになった。


「そうか。アキラ、農地の管理とか興味はないか」

「いえそんな才覚ないです」

「これから覚えればいいよ。僕と同じ先生に習うといい」

「恐れ多いです」

「遠くから通うのもなんだろう。屋敷に部屋を用意しよう」

「ほんとに結構ですから……僕、なにもできないですよ」


 レオが言うような知識はひとつも身についていない。同じ状況に放り込まれたら、泣きそうになって立ちすくむだけだろう。化学知識も常識も、何の意味も持たない。


「大丈夫だ、最初からできる奴なんていない。僕らだって、親から詰め込まれてどうにか形になってるんだ」

「……ちなみにいかほど?」

「睡眠と食事、馬乗りゲームの時間以外は全部勉強だね。また家庭教師が怖いんだこれが」

「ええっ」


 大手学習塾も真っ青になりそうな過密スケジュールだ。


「たまには先生の予定が変わった……とかありますか」

「勉強に例外はないよ」


 澄み切った目で断言された。


「あ、そうか。猛獣狩りの時だけは、例外的に免除だね」

「猛獣狩り?」

「あんな大きな熊は初めてだけど、野良狼や虎が出ると危険だろう? 食物も食い荒らすし」

「そうですね」

「だから領民から依頼があった時は、兵を出して退治する。その場に僕らも同行するんだ。わくわくするなあ」

「へえ……」


 晶はぼんやりと、野に並んでいたテントを思い浮かべた。あんな風に隊列を組んで行軍するとしたら、確かにちょっと楽しいかもしれない。


「今度一緒に行こう」

「面白そうですね」

「まあ、危ないこともあるけどね。手負いの虎なんか、騎獣の上まで飛び上がってくるから。それを弓や槍で落としてさ」

「……やっぱりやめときます」


 どう考えても自分には向いていない。生兵法は大怪我のもとだ。


「大丈夫だよ。あの熊ほど厄介な奴はそういないから」

「誘うなら凪にしてください」


 こちらの世界の文武両道は、かなり高いレベルを要求されるようだ。貴族に生まれるのも楽じゃない、と晶は思い知る。それに巻きこまれないようにしないと、いつか命を落とす。


「じゃあ、晶は普段何してるんだ?」

「朝起きて……夕方まで勉強して、あとはあいた時間に運動かゲームですかね」

「なんだ、そんなに変わらないな」

「でも、僕らのところは家庭教師じゃなくて、学校ですから」


 学校の仕組みが理解できないのか、レオが首をひねる。


「たくさんの生徒がひとつの部屋にいて……先生は一人だけ」

「それでどうやって勉強するんだ」

「先生の話を聞いて、自分で考えるんです。分からなかったら、話が終わった後質問に行ったりはできますけど」

「効率が悪いな。頭の出来なんて、生徒によって違うだろうに」


 この世界には、入試制度もないのだろう。晶はそもそも学校に入る仕組みから説明しなければならなかった。


「ふむ……最初に足切りの試験があるから、ある程度の質は保証されているわけか」

「そういうことです」

「なるほど。面白い習慣だな。うちでは使えないが」

「……やっぱりダメですか」

「有力貴族の子弟を落としてみろ、どんな仕返しがあるかわからん」


 レオは肩をすくめた。小さくてもこういうところは、いっぱしの政治家だ。


「晶、その学校について改良案が……」

「ぼ、僕そろそろ行きます。さよならー!!」


 まだ話がしたそうなレオを振り切って、晶は凪と一緒に屋敷を飛び出した。


 レオをまいたことを確認してから、屋敷の庭に作られた丸太造りの小屋に入る。小屋と言っても、晶の部屋よりよっぽど広い。軽く二、三十畳はありそうだ。


 その中に、ドラム缶を思わせる金属製の寸胴釜が備え付けられていた。晶がすっぽり入れそうな大きなものから、珈琲ポットくらいの小ぶりなものまでたくさんの種類がある。


 凪が手にした釜は、五~六人分の煮込みを作るときに使う鍋くらいの大きさだった。二人で釜に苦労してとったラヴェンドラをぎゅうぎゅうになるまで詰め込み、しっかり蓋をする。そして釜に直結している炉に火を入れ、熱い水蒸気を送り込む。


 しばらくすると、釜から油成分が混じった蒸気が出てくるので、今度はこれを急激に冷やす。始めは水ばかりだが、徐々に精油が混じってきた。普通、油は黄色に近い色をしているものが多いが、この精油はキラキラと輝く明るい紫色をしていた。


 最後に、水と精油を分離して作業は終わった。ずだ袋いっぱいのラヴェンドラを使用したにもかかわらず、とれたのはせいぜい十数ミリといったところだが、凪は満足そうにしていた。


「これだけあれば十分だ」

「やった……」


 ここまできて、晶の体に一気に疲労が押し寄せた。だが、休んでばかりもいられない。あと二日で、悠里ゆうりの人生を賭けた勝負が始まってしまう。


「戻ろう」

「おう、とっとと依頼を成功させようぜ」

「こちらでしたか。本当にもう帰ってしまわれるのですか?」


 いつの間にか、二人の背後にオットーが立っていた。一回まかれたのが気にくわないのだろう、明らかに不満そうな顔をしているレオもいる。


「ナギ殿、アキラ殿。もう少しこちらに留まっていかれませんか」

「悪いなあ……」

「僕らにも帰らないといけないところがあって」


 二人が遠慮しながらもきっぱり断るのを聞いて、オットーは目元をほころばせた。


「それでは仕方ありませんね。近いうちにまたいらしてください。森の民たちからも、また来いと伝言を預かっております」


 オットーはあっさり言い、笑って晶たちに手を振ったが、レオの不機嫌はおさまらない。晶の背中に向かって、レオは声を張り上げた。


「本当に何も受け取ってくれないのか! まだ君に僕は何も返していないぞ!」

「十分していただきましたよ」


 得体の知れない相手であっても対等に話してくれた。自分の命が危ないときに、本気で晶を心配してくれた。本物の獅子の魂を受け継ぐ少年貴族に、これ以上何を望むと言うのだろう。


 凪も晶に同意し、二人で並んで歩き出す。最後に晶はレオに向かって笑顔で手を振り、精油の入った小瓶片手に屋敷を飛び出した。



 ☆☆☆



 晶たちは急いで街の門を飛び出し、晶が最初に足を踏み入れた街道へ向かった。


 途中で凪が言うには、魔方陣は一つしか出現せず、新たな地点へ行くと古いものは消えてしまうらしい。また、地図を拡大してから思念を集中すれば、町中の特定の家など、ピンポイントな地点にも行けるようだ。カタリナももっと詳しく教えてくれればいいのに、と晶は肩を落とした。


 人目を避けるように薄くなっていた魔方陣は、晶たちが近づくと再び金色に輝きだした。二人は迷うことなく飛び込み、また光の渦をくぐる。


 奇妙な浮遊感の後、晶が帰ってきたところは暗闇だった。しかも狭い。


「あいてっ!」


 前のめりになっていた晶は、思いきり硬い壁に頭をぶつけて悶絶した。凪が冷静に「なにやってんだ」と突っ込んできたのが妙に腹が立つ。


 目の前が真っ暗で、辺りがかび臭い。ここはどこだ?と考えかけて、クローゼットの中なのだと気がついた。


「鍵がついてるから、あけてくれ」


 凪に言われて、晶は手探りで壁を探した。まもなく、金属の鍵の手応えがあった。横になっていたつまみを縦にすると、軋み音をたてながら扉が開いた。


 クローゼットから出ても、まだ辺りが薄暗い。異世界で早朝だったから、こちらもそうなのだろう。まだ悠里に電話するには迷惑になりそうな時間だった。


「さて、もう一仕事するか」


 クローゼットから出てきた凪が、腕まくりをする。晶が聞いた。


「あのオイルを渡して終わりじゃないの?」

「原液のままだと作用が強すぎるんだよ」


 凪はそう言いながら、ラヴェンドラ精油の隣に、透明な油が入った瓶を置く。


「これはキャリアオイル。たくさん使っても人体に刺激の少ないオイルで、これにラヴェンドラ精油を混ぜて使う」

「なんかもったいないなあ」


 あれだけ苦労してとってきたのだから、悠里のために全部使ってしまいたい気がした。しかし、晶が言っても凪は頑固に首を横に振る。


「だめ」

「たくさん使った方がよく効くよ」


 晶の主張を聞いて、凪は呆れた顔をしてため息を漏らした。


「……お前な。よしわかった。今からお兄さんがためになる話をしてやろう」

「おじさんの間違いじゃないの?」


 晶が混ぜ返すと、凪に本気でにらまれた。


「……冗談が過ぎました」

「では気を取り直して。市販の薬でもそうなんだが、薬には『二回まとめて飲まないでください』という注意書があるな? あれはなんでだと思う」


 言われてみれば、風邪薬でも痛み止めでもそうだった気がする。が、晶は薬を飲む時そこまで気にしないし、説明書もすぐ捨ててしまう。素直に理由まではわからないと答えた。

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