第23話 少しも変わらぬ疫病神

「いっ」


 女のシルエットに見覚えのあるあきらは、あわてて双眼鏡を目に押し当てる。想像通り、その女はクロエだった。あいかわらず貴族の婦人には似つかわしくないほど胸の切れ込んだドレスを着ている。


「こっちですわ。お早いお着きですこと」


 鮮やかな緋の旗と、屈強な騎士たちが並ぶ姿にたじろぎもせず、クロエが近づいてくる。


「あら坊や」

「……お世話になりました」


 晶はとりあえず礼を言う。クロエはにやりと笑い、意味深に「後でまたね」と言い残して、オットーのもとへ歩いて行った。


「オットー殿、町中はすでにモンスミュール家が制圧いたしました。あとは領主屋敷を残すのみです」

「重ね重ね、感謝いたします」

「気になさることはないわ。隣がバカだと、どんな火の粉が降ってくるかわかったものではありませんもの」


 クロエは以前からアルトワを気に入っておらず、こっそり間者をまぎれこませていた。領主に不満をもつ騎士や有力商人の私兵を味方につけていたため、町中はほぼ無傷のまま解放できたのだという。


「私も時々、有力者との会談の場に赴いておりましたが、今の調子なら領主を討ってもたいした混乱にはならないでしょう。ご武運を」


 晶はクロエの後ろ姿を見ながら、ため息をついた。彼女は単に若い男の血を吸うだけが目的で、ここに来ていたわけではなかったのだ。想像以上に食えない吸血鬼である。


「よし、一気に館まで駆け上がるぞ。今日こそ我らの悲願を達成するのだ!」


 オットーが満を持して発破をかけると、兵士たちから大きな歓声があがる。当主を先頭として各部隊がさっと集まり、赤く燃え立つ大きな蛇となって、一気に狭い道を駆け上がっていった。



☆☆☆



 兵たちは勢いに乗ったまま、一気に領主の館の前まで押し寄せた。ここからの勝負は、いかに屋敷の門を早く突破できるかで決まる。そのため、巨大な破城槌を持つ歩兵たちは特に殺気だっていた。


 屋敷が見えてくると、空からしきりに矢が降ってきた。こちらからは相手が見えないが、向こうからは実によく見えているようだ。


「盾を構えよ!」


 オットーの号令が飛んだ。上空から降ってくる矢を、晶以外の兵は器用に盾で受け止めている。が、片手で馬を扱えない晶は兜をしっかりかぶる以外の対策は取れなかった。落馬した方が、味方に踏まれて大惨事になる。


「盾は!」


 レオに怒鳴られたが、晶は運を天に任せるほかない。できるだけ身を小さくして、両隣の兵の盾の隙間に入れてもらった。その間にも、かんかんかん、と雨のように矢が降り注ぐ音がする。晶は緊張で、歯を食いしばった。


 しかしそのとき、奇妙なことが起こった。降り注ぐ矢の音が、なぜかまばらになっていく。圧倒的優勢に立っているはずの、屋敷上にいる兵たちから次々に悲鳴があがった。危険だとはわかっていたが、好奇心に勝てず晶は顔をあげる。


「旗が!」


 晶は、あっとつぶやいた。晶の周りの兵たちからも、驚きの声があがる。屋敷の上の兵たちが、次々と謎の騎士たちにたたきのめされていく。そして、さっきまで領主館にかかっていた緑の鷹の紋章旗が、全て赤い旗に切り替わっていった。へたくそではあったが、横向きのライオンらしき図柄が墨で書かれていた。それを見たレオが叫ぶ。


「ヴェームスブルグ家の獅子の紋章だ! 彼らは味方だぞ!」


 変化は他にもあった。今までぴしゃりと閉じていた頑丈そうな鉄板張りの門扉が、するすると開いていく。一枚だけではない。侵入を防ぐために何枚も重ねられている、全ての扉が開け放たれていた。


 扉付近につめていた兵たちが、喜び勇んで屋敷内へ殺到していく。晶たちもすかさず後に続いた。


 しかし、領主側も手をこまねいているわけではない。侵入者に向かって、小隊を組んだ騎士たちが一斉に弓を構える。危ない、と晶がつぶやいた次の瞬間、弓兵たちの前に人影が躍り出た。


なぎ!」


 晶は思わず叫んだ。遠目だが、あの俊敏な動きは見間違いようがない。


 凪はまず弓兵を二人をうまくいなして、顔面から正面衝突させた。そのまま弓兵の隊列の中に突っ込んでいき、戸惑っている敵を片っ端から切り捨てていく。


 背後から襲いかかった歩兵も、凪の返す刀であっさり打ち倒された。数人に取り囲まれても、焦るどころかいっそう表情が生き生きしている。しまいには、敵の方が戦意をなくして逃げ出すありさまだった。


「今度はかわいい子連れてこいよー」


 のんきに敵の背中に向かって、こんな言葉まで投げつける凪を見て、晶は全身の力が抜けてきた。この人が大人しく牢に捕まっているはずがなかったのに、今まで自分は一体何を心配していたのだろうとばからしくなったのである。


「相変わらず、騎士とは思えぬ振る舞いをなさる」


 凪を見てぽつりとレオがつぶやいた。


「ええ、あいつが綺麗なのは顔だけです」


 晶も同意する。


「「だが強い」」


 二人が次に言った言葉が重なった。晶とレオは顔を付き合わせて、にやりと笑う。そこで凪と目線が合った。晶は久しぶりに会話を交わそうと、凪に近づいていく。


「おま」


 晶の顔を見た凪が、ぽかんと口をあけた。晶はおかしくて、大いに笑った。凪はなぜここに、と言いかけたが、思い直したようだ。


「……俺が捕まるの見てたのかよ。心配かけて悪かった。怪我あないか」

「大丈夫。予想よりうまくやれた」


 本当はそう順調でもなかったが、なんだか虚勢を張りたい気分だった。晶はさらりとそれだけ言う。


「そんならいいや。俺もうまくやったぜ。囚人仲間をたきつけて、門を開けたり旗をさしかえたりと珍しく働いた。……そういやお前、店はどうした」

みなもとさんに戸締まり任せてきた。実は、勝負の日にちが早まっちゃって。それを知らせにきてくれたのを捕まえて頼んだんだ。あの人なら大丈夫でしょ」


 晶が聞くと、凪はまあな、とうなずいた。


「万一泥棒が入ったら、仕方ないと諦めてこっちで暮らそうよ。凪、こっちでも結構うまくやってるみたいだし」


 晶があっけらかんと言うと、凪に足をこづかれた。


「こら、冗談でも縁起の悪いことを言うな。お前はいいかもしれんが、俺は現世に帰って正しい大金持ちになるんだ」

「わかってるよ。僕だって源さんを勝負に勝たせたいもの」


 二人にしか通じない会話をしていると、レオに声をかけられた。


「領主が逃げ出すといけない。早々に屋敷内を制圧せよと兄上がおっしゃっている。君も来てほしい」


 晶はうなずいた。凪もくるかと思ってちらりと下に目をやったが、当の凪は首を横にふった。


「元囚人の奴らと落ち合う予定なんでな。ここの連中も掃除する必要がある。ボスはお前に任せた」


 話している間に、凪に向かってまたばらばらと領主側の騎士が駆けてくる。行け、と凪に背中を押されて晶は急いで馬を走らせた。



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